~ツインソウルのいいところ~ | ツインソウルによろしく
人生の究極の目標とは?

多分それって年代によっても異なるでしょうし、性差によっても違いが出るのだろうと思います。でも人生を全うするにあたって不幸を望んでいる人はいないと思います。仮に天使と悪魔がいたとしても、屈折しているかいないかの違いがあるだけであって、喜びを得るために行動するということでは同じだろうと思います。

だけど人間は生き物の中で最も不完全な状態で生まれてきて、自立して生きられるようになるまでにかなりの長い年月を必要とします。また自立していると思って生きている人も実はかなりの部分で不完全なものを抱えていて、それが人と人との“軋轢”というものを生んでしまい今日の社会が形成されていきます。

うつ病、アスペルガー障害、ADHD、アダルトチルドレン・・・本当にそんな病気のようなものを我々は抱えているのだろうか、分からないけれども、人間が作り出した社会を生き抜くことが難しいということが何故だか現実に存在しています。それは自分の方に問題があるのか、それとも所属する社会の方に問題があるのか、答えを見いだせないまま、深い闇の中から一歩を踏み出し辛いという方もいるでしょう。

自己重要感

人は誰でも、自分が生まれてきたことに意味があるのだ、と思いたい生き物です。否、意味なんかないさと斜に構えている人でも、斜に構える自分に自己肯定感を与えているのですね。要はその自己肯定感を、自分だけではなく周囲の人と共有することで、それは自分の体験する“リアル”となりますので、その“実感”というものを得るために、私たちは色々な行動に移して生きていく、それが人生となっていくのだと思います。

そのために人が求めるものも様々で、社会的地位や名誉を得たいと思う人もいるでしょうし、幼い頃からの自分の夢を叶えたいという人もいるでしょう。或いは幸せな家族に囲まれて暮らすことを理想形に描いている人もいるかも知れません。

ところが自分が求めたものが叶えられないという時に、この“自己肯定感”、重要感というものが酷く傷つけられるので、とても不幸な状態に自分を追いやってしまうということがあります。だから世の中はある意味とても不公平なようにも映ります。周りの人は生きがいをもってとても楽しそうに暮らしているのに、どうして自分だけは幸せになれないのだと思うのですね。

自分が求めているものは自分しか求めていない

自分の求めているものと他人の求めているものが競合する時、そこには“競争”というものが起きて、叶えられる人と叶えられない人とに振り分けられ、叶えられなかった人は“挫折”というものを経験します。でも本当に求めていたものは競合していたのでしょうか・・・
貴方と他の誰かが求めているものは本当に同じものでしょうか。貴方と他の誰かが全く同じ人でない限り、求めるものが同じということは本来あり得ないはずなのですが。

“ツインソウル”というものに万が一今生で巡り合うと、奇跡的に、自分の求めるものと相手の求めるものが一致するという稀有な体験をすることになります。その不思議な感覚は難しい言葉では説明のしようもなく、「ただ一つになりたい」というものかも知れませんね。

“一つになる”ということは、ただ自分自身になる、ということかも知れません。自分自身である・・・ということを実感出来れば、それは一番の自己重要感に結びつきますので、それ以上のものを追い求める必要がなくなります。ですから、もしもツインソウルに出逢った時、他の一切のものを投げ出して、相手の元へ向かっていきたいという衝動に駆られることもあるでしょう。

ところが人はただ幸せな家庭を築くことさえ難しい場合があります。本来は競合しない幸せを得るために、人は独立した家族を作るのですが、その小さな単位の中でさえ自分の思うようにならないということがあります。それは自分が抱えている理想と、家族の求めるものに違いがあるからですね。そしてそれはその自分の理想というものがある種の“妄想”と言えるからなのですね。

自分が追い求めている“理想”というものが、どのような生い立ちから出来上がっているかを細かく分析すると、大抵の場合、自分の心の中の“葛藤”が主な要因になっていることに気づきます。過去に体験した自分の“挫折体験”が消えずに残っており、その挫折体験を克服することが生きる目的=理想となるのですね。ところが過去の挫折体験が今生のものばかりではなく、過去生の何処かで体験した記憶であったりする場合、自分でも深い葛藤に気づけない場合があるので、どうして自分がその理想を追い求めるのか自分でも分からないということがあります。そうすると人はただ“期待”を胸に無鉄砲に行動することがあるので、その理想が儚く消え散ることがあるのですが、それは誰かが自分を裏切ったからではなく、自分が本当の自分に気づいていなかったというだけのことなのですね。

ところがおそらく“ツインソウル”の間でも同じようなことを経験することがあるでしょう。というのも二人が“分離”して経験してきたことは、自分一人のものでしかないからです。“ただ一つになりたい”というお互いの目的が同じものであっても、過去及び過去生で経験した心の傷は自分だけのものでしかないので、統合しようとする時にお互いの傷が手痛い障壁となってしまうのですね。

一つの魂が二つに分離して、地球で迷子になりながら様々な経験を積んでいく。それは真に残酷な魂の試練だったのかも知れません。単体ではどうしても欠落を補えない部分があるので、人生で葛藤を刻み付けることは明白です。ただしそれは心の傷ともなりますが、同時に“学び”ともなるのですね。魂には思い通りにならないことを経験することでしか得ることの出来ない“学び”というものがあります。

ですからツインソウルがお互いの心の傷を察知して衝突に及んだ時、本来であれば相手の学んだ体験を素直に吸収出来ればよいのでしょう。そうすることによって自分は自分が学ぶことが出来なかった経験を自分のものとすることが出来ますし、相手にとっては自分の経験が受け入れられますので、当時の心の傷が癒されていく、いわゆる“浄化”が起きるのですね。

そういうことを繰り返し経験していきますと、段々と“自分の理想”というものが消えていくでしょう。心の傷=葛藤というものが消えていきますので、トラウマに下支えされた理想というものが消えていくのですね。

この作業も、不幸な過去生が沢山あればある程、何度理想を手放してもきりがないように思えますが、魂の結びつきが強化されていくに従って、段々と無鉄砲な夢や期待は抱かないようになっていきます。夢や理想がないというと何ともつまらない人生のようにも思いますが、そうではなくて夢や理想を抱く必要がないほどに、“今が一番幸せ”になるのですね。

仮に社会的な成功を収めていなくても、沢山の仲間に囲まれて人生を謳歌していなくても、人として親孝行の一つも出来ていない情けない自分を感じても、年をとり肉体的な衰えを感じ始めても、“ただ今ここに自分が在る”というだけで十分に幸せを感じて生きていける。

良い自分も悪い自分も全て認めて受け入れてくれる存在があること・・・

これぞ究極の“自己重要感”というものが得られるようになるのですね。

まぁそれが、傍からみたら“ただの妄想”と言われても特に否定のしようもないのですが、

一人で見る夢はただの夢に過ぎないが、二人で見る夢は実際の体験・・・即ち“リアル”なのですね。

仮に三次元的に自分がどんな状態にあろうとも“幸せを実感して生きる”・・・

それがツインソウルのいいところかな?と思います^^