ドーミノピーザ | ゼッタイマカーイ

ゼッタイマカーイ

僕の日常、皆の非日常。

昨夜のパーリーの模様を少し


W杯を一緒に見た例の患者(通称タミフル)さんが、




骨髄移植を来週に控えて無菌室に入ったので、




タミフルさん経由で仲良くなった20代後半の患者(通称MASTER)さんと、




「今夜遊びに行こうぜ」と計画を立てて、




消灯時間の9時過ぎに集合して、結局23時過ぎまで語り合ってました




2人とも僕より年上だし、病人歴も僕が最年少でした




タミフルさんは塾の講師をしていて、僕と同じリンパ種の再発




でも移植は今回が2回目だそうで、これから厳しい闘いが始まります




MASTERさんはボクシング経験者で、前科持ちで、




20歳になるまでに100人斬りは達成したようで、




夜の世界で殺されかけたこともあったらしいですが、




今はサラリーマンに落ち着いて




趣味としてバイクの走り屋のリーダーをやっているとか




右腕の刺青のおかげで全く嘘に聞こえません




病名は膠原病という国の難病指定だそうで、




もう8年間も入退院を繰り返しながら闘っているそうです






ちっぽけです、実にちっぽけな僕です




移植も成功し、これから退院するというのに




小さなことで悩んでいる自分がちっぽけでたまりませんでした






同時に湧きあがってくるこの出会いへの感動




だって病気にならなければ、絶対に交わらない人だったはず




特にMASTERさんみたいな人を街で見かけたら、目すら合わせられない笑




完全に違う世界の人です




その人達と、病院あるあるというか、身内ネタを共有できたことが




たまらなく面白かったです




研修医の採血の下手加減を嘆きあったり、




抗がん剤の副作用について語り合ったり、




独り言をつぶやくおっさん患者への対処法を教えてもらったり、




マスクの無限大の可能性について妄想しまくったり




ナースさんにまつわる恐い話を競い合ったり…




(ちなみに僕は無菌室から出られない時に、


ぺヤングの湯切りをお願いしたら「めんどくせっ」って


顔も合わさずに吐き捨てられました。あれは堕ちた…)






話はさらに深いところまで及びました




それが本当に自分にとって必要な話でした




社会に出てから病人になると悲惨なもんだよ、と




入院してる時の気持ちはすぐ忘れてしまうもんだよ、と




二人のその言葉には重みがあって、




現実の厳しさについて教えられ、少なからず凹みました




パーリーが終わってからも、それを考えて眠れなくなるほどでした




でも最終的に残ったのは「しぶとく生きればなんとかなる」




というMASTERさんの言葉でした




僕よりも長い年月、遥かに多くの不自由と闘いながら




多くの人に慕われ続けるその姿は、




究極の病人というか、最強の病人というか




そこから繰り出される言葉には、説得力があって




自分もそうありたいと願うばがりでした




全く参考にならない話もありましたが。笑




最後の夜は、間違いなく必要な夜で、




孤独な入院生活とはかけ離れた最高の夜でした




ピザ頼めばよかった!




これが、僕のこれからの人生の原点。




病気になってよかったと思えるような出会いの原点。



退院したけど寄り道したら虫の息


もー眠すぎるから退院についてはまた明日書きますん

はぁー疲れた