2つの故郷四部作(1)「受け継がれた信州への夜の旅~千葉・TDR・上野・浅草-松本・長野線~」 | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

夜も深まった千葉中央駅は人影も少なく、静まり返っていた。
昼から降り続く秋雨に濡れた路面が、街灯の光を反射して鈍く輝いている。
先ほど通ってきたJR千葉駅の賑わいとは対照的だった。

中央駅、セントラル・ステーションがある場所と言えば、その街最大の繁華街のように思いがちだけれど、少なくとも千葉では違う、ということは前々から知っていた。
十数年前にも、ここで、同じように夜行バスを待ったことがあった。
あの時は、開業したばかりの金沢行き夜行高速バスに乗ろうとしていた。
千葉と金沢を結ぶ高速バスを皮切りに、本州中央部をグルッとひと回りする高速バス三昧の楽しい旅だった(http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11214776102.html)。

奇しくも、今回の僕の旅と目的地が同じと言うことに気づいて、僕は奇妙な感慨に捕らわれた。
僕が待っているのは長野行きの夜行高速バスだったが、今回の旅の最終目的地は金沢なのである。
バスを乗り継いで、明日の昼過ぎには北陸の古都に着く予定だった。
千葉と金沢を結ぶ夜行バスは短命で、開業後数年を経ずして、20世紀最後の年に廃止されたから、千葉中央駅に来たのは今世紀になって初めてということになる。
そんなに歳月が経過していたのか、と思うと愕然とした。

千葉中央駅前で、さあ行くぞ金沢まで、などと力んでいるのは、21世紀を迎えて僕が初めてかもしれないとも思う。

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線路の高架下に設けられた乗り場も、駅前にひっそりと立つビルも、その佇まいは全く変わっていなかった。
高架下にはもう1人、若い女性が柱の陰にじっと佇んでいるだけである。
僕と同じくバスを待っているのだろうか。

21時10分に、大阪・神戸行きの夜行高速バスがひっそりと発車していったが、乗車する客は皆無だった。
このバスの上り便に大阪から乗ったことがあるけれども、朝の東関東自動車道の渋滞で、途中のTDLで降ろされてしまったことを思い出す。
千葉に住んでいる訳でも用事があった訳でもなく、千葉発の高速バス路線に乗ってみたかっただけなので、別に困りはしなかったのだが。

羽田空港からのリムジンバスが到着して、係員さんが誘導に走り回ったり、少しせわしなくなった瞬間もあったものの、済んでしまえば、また駅前を静寂が覆う。

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いつの間にかロータリーの隅で待機していたバスが、スルスルっとひと回りして、乗り場に横付けされた。
扉を開けたバスに近づいたのは僕だけで、何となく面映ゆい気分で運転手さんの改札を受けてから、車内へ足を踏み入れた。
乗降口の脇に「信州(松本・長野)」と行き先が掲げられているのが、とても好ましい。
長野県へ向かう高速バスは幾つも利用したことがあるけれど、「信州」と表示しているバスは見たことがなかった。

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平成4年4月の開業直後に利用した、東京発長野・湯田中行きの夜行高速バス「ドリーム志賀」号の運転手さんが、発車後の案内で、

「このバスは、一路信濃路へ参ります」

と挨拶していたのを、懐かしく思い出した。
夜行に乗って、信州・信濃路へ。
その語感だけでロマンチックな気分がするから、不思議である。

首都圏と信州を結ぶ夜の旅の歴史は古い。
大正14年に登場した信越本線初の優等列車は、上野-長野-新潟を14時間で結ぶ夜行急行列車だったという。
その後、上野から長野・金沢経由で大阪へ向かう夜行列車なども運転を開始したものの、いずれも戦時中に運行を中止している。
戦後の昭和25年に夜行準急列車が上野-長野-直江津間で運転を再開し、昭和33年に「妙高」と名付けられ、急行に昇格して平成5年まで運行された。
新宿から松本を経由して長野に向かう夜行鈍行425列車も、山男を中心に長く愛された名物列車で、新宿発23時55分、松本着7時54分、長野着10時12分という、誠にのんびりしたダイヤで運転されていた。
後に電車化されて442Mとして運転、新宿発車・松本到着時刻は同じまま、長野着が10時03分と時間が短縮したけれども、昭和60年に運転区間を新宿-上諏訪間に短縮する形で消えていった。

一方、浜松町バスターミナルから発車する長野電鉄の「志賀高原直通バス」も昭和40年代に開業、スキー客主体の不定期運行ながらも長野市にも立ち寄っていた時期があったと記憶している。

そして、平成4年に「ドリーム志賀」号が登場する。
上信越自動車道・長野自動車道とも当時は建設途上だったから、中央自動車道を経由して6時間半程度で東京と長野を結んでいたが、乗客数が振るわず、長野新幹線が開業して1年半後の平成11年4月に廃止されてしまった。

いずれの夜行交通機関も、東京と長野の間の行き来が不便だった時代の運行だったから、同じ区間を1時間半程度で結んでしまう新幹線の開業後は、もう夜行の出番はないだろうと思っていた。

ところが、平成22年8月から、新宿と長野を結ぶ上信越道経由の高速バスに、下り便だけ夜行便が登場する。
平成24年2月には、千葉から東京ディズニーリゾート・浅草・上野を経由して、深夜の中央道を走り、松本を経て長野まで足を伸ばす夜行高速バスが開業したのである。
バス会社は違うけれども、まるで「ドリーム志賀」号の復活だった。

それだけに、どれくらいの乗客が利用するのか、興味はあった。
週末だからなのか、2週間ほど前にネットで予約した時には、残席数1だったので慌てて確保した。
横3列シートの中央列の2B席だったが、やむを得ない。
数日前に再度ネットをチェックしたら、キャンセルがあったようで、残席数が増えており、予約し直したら左側窓際の4A席を獲得できた。

このバスは、千葉中央駅を21時15分に発車し、松本駅を経由して、長野駅前に着くのは翌朝7時30分である。
およそ300kmあまりの距離を、実に10時間もかけて走るのんびりバスだった。
東京から岡山までの夜行バスに匹敵する所要時間である。
往年の夜行鈍行425列車の向こうを張って、ずっと下道でも走るつもりでしょうか、と聞きたくなる。
乗り物好きだから長時間の乗車は全然気にならない性格だけれども、出来れば窓際の席に座りたかったので、嬉しかった。
よくぞキャンセルして下さいました、と、見知らぬ人に礼を言いたいくらいの、うきうきした気分である。

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定刻にバスが動き出した時、車内には、運転手さんと僕の2人しかいなかった。
このバスは1人乗務なのか、と思う。
ならば、所要時間のうち2時間くらいは、運転手さんの仮眠に使われるのであろう。
はるばる信州までの深夜勤務、本当にお疲れ様、と運転手さんの後ろ姿に心の中で声をかけた。

例の女性は、このバスにも乗らず、柱の陰に佇んだままだった。

バスは千葉市内を抜けて埋め立て地に向かい、海浜幕張駅で乗車扱いをする。
明かりもまばらな高層ビル群が見える横道の路上で、しばし時間調整をしてから、駅前バス乗り場に進入した。
降りしきる雨粒が、街灯の淡い光で金色に輝きながら、幾筋も落ちてくる。
大きなリュックを背負い、見るからに山男といった風情の男性が1人だけ乗車して来たから、ますます信州夜行という味わいになる。

首都高速湾岸線の脇を行く国道357号線に出ても、バスは高速道路には乗らなかった。
流れはスムーズだったから、もどかしくは感じなかったけれども、本当にこのままずっと一般道経由だったらどうしょう、と少しばかり可笑しくなった。

少しウトウトしてから目を覚ますと、バスは、TDRへの流入路をぐるりと回っているところだった。

まずTDLに立ち寄るのだが、乗り場には向かわず、円形のバスターミナルの中心にある待機場にバックして、またひと休みである。
よほど余裕のあるダイヤなのであろう。
バスターミナルは大変な賑わいで、乗り場には利用客が鈴なりに並び、各方面への高速バスやホテルへの送迎バスが次々と発車していく。
楽しい思い出の余韻に浸りながら、家路につく人々の上気した表情が印象的だった。
眺めているだけで、こちらまで高揚した気分が伝染してくる、閉園時刻間際の夢の国のバスターミナルだった。

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10分か20分ほど待ったであろうか、ようやくバスが動き出して乗り場に横付けされると、ミッキーのかぶり物をかぶったカップルや、子供と一緒の家族連れなどがどっと乗り込んできて、それまで閑散としていた車内がいっぺんに賑やかになった。
続いて、やや待ち客が少なめで落ち着いた雰囲気のTDSバスターミナルに寄り、座席の空きは数席程度になった。
TDRの集客力は大したものだと感心する。

全国から首都圏を結ぶ高速バスで、TDRを経由する路線は多い。
しかし、信州からTDRへ向かう路線がそれほど多くないのは、奇妙にも思えるほどである。
この「千葉ー松本・長野」線を除けば、WILLER EXPRESSの長野と首都圏を結ぶ夜行便だけなのだ。
http://travel.willer.co.jp/st/3/ja/pc/bus/route/calendar.php?oR=1301019&fR=2301019&sk=20&tk=13&hkn=30&kns=15
このバスは、長野を発って、翌朝新宿に到着した後、はるばる川崎を経由してからTDRに向かう。
料金は4500円ほどで、「千葉ー松本・長野」線とほとんど変わらないが、座席は「リラックス」と呼ばれる前後の間隔をやや広めにしたフード付きの4列シートである。
松本など、他の長野県内の街からTDRに向かう路線は、高速乗合バスでは見当たらない。
新幹線や中央東線と京葉線の乗り継ぎが一般的なのだろうけど、東京駅での移動距離は嫌になるほど長く、直通バスは便利さでは決して引けを取らないのではないか。

西船橋駅に立ち寄ると、バスは今度こそ首都高速に乗って都心へ向かう。
高速に乗るといきなり眠気が襲ってくるのは、不思議な感覚である。
走りが安定して停止や発車が少なくなり、走行音が子守歌のように聞こえるからだろうか。

気づけば、京成上野駅前で数人の乗客を乗せているところだった。
続いて、浅草雷門で最後の乗車扱いをする。
上野の発車予定時刻は日付が変わった0時05分、浅草は0時10分である。
千葉中央駅からここまで、3時間もかかっている。
ちなみに、先行している千葉中央駅発大阪・神戸行きの夜行便は、千葉中央駅から上野まで2時間25分である。
経由地は全く同じなのに、この差の理由は何であろうか。

大阪と違って信州はそれほど遠い訳ではないですし、夜は長い、しゃかりきに走って朝早く着き過ぎてもお困りでしょうし、まあ、ゆっくりのんびり参りましょ──

と言いたげな風情である。

浅草で停車する長距離バスに乗ったのは、昭和60年に乗車した山形行きの東北急行バス夜行便以来であった。
東京有数の繁華街であるにも関わらず、浅草を発着する高速バスは少ない。
かつて浅草を経由していた同社の仙台行き夜行高速バスは、いつの間にか浅草を通らなくなっているし、千葉やTDRを発着する同じ京成電鉄バスの大阪・和歌山・奈良・名古屋行きも、上野には停まるものの浅草には停車せず、長野行きと京都行き、別のバス会社の大阪行きと岡山行きが停車するだけである。

山形行き夜行高速バスの乗り場がどこであったのかは全く覚えていないけれども、長野行きが停車したのは雷門と通りを挟んだ歩道で、軒を並べる商店は、全てひっそりとシャッターを下ろしている。
浅草からの乗車は、登山の格好をした女性が1人で、僕がキャンセルした2B席に座った。

全ての乗客を乗せ終わったバスは、隅田川を渡り、春には桜並木が名所となる墨堤通りを北へ向かい、向島ランプから首都高速6号線を都心と逆方向に向かって走り出した。

え?どこへ行くの?──このままでは常磐道や東北道の方向ではないか?

まるでミステリーツアーに紛れ込んでしまったかのような戸惑いを覚えながらも、滑らかな走りと、道路の継ぎ目を拾う軽快なバウンドに身を任せているうちに、再び睡魔に襲われて、どの道を通ろうが明日の朝に長野に着いていればいい、いや東北でも何処でも構うもんか、という投げ遣りな気分になって、眠りに吸い込まれてしまった。

幸運なことに僕の後ろの席が空席で、気兼ねなく背もたれをいっぱいに倒すことが出来る。
夜行高速バスのリクライニングは、フラットとは言えなくても、150度くらいに倒れる。
フットレストに伸ばした足を支えるレッグレストと合わせれば、限りなくベッドに近い乗り心地だと僕は思う。
頭が左右にずれないように、背もたれのてっぺんの両脇が盛り上がって頭を支えてくれる気配りも嬉しい。
航空機のビジネスクラス程度の設備と評しても良いのではないだろうか。
幅は少々狭いけれど、独立3列シートだから、隣りも気にならない。

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平成4年に乗った「ドリーム志賀」号は、前後のシートピッチは広めだったものの、横4列シートだった。
いつも空いていたから、隣りに人が座った記憶はないものの、手狭な感じがしたのは確かである。
それでいて、長野までの運賃は5600円と割高だった。

ちなみに、新宿駅西口高速バスターミナルから上信越道経由で長野に向かう高速バスは、横4列シートの便も少なくないが、夜行便や早朝・深夜便を中心に横3列シートのバスが投入されている。
左側が横4列シートより幅が広いと思われる2列シート、右側が独立した1列のプライムシングルシートという座席配置である。
新宿-長野間で通常料金が4000円、プライムシングルが4500円で、所要時間は昼間の便は3時間40分、夜行便が5時間20分である。
今回、新宿発の夜行便も検索してみたけれども、2週間前の時点でプライムシングルは完売、2列側の座席だけが数席残っていた。
平日には、500円の差額を払うプライムシングルの方が不人気で、あいていることが多いと聞いていたから、少々意外だった。
ちなみに、この路線に夜行の上り便は運行されていない。

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僕が乗っているこのバスは、全席がプライムシングルシートと同様の独立座席で、千葉-長野間が所要10時間で5000円、TDR-長野間が所要9時間で4800円、上野・浅草-長野間が所要7時間半で4500円だった。
新幹線で1時間半程度の東京-長野間でも、夜行の旅は進化して復活し、根強く支持されているのである。

ふと気づくと、バスは、エンジン音と風切り音が甲高く反響する、長いトンネルの中を走っていた。
そっとカーテンの隅をめくって辺りを伺うと、どうやら首都高速中央環状線山手トンネルらしい。
全長1万900m、部分開通のこの時点では、日本で2番目に長い道路トンネルである。

バスは首都高速6号線から、堀切JCTで中央環状線に乗り換えて荒川北岸に沿い、江北JCTで中央環状王子線、板橋JCTで首都高速5号線、熊野町JCTで中央環状線山手トンネルと、東京の北半分をグルッと大回りしたようである
浅草から中央道へ向かうのに、回りくどいルートを選んだものと思う。
都心環状線の渋滞を避けるためであろうか。

西新宿JCTで、銀河鉄道999の発車シーンのように地中から一気に高架まで駆け上がり、ぐいっと右へカーブを切って、首都高速4号線へ合流する。
この道は、故郷信州へ続いている。
僕は、安心してリクライニングシートに身を任せ、目を瞑った。

心地よい走りっぷりが変わったような気がして目を覚ますと、バスは速度を落としながら、八ヶ岳PAに滑り込んでいるところだった。
時計の針は午前4時半を指している。
ここの休憩で、車外に出て身体を伸ばすことが出来た。
あたりは真っ暗だが、雨はやんでいて、湿り気を帯びた風がひんやりと喉の奥にしみた。
空を見上げても、星は見えなかった。

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本線に戻ったバスは、大して走らないうちに再び減速し、中央道茅野バスストップに停車した。
ほぼ予定通りの午前5時半だった。
2B席に座った登山服の女性が降りて、トランクに預けていた大きなリュックを受け取っている。
これから八ヶ岳にでも登るのだろうか。

このバスストップには、僕も降りたことがある。
昭和61年に開業した新宿発茅野行きの中央高速バスが、暫定的にここを終点にしていたことがあった。
高速道路上のバス停が終点という、珍しい運行形態である。
乗客を全て降ろし終えたバスは、そのまま高速道路本線に戻って回送されていった。
バスストップから茅野駅まで歩いてもそれほどの距離ではなく、真夏の太陽を浴びながら、高原らしい爽やかな風が心地良かったことをよく覚えている。

みどり湖、広岡野村、神林と長野道上のバス停でポツポツと客を降ろすうちに、空が白み始め、松本ICで高速を出る頃には、安曇野がその全貌を現した。
路面は濡れているけれども、すっかり雨は上がっている。

松本の街並みは、まだ眠りから覚めていなかったが、最後に訪れた8年前と全く変わっていなかった。
午前6時に到着した松本駅前のバスターミナルで、TDRからの家族連れをはじめ、殆んどの乗客が降りていった。
車内に残って長野市まで足を伸ばす客は、数人程度だった。

再び松本ICに戻って長野道を走り始めると、霞がたなびく田園風景の向こうに、飛騨山脈が姿を現した。
最初は雲に隠れていたものの、黄金色の陽の光に押しのけられるように雲の幕が開き、徐々に全貌を露わにしていく山々の荘厳さに感動した。
もう少し眺めていたかったのだが、疾走するバスは構わずトンネルに入ってしまう。

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松本から長野までのラストスパートは、幾つものトンネルで険しい筑摩山地を越えていくことになる。
バスの走りに疲れの気配はなく、僕はうつらうつらとしながら過ごしていた。
山岳ハイウェイを走ること、およそ1時間。
傾斜地に段々畑が広がる姨捨付近で、朝日に輝く善光寺平を見下ろしながら、最後の長い急坂を駆け下りる頃、空は真っ青に晴れ上がっていた。
千曲川の河原で揺れるすすきと、淡く縞模様を描く筋雲が、故郷の深まりゆく秋を感じさせた。

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長野ICで高速走行を終え、落合橋で千曲川を渡り始めると、うす靄をまとった盆地の輪郭を成す緑の山々の奥に、白馬や戸隠連峰が顔を覗かせた。
木立ちの多い川中島の古戦場を右手に見ながら、朝の光をいっぱいに浴びて、バスは市街地へと向かう。
田園の中に住宅や工場が少しずつ増え、丹波島橋で犀川を渡ると、一気に沿道の店舗が増えてきた。
目立つのは画一的な全国チェーンのファミレスやファーストフード店で、若干興ざめな風景である。
こんもりと盛り上がった陸橋で新幹線や信越本線を跨ぐと、ビルが林立する長野市街地が前方に現れて、長かった夜の旅の終わりが近づいた。

長野駅前の歩道に横付けされ、エンジン音が止んだのは、定刻より20分ほど早い午前7時過ぎだった。
運転手さんに礼を言ってバスを降りると、僕は大きく背伸びをして、胸一杯に深呼吸した。
夜行急行列車「妙高」や、夜行高速バス「ドリーム志賀」号を降りた時と何ら変わりのない、故郷の爽やかな空気だった。

$†ごんたのつれづれ旅日記†

※この路線は平成26年から千葉中央駅の発着をやめ、成田空港発着になっています。

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(25.10.7)