15歳の時
空手道と出会いました
20歳の時
初出場した島根国体
代表権を得たのは65kg以下の軽量級
減量に苦しみながら
後2kgがどうしても落ちず
飲んだ麦茶を喉に指を突っ込み何度も吐き出したり
サウナで気を失い助け出されたりしながら
初めて乗った国体列車で
島根県出雲市まで13時間掛けての道程
出発の朝
体調の異変を感じ
検温してみると40度の高熱
声に出せない不安だけを胸に出場した国体
初めての国体の思い出です
町道場で育ち
ルールも明確に分からない中
生意気な若き日の自分
高校の空手部も大学の空手部も知らず
当時は頻繁に行われていた強化練習会で
毎回
諸先輩から厳しい洗礼を受けながら
殴り合い蹴り合いでしか求められなかった自分の欲する思い
強さの本質など知る術もなく
それでも
漠然とした
強くなりたいという
その想いしかなかった日々
あれから40年
一人で戦っているつもりでいた自分が
周囲の様々な応援に気づき
勝つ喜び
負ける悔しさ
自分と向き合う勇気
相手を敬う心など
本当に多くのものを学び
空手道を通じて
多くの友情が生まれ
30歳で道場を立ち上げ
様々な葛藤があったからこそ
和を生み出す会との想いを込め命名した
「生和会」という道場名
今では親になった者もいる
多くの子どもたちとの出会い
伝える事の責任
共に歩むその先にある未来
35歳からの10年を県監督として
45歳からの4年間を強化委員長として
そして今は
審判部会長として
空手道と関わり
新型コロナウイルス感染拡大の大きな大きなリバウンドの波が押し寄せる中で
日本は
東京オリンピックに向かい
大きく舵を切ろうとしています
振り返れば
私が過ごした現役時代も
一瞬の煌めきだった様に想う今
その大切な限られた時間を
新型コロナウイルス感染拡大の猛威の中
己を表現する舞台である大会の開催も殆どなく
それでも
手探りの中で
その先にある未来へ向かい歩む
選手へ
大会に臨む選手へ
「伝えたい事があります」
君たちの
一生懸命仲間に声援を送り応援する姿に
自己研鑽の為に動画を撮る姿に
その大切な時間を空手道と共に懸命に生きようとする姿に
試合を終えた者はすぐに帰るよう何度も促し
時にはマイク越しに捲し立てるように指示を出す
そんな私も
空手道を愛し
今日まで空手競技の道を歩み続ける
現役を経験し
道場生の活躍を祈り
何よりも
懸命に空手道競技と向き合う
全ての選手に想いを馳せる
そんな空手人の一人である事
そしてそれは
大会に携わる
関係者全員の想いであり
願いである事
多くの人間がその想いを
願いを共有しながら
打ち合わせを重ね
大会が開催されている事を
一人の感染者も出さず
大会を終える事が
君たちの
次の明日に向かう為の
大切な一歩に繋がる事を
大丈夫
ワクチン投与も始まり
コロナの収束への道を一歩ずつ進む日本
今だからこそ
選手の皆さんに伝えたい
いつ如何なる時も応援しています!!