自分が体験したことだけがリアル | ツインソウルによろしく
世の中で起きている様々な出来事、ニュースというものは、自分が直接体験したこと以外は、全て“パラレルワールド”に存在する別の地球で起こった出来事に過ぎないという話があります。

ここで素朴な疑問です。ではもしも北挑戦が日本に向かってミサイルを発射しても、それは別の世界で起きたことだから絶対自分には当たらない、ということは言えるのでしょうか。

多分正しい答えは、「絶対に当たらないとは言い切れない」ということだと思います。つまりパラレルワールドの世界で起きている出来事と自分の住む現実世界との“シンクロ二シティー”は起きないとは限らない、という事でしょう。

これがいわゆる、「引き寄せの法則」というものを論ずる根拠になっているのだと思います。自分が体験する現実は自分で引き寄せようとするものですね。そしてここに“ポジティブシンキング”なる発想が浮かんできます。つまり良いことを思えば良いことが起きる・・・だからネガティブな考えをもつよりは良いことだけを考えてポジティブに生きていきましょう!となるのですね。

ところが、実は良いことだけを考えていても現実が上手くいかなくなる事があります。例えばSTAP細胞の論文発表で一躍時の人となった小保方晴子さん、発表当時はそのライフスタイルまで注目され日本中の視線を集めました。ですがその後の展開は皆さんもご承知の通りです。共同研究者の一人は謎めいた自殺をなし、小保方さん本人はまるで悪意のあった研究不正を働いたような世論が形成され表の社会から抹殺されるような事態になっています。

その小保方さんが反論めいた手記を出版されたのはつい先日のことですが、そこにはきっと、“彼女が体験したリアル”についてが描かれているのでしょう。

「ある閉じられた“系”の中だけで通用するポジティブシンキング」

“系”というのは、その人が存在するある空間、そこには目に見えない形でエネルギーのバリア、結界と言っても良いのかも知れませんが、そういうものが巡らされていることを指します。“家族”というエネルギーバルーン、学校や会社といったバルーン、趣味のサークル、交流仲間、それらが閉じられていて、その中でエネルギーの移動が起きることを我々は“実感”するのですね。実は“リアルな体験”と言っているのはそのことなのですね。

ですから例えばいじめられっ子がいじめっ子のグループから何故抜け出し辛いかというと、それは“自分の体験したことだから”ということになります。良くも悪くもそこに自分の存在を得られるということですね。人というのは、原則的にはまるでコウモリみたいに、自分の周囲を移動するエネルギーの流れを感知して自分の存在を確認しているところがあります。

ですから“系”というのは言い方を変えると“拠り所”とも言えるのですね。そして人は皆自分の立ち位置を図れる“拠り所”を必要としています。そしてその中のエネルギーの移動に関してはとても関心が高い、だから世の中の出来事に対してもとても関心を持ちます。それは自分が直接得た体験と、パラレルワールドで起きたとされる情報を照合して、自分の体験をより良いものにしていきたいという衝動のなせる技でしょう。

そして一定の閉じられた空間の中では、確かにポジティブシンキングは功を奏します。何故ならポジティブシンキングとはノーブレーキでアクセル全開の状態、普通の人は躊躇してアクセル全開をためらったり、時に危険を察知してブレーキを踏んでしまうところをアクセルベタ踏みで突き進みます。ですからアクセル全開の人が周囲を引き離してリードするのは当然と言えば当然のことなのですね^^つまりポジティブシンキングが成功するように見えるのは、単に絶対数が少ないからという事が言えます。

「“系”VS“系”のエネルギー闘争」

おそらくですが小保方さんは、理化学研究所という“系”の中ではそれまでポジティブシンキングでやってきたのだと思います。ですからあの若さで重要な研究のユニットリーダーを任されたのでしょう。世間が見ても、研究の内容よりむしろ小保方さん本人に関して注目が集まったくらいですから、実際それ程のパワーがあったのだと思います。

けれども世の中というのはパラレルワールド、即ち無数に存在する系が相互に干渉し合っている世界です。そして彼女の前に立ちはだかったのは、日本全体の科学界、そして世界的な“利権”に群がる“系”でした。学者村という言葉もある位、日本の各学会というものは変に閉鎖的で権威主義的であるとも指摘されています。小保方さんの論文の不備が発見された時も一様に厳しい論調が目立ちました。確かに彼女の提出した論文に不備があったことは事実ですが、そこに学者特有の嫉妬や妬み、権威を維持する姿勢がなかったとは言い切れないでしょう。

ましてやもっと恐ろしいのが“利権”にまつわるエネルギー系です。STAP細胞というのは万能細胞ですから、この特許を取得出来れば今後計り知れない利益を生みだすことは容易に想像つきます。万能細胞とは良いところだけを見ればまるで夢のようなテクノロジーですが、現実的には巨大利権の奪い合いや、戦争にも利用されかねない、とても恐ろい技術でもあるのですね。もしも小保方さんに明晰性があれば、或いはもっとネガティブな考えを持つことが出来たら、今回のような事態は招いていなかったかも知れません。けれどもそれだと、あの時期にあのタイミングでの論文発表には至らなかったのでしょう。当然特許取得を巡っては何処かのライバル達と競っているわけですから、より早くより広く周知のものとする必要はあったのでしょうね。

つまりあの事件が起きたことも含めて全ては起こるべくして起こったことであり、後悔する必要も反論する必要も本来はないのかも知れません。他の人にしてみれば、STAP細胞騒動は他のパラレルワールドで起きた出来事に過ぎないのです。肝心なことは小保方さん自身が先の経験から何を得て、今後どのような現実を選択していくかということでしょう。

今回の件では、ポジティブシンキングで仮にある程度のところまで上り詰めたとしても、より大きなエネルギー系に干渉されたら通用しないばかりか、かえって攻撃の対象になりかねないということを学べます。ところが今までの三次元の世界では、ポジティブになれないと行動を起こせないという状況がありました。それが“系”に属するが故の、善を生み出すと同時に悪を生み出すという矛盾、葛藤の原理となっていたのですね。

「“系”の中に自分を見い出さず、“開放系”或いは“独立系”で行くということ」

小保方さんが先の自著出版の件で反論めいた手記を載せたとすると、彼女はまだ科学会という系での自分の存在に拘っているということになります。マスコミや学会に虐められた子が仕返しを図っているというような構図ですね。果たしてそんなことをする意味があるのか?ということですが、これは“エネルギー闘争”といって普段の私たちもよくやる構図ですね。これはそこに自分の主観を置いたリアリティーを持っていれば、自分の自尊心を取り戻すためにはどうしてもやらなければならないことのように思えるでしょう。

でもそれが本当の彼女の使命なのでしょうか?

僕は違うのかも知れないと思います。むしろ彼女が今までやってきた事とは、これまでの過去生において彼女が体験してきた“リアル”の延長というに過ぎず、今生の彼女の使命は善と悪を生むような発見、発明ではなく、もっと一般の人に科学の世界を分かり易く紹介することなのかも知れません。

“さかな君”という方がいますけど、彼は別に何処かの学会に属している訳ではなくて、ただ魚が無性に好きでいわば“魚愛”を説いている方ですね。堅苦しい話をせずに、魚の世界の神秘さや面白さを一般の方々に分かり易く話し世界観を広げてくれます。似たような方で“恐竜君”という人も出てきています。本人はかなり学術肌の研究もされてきたようですが、それよりも一般の人にもっとよく恐竜の世界を知って貰いたいということで、敢えてさかな君と似たような道を選択されているのですね。

ここで重要なことは、恐らくさかな君を妨害しようと思う人は誰もいないだろうということです。彼がどこの“系”にも属さなければ、エネルギー闘争など起きようもないからですね。さかな君はさかな君でしかなく、他の誰もさかな君ではないからです。そして恐竜君がさかな君と敵対するということもまずない。むしろ“どうぶつ君”“両生類君”“お花さん”とか色んな人が出てきてくれた方が更に楽しくなりそうであります^^

つまり一人一人が独立して“開放系”となれば、そういう人たちで集まってくる世界は葛藤のないバラエティーに富んだ状態が描けるということになります。

そう考えると小保方さんは“理系女”という言葉を生み出すために存在していたのかも知れません。もう今までのように研究機関に勤めることは難しいかも知れないけれど、“理系女”のエースとして、難しい科学理論を分かり易く一般の人に紹介したり、これから“理系女”を目指す人たちに経験からアドバイスを送ることも出来るでしょう。そしてそんな彼女の活動に対して足を引っ張る人は誰も現れないと思います。でも学会や理研と戦ってしまえば、そうもいかなくなるでしょうね。

もちろんどんな選択をするも小保方さん次第なのですが、これは当然誰にでも当てはまることでしょう。貴方が体験するリアルを、“系”の中のエネルギー闘争に費やすか、それとも全ての系から独立して自由に生きるか。果たして深層の魂はどちらの選択を望むのでしょうか。

世の中で起きるニュース、関心を引きつける出来事というのは、ある意味“象徴”として見せられているとも言われます。単にそのドラマ性に関心を持つだけでなく、そこから何を学び取るかによって、自分が今後描き出す現実に修正を加えることが可能になります。

万能細胞に関して言えば、僕は今後霊性の科学というものが更に進んでいけば、弱った臓器の修復が自分で可能になるのでは?と思っています。こちらの場合は、何故自分が今の症状を招いたかに自分で気づきますので、自分で治せますし、医療費負担の必要もないでしょう。でも外科治療に頼ってしまうと、永遠に“自分”というものに気づくことが出来ません。

ですから僕が見たい現実の中では、世間の万能細胞を待ち焦がれるムードは冷ややかに見ていますし、それよりももっと自分の身体の不調にしっかり焦点を当てなければ、と改めて思う次第です^^