へい重度 | ゼッタイマカーイ

ゼッタイマカーイ

僕の日常、皆の非日常。

僕がみたび入院する羽目となったのは、

季節外れの雪が降りしきる3月初旬のことである

たかが気胸である

たかが手術である

たかが一週間足らずの入院である

ところがどっこい、という話をしたいと思う


マジでしんどかった

まあ順を追って話すと、

月曜日の午後3時頃手術室に入って、

映画やらドラマでの方が見慣れてるその光景に若干の興奮を覚えつつも、

硬膜外麻酔やって、全身麻酔やって、抗う術もなく眠らされて(おちるまで3秒くらい)、

それで起こされたら手術が終わって成功してたって感じで

まぁここまでは予想通りだったわけです


肝心なのは、というかマジでしんどかったのは、その後。

それから一晩、ベッドから一切身動きがとれないという

人工呼吸器から肺の管、背中の管、点滴、尿管まで全てぶっさしたまんまなわけです

さらに言えば両足と左腕に血圧計、胸には心電図モニターと、

ただひたすら、医療器具が身体を制してる状態で

もう本当に、命からがらナメック星に帰ってきたベジータみたいな状態なわけです

熱も一晩引かないし、さらに飲食なんかは翌日の昼まで禁止で。

かれこれ長いこと入院生活やってましたが、

そこに自由が存在しない夜というのは初めてのことでした


ナースコールをあそこまでの回数鳴らしたのも初めてのことで

右手にナースコールを常に握りしめてるんですが、

なにかの拍子で手放した時には、もう尋常じゃなく焦るわけです

これじゃあ呼びたくても呼べないじゃないかと。

いっそ声を荒げみようかとも思いましたが、

電柱にぶつかって助けを求めた時のことが想起され、

滑稽になってしまうことを危惧して思いとどまりました

病室で夜な夜な叫ぶ爺さんの気持ちが理解できたのも、初めてのことでした

あの夜だけは看護というかもはや介護でした


じゃあ寝れば良いと思う読者諸君もおられると思いますが、

ナースさんが熱と血圧を1時間置きくらいに計りにくるため、

睡眠なんてできたものではなく

眼鏡もつけてないし、部屋も暗いから、ぼんやりとしか見えてないのだけど、

とりあえず担当のナースさんは間違いなかったなってことだけはわかりました

本当に、それだけが救いでした

ネタが被ってますが、こっちのがガチです。

(後略)


2晩明けて、ブログ更新なうです

思えば、完全に予習不足でした

完全になめてかかってました

なにはともあれ、生きてます

2日前のことを、ネタにできてます

期間としては短くてもう退院なんだけど、

あの一晩は人生でも結構過酷な夜でした

動きたいとか食べたいとか眠りたいとかあらゆる欲望を断ち切って、

うがぁーって発狂したくなるような自分の現実を受け止めて、

でも今うがぁーってやったら死ぬなって思って、冷静に物事を対処して、

なんとか乗り切ることができました

まぁ終わりがわかっていたからね、

先の見えないトンネルよりはずっとマシ


あらゆる欲望が解放される退院という瞬間

やがて欲望は渇望変わり、なんだって出来る気がしてくる

くすんでいた日常も彩られて輝きだす

まだまだ頑張れる。


今回はそんなに大したことないと公言していたし、

応援されることもあまりなく、結構孤独な戦いでした

それもそれでしんどかったけれど、何のために頑張るのかがシンプルで明確で

「未来の自分のため、あとで笑うため。」

そのために、これだけしんどい思いをしてる

「どうして自分だけがこんなにしんどいのか」なんてことは、

慣れてしまったのか、今回はあまり考えなかった

運命を受け入れた証拠かなぁ

前までは「皆が応援してくれるから頑張る」みたいな見栄みたいな気持ちが、

意識しないでも少なからずはあった気がして、良くも悪くも。

それはそれで力にもなったし、その逆だってあった。

その分、「自分のために頑張る」という意識が少し弱かったような気さえする

だから社会復帰であそこまで苦しんだのかもしれない

でも結局のところ、これはただの結果論であって、

何が正しくて、何が間違いだったかなんて判然としない

ただ、似たような入院生活の中でも、抗がん剤とは少し違う手術というものを、

以前とは全く異なる心境で経験したということが、大きかった

一体こんなことがこの先何の役に立つのかわからないけれど。


とりあえず、憎き気胸を倒しました

アメリカ旅行中止のお知らせでガン萎えしてた僕の魂も浮かばれるというものです

そしてその悔しさは絶対どこかに繋がってるので、これからの人生に期待です


うまく書けませんがこんな感じで。

また戻ってきてしまいましたが。

いや、本当に次はないハズ。

ゼッタイマカーイ。