心が元気になる話 -2ページ目

心が元気になる話

心が元気になれば、毎日の生活も、仕事も勉強も楽しくなってくる!
そんな元気のもとになるお話を発信したいと思っています。


<勝浦の海>

明けましておめでとうございます!!
皆さんは、このお正月休みどう過ごされているでしょうか。


<ホテルの目の前は、すごく静かなビーチ。>

私たちは、息子の学校が正月明けすぐに試験なので、
年末に家族で勝浦に旅行に行ってきました。
そこで今日は、旅先からの写真を交えながら記事をお届けしますね。



勝浦は、千葉県の外房にある小さな漁港町。
釣りの名所も多く、漁港でも釣りをしている人が随分いました。



初日のお昼は、勝浦名物のタンタン麺。
地元の食堂で食べましたが、今まで食べたタンタン麺の中で一番美味しかった!!

<心元気メール> No.276 2012年1月2日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆幸せな正月休みを願って◆◆

忙しかった年末を過ぎて正月休みに入ると、
今までの超高速ギアから突然の空白に突入して、
まず何をしようかと戸惑う人たちがいるようです。

それで、ただ目の前にある大型スクリーンをつけて、
流れる場面にただ見入るだけということもよくあるような・・・

疲れがたまってしまっている時には、
そんな休み方が必要な場合もあることでしょう。

でも、新年ぐらいしかのんびりできない日本の社会にあって、
せっかくのお正月休みに、できれば周りにいる人たちと一緒に、
その一瞬一瞬を楽しんでほしいなぁと思いました。


<ホテルの窓から見た夕陽。窓からの景色だけでも旅気分>

テレビがこんなに素晴らしい映像と情報を提供していなかった時代には、
お正月にはコタツを囲んで、みかんを食べながらおしゃべりをしたり、
一緒に「輪」になってできるゲームをしたものです。

外に出て凧あげをしたり、雪遊びをすれば、
寒さが厳しい中にも、美しい自然を見つけます。

家族や親戚を訪問したり、家族と旅をする時にも、
ゲーム機や本から目をあげると、
その時にしか発見できない貴重なものを見つけることがあります。

現代社会に生きる私たちは、毎日をとても便利な物、素敵な物で囲まれています。
でも時々、それが邪魔になって、「その時にしかないもの」を見逃してしまうのです。

それで今日は、「新年という一瞬」を大切にしてほしいという願いをこめて、
次の記事をお届けすることにしました。


<ホテルの直営のグラウンド・ゴルフを体験してみました。
ゴルフというよりゲートボール感覚。
でも、久しぶりに家族での外遊びは楽しかったです。>


<この素晴らしい世界を感謝しよう>  アビ・F・メイ著

小船に一人静かに座っている旅人を思い浮かべてください。
小船は、緑に包まれた、曲がりくねった谷川を、ゆっくりと流れて行きます。
川岸には樹木が茂り、所々花が咲き誇っています。
遠くには頂上を雪でおおわれた山々が、壮大にそびえたっています。

ところが、旅人は周りの美しさに気づきさえしません。
ガイドブックを見て、その地域の歴史や、
川がどこに行き着くかなどを調べることに没頭しているのです。

「ほら、目を上げて。美しい景色を見逃してしまいますよ。」
と呼びかけても無駄なことです。
旅人は頭を垂れて読みふけるばかりで、心はそこにないのです。


<同じ窓からの景色。ロマンチックな海岸から爽やかな海岸に変わりました。>

確かに、ガイドブックを読んで色々学ぶことが必要な時もあれば、
後ろを振り返ったり、あるいは、先のことを考えたりすべき時もありますが、
ただ手を休めて、その瞬間を味わう時もあるべきです。

これからの1週間、毎日5分か10分、手を休めて、
自分の周りの世界をじっくり見つめてみましょう。

まばゆいばかりの青空にのん気に浮かぶふわふわの白い雲や、
花びらに刻まれる精巧な模様を、観察してみて下さい。
あるいは、木々の優雅な姿や、鳥が群れになって飛ぶ様子を。
毎日何か違うものを見つけて、とても創造的な神に感謝しましょう。
(アクティベート・リーフNo.70からの転載)


<静かな海にあたる陽の光がとてもきれいでした。>


この人生、もし苦労ばかりで
立ち止まって、見つめる時間もないとしたら?

木立で、羊や牛のように
ゆっくり木々をながめる時間もないとしたら?

森を歩いていても、小走りで木の実を隠すリスの様子を
しばし眺める余裕もないとしたら?

夜に満天の星がきらめくのを見る時間もないとしたら?
美女の一瞥に振り返る間もなく、

彼女の踊るような軽やかな足どりを見る時間もないとしたら?
彼女の口元がほころび、目の微笑みが顔全体に広がるのを待つ時間もないとしたら?

それは、なんと貧しい人生だろう。
苦労ばかりで、立ち止まって、見つめる間もないとしたら?
――ウィリアム・H・デイビィス (1871-1940)


新年だからこそ、立ち止まって、近くにある素晴らしいものを見つけて下さい。
新年だからこそ、お互いの顔を見て、誰かとの心の絆を強めて下さい。
新年だからこそ、周りの人と手を取り合って、新しいスタートを切ってみて下さい。

皆さんに、幸せなお正月があるようにお祈りしています!


週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

読者登録してね


これ、クリスマスにぜひ見てほしい動画です。
歌は私のお気に入りのクリスマス・ソング。

それに合わせて、私の友人の娘さんが絵を描きました。
その子、まだ15歳。
私の息子の幼なじみです。

そして今日は、クリスマス・イブですね。
皆さんにも、素敵なクリスマスがありますように!!

<心元気メール> No.642 2014年12月22日 発行人:リジョイスY.C.
◆◆名曲「アヴェ・マリア」の意味◆◆

クリスマスになると、よく「アヴェ・マリア」の曲が流れています。
とても美しい曲で、私の大好きな曲の一つです。

この曲は、世界中でいろいろな言葉で歌われたりしていますが、
日本語で歌われることはない曲なので、
イエス様を産んだ母マリアへの賛歌だということは知っていたものの、
今まであまり歌詞を意識したことはありませんでした。
でも今年は、ある記事を読んでその意味を知り、もっとその歌を味わうことができました。

アヴェ・マリアは、「おめでとう、マリヤ」という意味で、
歌詞を現代文で訳すと次のようなものだそうです。

「おめでとう、慈しみあふれるマリヤよ、
主はあなたと共におられます。
あなたは女の中で祝福された方、
あなたの胎の実であられるイエスも、祝福されています。
聖なるマリヤ、神の御母、
私たち罪人のために祈って下さい。
今も、そして死ぬ時も。 
アーメン。」

実は、この歌詞、聖書のルカによる福音書にある、天使がマリアに語った言葉と、
マリアの親族であるエリザベツが語った預言の言葉から作られたものなのです。
だから、あの美しい名曲「アヴェ・マリア」を聴いている時には、聖書の言葉を聴いているわけです。

でも、この詩だけではちょっと意味が理解できないと思うので、
その背景を知るためにも、聖書から直接その部分を見てみましょう。

<ルカによる福音書1章26節-45節を引用>
御使(天使)ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
御使がマリヤのところにきて言った、
「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
すると御使が言った、
「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。
そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、
「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

御使が答えて言った、
「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。
それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
神には、なんでもできないことはありません」。

そこでマリヤが言った、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。
そして御使は彼女から離れて行った。

そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。
エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。

エリサベツは聖霊に満たされ、 声高く叫んで言った、
「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。
ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。
主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。

するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救主なる神をたたえます。
この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
そのみ名はきよく、
そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます。
主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、
飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました、
わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

この最後のマリアが語っている言葉も、
やはりマリアがその時聖霊に満たされて語ったもので、
その後半は、生まれてくるイエス・キリストが、どのような人物になるかを預言しています。

それにしても、神がご自分の御子の母親に、祭司の妻や、総督や王様の妻を選ばれたのではなく、
貧しく年若い女の子を選ばれたのですから不思議なものです。
神様のされることは、実に人間が思うことを超えています。

日本ではこのような聖書の話や、本当のクリスマス・ストーリーを知っている人は少ないようですが、
それを知らずにいるというのは実にもったいないことです。

もしまだ聖書を読んだことがないなら、このクリスマス、一度は聖書を読んでみてはどうでしょうか。
また、聖書にあるクリスマスの話を映画化したものや、
その降誕シーンが一場面となっている映画もいろいろとあるので、
そのような映画をクリスマスに見るのも楽しいものです。
ぜひ、聖書やクリスマスの映画を見て、真のクリスマスを味わってみて下さいね。
それでは、皆さんに、メリー・クリスマス!!

週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

読者登録してね


毎年クリスマスに飾る飼い葉桶シーンです。
今年は洗面所の観葉植物の間に置いてみました。



拡大するとこんな感じ。
マリアとヨセフと赤ちゃんのイエス様、そして東方の賢者たちです。

今日は、メルマガに書いたばかりの記事をおとどけしますね。

<心元気メール> No.643 2014年12月23日 発行人:リジョイスY.C.
◆映画『マリア』(The Nativity Story)を見て◆

私達家族は、毎年クリスマス・シーズンに幾つかクリスマスにちなんだ映画を借りてきます。
今年は、2006年に制作された『マリア』(The Nativity Story)という映画を見ました。

それは、マリアがヨセフと婚約するところから始まって、
妊娠とイエスの誕生、そして幼子を連れてヘロデ王から逃れるためエジプトに行くところまでの話でした。
キリスト降誕を題材にした映画はいろいろありますが、
マリアとヨセフという夫婦の愛を物語の軸として据えたのは、今回の作品が初めてだそうで、
婚約中に処女懐妊となったマリアの心の葛藤や夫ヨセフの悩める姿もよく描かれていました。

制作は、新鋭の女性監督キャサリン・ハードウィックによるもので、
主演は、2002年にアカデミー主演女優賞の史上最年少候補者となり話題を集めた、ケイシャ・キャッスル=ヒューズです。

マリア役を彼女が演じたことは、聖書の話をとても忠実に表しています。
というのも、マリアがイエスを出産したのは、14-15歳の時だと言われており、
ケイシャ・キャッスルがマリア役を演じたのも、15歳ごろだったからです。

聖書をよく知っている人にとっては、お馴染みのストーリーでしたが、
それでも、今まで映画化されていなかった面もうまく表現されていたと思います。
私にとっては、赤ちゃんのイエス様を見に来た、貧しい羊飼いの様子と言葉が印象的でした。

羊飼いたちは、当時とても見下げられていて、誰からも相手にされていなかったのですが、
そんな羊飼いたちのところに、天使が現れて、救い主の誕生を知らせたのです。

その様子を見ていて、本当に神様は、社会の底辺で暮らす人たちにまず天使を送られたことで、
神様の目から見たら、すべての人が尊く、
決してそのような人たちを神様は見捨ててはいないと示そうとされたのだと思います。
そのことについて、こんな記事があったのでご紹介しましょう。

<蔑されていた羊飼いたち>
マリア・フォンテーン著

イエス・キリストが生まれた夜について、聖書にはこう記されています。
**
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

御使は言った、
「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。
このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、
幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。
それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは
「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」
と、互に語り合った。

そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。
彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。
(ルカによる福音書2:8-17)

子どもの頃、数あるイエス様の絵の中で私のお気に入りだったのは、
イエス様を良き羊飼いとして描き、子羊を肩にのせている絵でした。

もしあなたが私のように考えるなら、イエス様が生まれた夜に、丘で羊の番をしていた羊飼いたちは、
尊敬された社会の一員であり、正直で信頼の置ける実直な証人とみなされていたと思うかもしれません。
そうでなかったなら、天使から、神の子の到来を証言するという大切なメッセージを託されたりはしなかったと考えたからです。

でも、実際には、そうではなかったようです。
歴史家によると、1世紀のパレスチナにおいて、羊飼いは、社会の底辺とみなされていました。
パリサイ人が彼らを指すのに使った言葉は、「罪びと」と訳されたりしていますが、
これは、汚らわしく、儀礼的に不浄という意味の軽蔑語です。

羊飼いは、生涯、動物の世話をし、糞がいっぱいで病気もありそうな戸外で眠ることもしばしばでした。
神に捧げものをするにもふさわしくないと思われていたようです。

人間の限られた物の見方からすると、神は、神の子(イエス・キリスト)の歓迎の集いのために、
また、耳を傾ける人皆に救いの良き知らせを広めるために、
社会ののけ者たちの一団を送られたわけです。

今で言うと、ゴミ捨て場をあさる人たちの前に天使たちが現れて歌を歌うようなものかもしれません。
しかし、神は心を見られるのです。
職業や身なりは関係ありません。

聖書には、羊飼いたちは赤ん坊を見ようと急いで行ったとあるので、
風呂に入ったり、きれいな服に着替えたりする時間はなかったことでしょう。
どちらにせよ、きれいな服などなかったかもしれません。

とにかく、そのままの格好で走って丘を下り、救い主のところに行ったのでした。
彼らが興奮して自分たちに起こったことをマリヤとヨセフに話し、
愛をもって彼らに迎え入れてもらう様子が目に浮かびます。

神はなぜ羊飼いを選ばれたのでしょうか。
この素晴らしい栄誉を、どうして、人間から見たら全くふさわしくない者たちにお与えになったのでしょうか。
きっと神は、彼らなら純粋で単純な信仰をもって信じてくれると知っておられたのでしょう。
そして、熱い思いで、生まれたばかりの神の子のもとに走って行ってくれると当てにすることができたのでしょう。

その羊飼いたちは神から高く評価されただけでなく、
良き知らせを他の人たちに広めるという特別な任務を授かりました。
救い主の誕生を他の人たちに告げることで、彼らは最初のクリスチャン宣教師となったわけです。
(アクティベート・リーフ No.302からの転載)

週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

読者登録してね


今年も庭の植木にクリスマスの飾り付けをしました。
一度枯れかけた木なので、枝がまばらなのですが、
飾り付けをしてあげたら、思ったよりよくなりました。

田舎のこの近所では、誰も庭にクリスマスの飾り付けをする家がないので、
こんな小さなクリスマス・ツリーでもちょっと目立っています。

ところで、私は最近、家族のためのクリスマスをどうしようと考えながら、
以前皆でしていた盛大なクリスマス・バーティなどを思い出して、
もっと楽しいクリスマスができたらいいのにとか、
もっとゆとりがあったらいいのに・・・とか、いろいろなことを考えていました。

その上、父と母を天に見送って以来、
やはり、こういう祝い時にもう彼らがいないことを考えるのはちょっと寂しいことでした。

でも、あるクリスマス記事を読んでいて、
その最後に書かれている次の言葉にハッとさせられたのです。

「ただ自分が生きていて、
もう一度クリスマスシーズンを楽しむことができるという事実を感謝したい」

これは、去年メルマガでも紹介した
スティーブ・ハーツ著の「クリスマスの靴」という記事に見つけた言葉でした。

そして私は思ったのです。
そうだ、私たち家族三人が元気で、一緒にクリスマスを過ごせることだけでも、
心から感謝しなくては・・・と。

こり記事には、最後にとても感動する動画と歌もあるので、
どうぞ、最後まで読んでみてくださいね。

<クリスマスの靴> 
(スティーブ・ハーツ著 アンカー掲載記事より)

私が間違いなく一年で一番好きな時期であるクリスマスの季節には、
忘れがたい思い出が沢山あります。

二、三例を挙げると、私の家族が飛行機に乗って、
それまで何年間も宣教の仕事をしていたフィリピンからアメリカに帰国したのは、
私が6歳だった12月の雪の日のことでした。
祖父母に会ったのも、雪を体験したのも、その時が初めてでした。

15歳だった1998年のクリスマスには、
チャリティーコンサートを開くために
ワシントンDCからメキシコに来ていた人々と一緒に、ツアーで回っていました。
私はこのツアーでパーカッションを担当し、大いに楽しんだのを覚えています。

けれども、私にとって最も思い出深いクリスマスシーズンは、
2002年と2003年のことで、それらは一曲のシンプルな歌と、
それが私の人生に与えた影響という面で結びついているのです。

2002年のクリスマスは、とりわけ喜びに満ちていました。
母はその数ヶ月前に癌が完治したと告げられ、
久しくなかったほど元気に感じていました。

12月のある日、彼女は翌日参加する集まりのために、
お菓子を焼いていました。
南カリフォルニアの私たちのアパート中に、
そのおいしそうな匂いが漂っていたのを覚えています。

ラジオの周波数は、
一日24時間クリスマスの人気曲を流す局に合わせられていました。

曲目の大半は、「ジングルベル・ロック」や「サンタが街にやってくる」などの軽快なキャロルでしたが、
ある歌が流れ始めた時に雰囲気ががらっと変わったので、
私は関心をそそられ、していたことをやめて、それに耳をそばだてました。

それは、ニューソングというグループの
「ザ・クリスマス・シューズ」(クリスマスの靴)という歌であると、後でわかりました。

それはクリスマスイブに、クリスマスの最後の買い物を終わらせるために、
靴屋の列に並んでいた男性についての物語です。
彼の前には小さな男の子が並んでおり、
明らかにかつてはもっと裕福だったように見受けられるその子は、手に一足の靴を抱えていました。

彼は男性の方を振り向くと、
病気で死にかけている母親のために、その靴を買いたいのだと言いました。
その夜イエス様に会う時に、きれいでいてほしいからと。

その子は持っていたありったけの小銭をカウンターの上に出しましたが、
店員はそれでは足りないと言いました。
男の子は振り向いて、懇願するように男性を見つめました。

男性は靴の残りの代金を支払ってやり、
男の子が礼を言って帰って行った時の表情を、いつまでも忘れることができませんでした。

その歌を聴いているうちに、涙が私の頬を伝いました。
まだ母親が近くにいる自分は、何と幸運なことでしょう。
そしてまもなく母を失おうとしているその少年の立場だったら、
どんなに悲しいだろうと想像しました。

その歌は残りのクリスマスシーズン中、ずっと私の心に流れ続け、
新年の訪れと共に徐々に消え去っていきました。

時が経つにつれ、母の容態は再び悪化し、癌が再発しました。
翌年のクリスマスになる頃には、母は介護施設にいました。
死を迎えるまで、そこでゆっくりと過ごすためにです。

そんなある日、私は何かの用事で兄と一緒に出かけ、
車を運転しながらラジオを聞いていました。
すると突然、あの忘れていた「ザ・クリスマス・シューズ」の歌が流れ始めたのです。

今回それは、何と現実味に溢れていたことでしょう。
歌に心動かされて、私たちはすぐに母のために、きれいな靴を一足買いました。
それは母にとてもよく似合って、母は大喜びでした。
そのほんの数週間後、彼女は私たちのもとを去りました(少なくとも彼女の体は)。

クリスマス・シーズンは、宣教活動、お祝いのための計画や準備、
家族の訪問などといったことで慌ただしくなるものですが、
この歌は今、そういったことの背後にある何か大切なことに目を向ける助けとなっています。

絶え間なく動き回って頭が変になりそうで、いらいらした気分に陥っている時、
母の声が私にこうささやくのが聞こえるのです。
「『ザ・クリスマス・シューズ』の歌を思い出して」と。

このように思い起こさせてもらうと、
自分の持っているあらゆるものを感謝し、数多くの祝福を数えることを思い出すので、
ストレスやいらだちは消え去ります。

まだ元気に生きている家族や愛する人々のことを考えて、
自分自身の命や健康についても、感謝を捧げます。

最後に、私は歌に出てきた男の子や、
2003年の私たちの家族のように、
クリスマスシーズンに痛ましい状況下にいる大勢の人々のために祈ります。
そのような人々に導いて下さるよう、
また自分が彼らにとって慰めとなれるよう、イエスに求めるのです。
そして、主はしばしばそのようにして下さいます。

私はもう、練習不足だと感じる歌のショーが間近に迫っても神経質になったりしないし、
誰かがうっかり大切な詳細を見落としても、腹を立てなくなりました。

ただ自分が生きていて、
もう一度クリスマスシーズンを楽しむことができるという事実を、感謝しようと努めているからです。

以下のリンクでこの歌を聴くことができます。
歌詞付きの歌: http://www.youtube.com/watch?v=LS4_b2LbLW4.

ミュージックビデオ: http://www.youtube.com/watch?v=GJcPVB-we7g.
このショーは、同じ題名のテレビ映画からのクリップです。
つい泣けてしまうのでご注意下さい。

週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

読者登録してね


真っ赤なインパチェンスがまだ咲き続けていて、
我が家ではクリスマスのポインセチアの代わりになってくれています。
この花、夏からずっと咲き続けているのですからびっくり。

でも、ここ数日、突然寒くなって、地植えのインパチェンスは溶けてしまったので、
慌てて玄関の中に入れてあげました。
そうしたら、まだ生き延びています。
うまく冬越しできたらいいんだけれど・・・

さて、あとクリスマスまで二週間もないですね。
そこで今日はクリスマスにちなんだお話です。

<心元気メール> No.639 2014年12月6日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆寒い心にクリスマス・キャロルを!◆◆

12月に入ってから、家事をしながら毎日いろいろなクリスマス・ソングを聞いています。
クリスマスは、私のお気に入りのシーズン。
クリスマス・ソングを聞いていると、何か心の中が暖かくなってきて、素敵な気分になります。

それで、家族での朝ごはんの時にも流しています。
学校や仕事に行く前に、心の中にクリスマス・メロディが流れこんでくると、
一日が素敵なクリスマス色に染まるからです。

実は、冬の始まりのこの時期、季節の流れのままだと、私の心は沈みがちです。
急激に寒くなり、木枯らしが吹いたり、どんより曇ったりする日も多く、
陽が短くなって、太陽の光が足りないのをもろに感じるからです。

最近では、日照時間が短くなるこの時期に発症しやすい
『冬季うつ』なるものが医療の話で出てくるほど、
季節が身体や心に影響を与えていることが知られてきています。

外に出ていると元気になる傾向のある私にとって、
寒くてあまり外に出る気分になれず、またガーデニングもさえない冬は、
正直言って、はやく過ぎてほしいシーズンです。

それで、「あー、はやく春にならないかなぁ」なんて友だちに話すと、
「まだ冬にもなっていないのに!」と笑われてしまいます。

ある意味、真冬より、冬の始まりの方が気分的にはつらいです。
真冬になってしまえば、
「もう少し待てば、春が来る」というしるしをあちこちで感じることができるからです。

新春とはうまく表現したもので、
一月になれば、まだ寒くても陽はだんだん長くなっていき、
植物には早春のしるしがはや表れます。

でも今は、ますます陽が短くなり、どんどん寒くなっていく季節。
そんな時期に、クリスマスの音楽は、私にとって「心の特効薬」です。

この特効薬、いろいろな症状に効きますよ。
寒い心を暖かくし、沈んだ心に高揚感を与え、
傷ついた心に癒しを注ぎ、うなだれた心に希望をくれます。
そして、忙しく疲れた生活に喜びを取り戻してくれるんです。

どうしてクリスマス音楽には、そんなにも不思議な力があるんでしょうか。
それは、クリスマスの音楽には、天からのスピリットがふんだんに含まれているからです。
その音楽は、私たちの魂が必要としている様々な栄養を供給してくれます。

実は、ほとんどのクリスマス音楽は、キリストにある希望と愛を歌っています。
そこには、私たち一人一人に対する神の愛と、救いのメッセージも織り込まれているのです。

日本では英語のクリスマス曲が沢山流されていても、その意味を知る人は少ないことでしょう。
有名な歌手やバンドが歌ったり演奏しているので、
それは普通のポピュラー・ミュージックだと思っている人もいるかもしれません。

でも、その多くは、キリストの誕生や聖書の話にちなんだ歌であり、
もともとは賛美歌であった曲も数多くあるのです。

そう考えると、どうしてクリスマスの音楽にそんな特別な力があるのかわかることでしょう。
今では、ネットで簡単に歌詞や歌の意味を検索することができます。
もし今度、お気に入りのクリスマス・ソングを聴いたら、その歌詞を調べてみてはどうでしょうか。
きっと自分にとって大切な発見があるかもしれません。

この冬、クリスマス・ソングという「特効薬」で、
寒い心を暖かくして、素敵なクリスマス・シーズンをお過ごし下さい!!

週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

読者登録してね

<新しくなった庭>

今日は、二ヶ月ぶりの更新です。
夏から仕事量が増えて、なかなか更新できずにいましたが、
あまりにも忙しくなって、自分でも心のゆとりがなくなってきたのがわかったので、
とうとう、少し仕事を減らすことにしました。

思い切って仕事を少し減らしてみると、
どれほど自分が無理していたのかがわかるものです。

仕事を増やして収入を増やしたいのは山々ですが、
どんなに収入が増えても、気持ちにゆとりがなくなって、
生きている喜びが薄れてきたり、
日々の生活の中に宝を見つけることができないようになってしまうなら危険信号ですよね。

ところで、庭の写真(2ヶ月前に撮影)をアップしましたが、
この庭、以前と違うのに気づかれましたか?

そうなんです。
今までは、家と家の間にある狭い日陰の庭だったのに、
突然、陽当り最高の庭に変わったのです。

というのも、築70年を超える古い隣家を、
持ち主さんが取り壊すことにして、この夏、家の前がさら地になったんです。

真夏に突然の環境の変化だったので、日陰用の花にはきつかったのですが、
今、やっと日向用の花に植え替えたりして、花壇も落ち着いてきたところです。
今までは、冬には日が当たらなかったので、あまり花を育てることができませんでしたが、
今年は寒くなっても沢山の花が咲いています。
次は、もっと新しくなった花壇の様子をアップしますね。

さて、庭が新しくなったところで、
今日は「心を新しくする」ことについてのお話をお届けしましょう。

<心元気メール> No.554 2013年11月23日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆心のリフォーム◆◆

家が古くなってきたり、内装がいまいちに感じられるようになってくると、
人はよく、家のリフォームを考えます。

カーテンを変えたり、壁紙を張り替えただけで、
部屋の雰囲気が大きく変わるあの気持ち良さは、
誰にでも経験があるのではないでしょうか。

さて、神様も時々、
私たちの『心のリフォーム』をしようとされるようです。

私たちの心の中が薄汚れてきていたり、
傷やシミができて、そのままではどうにもならない時、
そして、どこかが壊れてうまく機能していない時、
神様も私たちの心をリフォームするために、
まず、壊れたものや古くなっているものを取り出したり、剥がしたりします。

でもそれは、私たちの心を傷つけたり、いじめたりするためではありません。
そうではなく、より良くしようとしているのです。

でも、私たちから見れば、
どうして突然こんなことが起こらなければならないの・・・と感じてしまったり、
長年そこにあったものが取り去られ、喪失感に消沈してしまったり・・・と、
神様の意図を考える余裕もなくなってしまうものです。

でも、下記のビリー・グラハムの言葉は、とても的をついています。

「神は、何かずっと良いものと交換することなしに、
あなたの人生から何かを取り去られることは決してありません。

その時はそう思えないかもしれませんが、
後になればわかるようになります。
そして、神の知恵と慈しみにあなたは驚嘆することでしょう。

あなたをとりこにしていた悪い習慣を神が取り去る時、
神はそれをより良い生き方と交換されます。

神があなたのゴシップやののしり言葉や陰口を取り去るなら、
神はその代わりに愛と励ましと賛美の言葉を与えられます。

もし神があなたの自己中心的な動機を取り去るなら、
神はその代わりに御心を行うことの興奮と喜びを与えて下さるでしょう。

神のゴールは、
単に私たちの人生から『悪いものを取り去る』ことではありません。
神はそれを、『良い物と交換』されたいのです。
神のご計画は、聖霊によって私たちの内側を作り替えることなのです。」

だから、もし今、心の中で何か大きな葛藤があったり、困難を抱えているなら、
もしかしたら、神様が心をリフォームして下さっている最中なのかもしれません。

そうであるなら、神様に信頼して、
最高のリフォームが成されるように協力しようではありませんか。

または、自分の心の中を見て、今のままではいたくないと感じる人がいるなら、
自ら神様にリフォームをリクエストすることだってできます。

ちょっと怖いかもしれませんが、
よく考えるなら、心を治すことができるなんていうのは、神様にだけできることなんです。

そして、神様は宇宙一の『心のリフォーマー』です。
だから、信頼してこの一時の試練を乗り越えましょう!


週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

読者登録してね


真っ白で大きな「夕顔」の花が沢山咲き始めました。
初めて「夕顔」育てたので、こんなに大きくなるとは知らずびっくりでした。

きっと朝顔や昼顔と同じぐらいの大きさだと思っていたら大間違い。
私の手のひらを広げたぐらいの大きさがあるんです。
夕方4時頃から咲き始めて、翌朝まで咲いています。



ホントは、真夏の日除けになればと思って植えたのに、
夏の間は一つも花が咲かず、
涼しくなった今になってツルは伸びるし、葉は茂るし・・・
でも、11月頃まで花を楽しめるみたいなので嬉しいです。

ところで、今年は本当に自然災害が多いですね。
被災した方々のことを思うと心が痛みます。

特に愛する家族や友人を失った人たちのことを思うと、
いたたまれない気持ちになります。

そんな時、どうか一人でも多くの人が、
天国のことを知り、希望を見出してくれればと願うばかりです。

そのことを考えていたら、ちょうど先週、
天国を経験したある脳外科医についての話が、またテレビで放映されていました。

その話は、去年もテレビで放送されたので、
私はその本を買って読んだことがありますが、
それを読んでますます天国のことを確信させられました。

今日は、そのことについて昨年書いた記事をお届けします。

<心元気メール> No.560 2013年12月10日
発行人:リジョイスY.C.
天国を体験した脳外科医

先日のテレビで、今まで死後の世界を否定していた科学者が、
自分自身が臨死体験をしてしまったことですっかり考えが変わり、
自分が見てきた天国の体験を本にしたことが放映されていました。

彼は世界でも著名な脳神経外科医ですから、
脳の働きや臨死体験とされる事態で起こっていることを科学的にも分析できる人です。
そんな彼が証言していることですので、
この本「プルーフ・オブ・ヘブン」(早川書房)は、旋風を巻き起こしました。

テレビでは、死後の世界を信じない科学者からの見解も取り上げながら、
それでも、どうして天国が存在すると言えるのかを説明していました。

今、彼の本は世界中でベストセラーとなっているそうです。
そこで私も、さっそくその本を家族で読んでいるところです。

今まで信じていなかった医師からの専門的な説明のもとに、
天国の事柄が明かされていくのは、なかなか興味深いものです。

もちろん、これらすべてのことは、すでに何千年も前から聖書に著されているし、
時代を超えて大勢の人たちが実体験を証言していることです。

でも神様は、単純に信じることに苦労している今の時代の人達のために、
わざわざ著名な脳神経外科医の身にこのようなことを起こして、
私たちが信じられるようにして下さっているのだと思います。

また、本を読み終わったら、少しその内容をお伝えしますが、
今日は、科学的な頭脳を持ちながらも、
天国を信じていた人たちの言葉をいくつかお届けしましょう。

「何の形跡も残さず消滅する物体は存在しないことを、科学は発見しています。
物体が消滅してしまうということはなく、
ただ、何らかの形やエネルギーに変換するだけなのです。
もし神が、宇宙のすみずみにまで、この基本的原理を働かせているのであれば、
神が造られた人間の魂にも、その原理が働いているとは考えられないでしょうか。
私はそう思います。」
-- フォン・ブラウン博士 (米宇宙開発の先駆者)

「私たちの生き方には二通りしかない。
奇跡など全く起こらないかのように生きるか、
すべてが奇跡であるかのように生きるかである。」
-- アルベルト・アインシュタイン

「死とは、今の家を出て、新しい家に住むことである。
地上では生きる目的が数多くあるが、次の人生ではさらに多くの目的がある。
死は人から人生を奪ったりはしない。
ただ、次の人生を豊かにするだけである。」
-- チャールズL.アレン

「天の世界について考えたり、話したりするのは悪いことではない。
私たちは皆、いずれそこに移住し、そこで永遠に暮らすようになるのだから。」
-- ドワイト・L・ムーディ 

「ああ、向こう側はとても美しい。」 
-- トーマス・エジソン (米国の発明家)

週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

ペタしてね

<沖縄の海>

今まで夏には海に行っていたのですが、
今年はとうとう海に行かずに秋がきてしまいました。

海大好きの私と、海嫌いの主人・・・
息子が小さかった時には子どものためにと海に行ったものでしたが、
もう息子もそういう年ではなくなってしまい、
今ではあまり海に行くチャンスがなく、私は海が恋しいです。


<静かな浜辺とボート>

でも、考えたら今年は、春に沖縄の海を見てきたんですよね。
そこで今日は、前にアップしていなかった沖縄の海の写真を交えながら
記事をお届けしてたいと思います。


<沖縄の海は本当にエメラルド・グリーン>

<心元気メール> No.615 2014年6月23日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆「一人で偉業なんて、そら言だ!」◆◆

私は歴史ドラマを見たり、偉人伝を読むのが好きです。
そこには興味深いエピソードが沢山あるばかりか、
自分の人生に当てはめられる教訓が山ほどあるからです。

ところで最近、ある記事を読んでいた時、
一つの言葉が、とても強く私の心に響きました。

「一人で偉業を成し遂げるというのは、そら言だ!」

何とインパクトのある言葉でしょうか。



これは、現在、企業や組織の管理職育成、ビジネスマンの能力開発を手がけ、
数多くの著書を出版して「世界一のメンター」とも言われている講演家であり、
同時に牧師でもある、ジョン・C・マクスウェルの記事にあった言葉です。

確かに、そう言われてみれば、
どんな偉人伝を読んでも、その人がそこまで大きな人物になった陰には、
あらゆる人々の助力があったのが分かります。

でも、私たちはつい、その有名になった一人のことばかりを覚えて、
その周りの人たちのことは忘れてしまいがちです。



ジョン・C・マクスウェルは、こう説明しています。

「私たちは個人の達成を称賛しますが、
一人の人が偉大なことを達成できるという考え方はそら言です。
独力ですべての敵に立ち向かえるランボーのような人物は実際には存在しません。

ローン・レンジャーでさえ、全くの一匹狼ではありませんでした。
彼がどこへ行くにも、トントがお伴したのです。

表には現れないものを見ましょう。
そうすると、一見独力による行動とも見えるものが、
じつはチームによる努力の成果であることがわかるのです。

アメリカ合衆国の開拓者ダニエル・ブーンが「荒野の道」を切り開いた時には、
トランシルヴァニア会社の者が同伴していました。
保安官ワイアット・アープには 二人の兄弟とドク・ホリデイという味方がいました。

飛行家チャールズ・リンドバーグは、セントルイスの9人の企業家から支援を受けており、
また、飛行機を制作したライアン航空会社が保守点検してくれました。

相対性理論によって世界に革命を引き起こした科学者アインシュタインは、
自分一人の力で研究したのではありません。
研究成果が他の人たちのおかげであったことについて、アインシュタインはかつてこう言いました。

『自分の外面的・内面的生活が現在と過去の研究者仲間の労苦の上に築かれていること、
そして、受け取ったものへのお返しをするには、どれほど熱心に働かなければならないかに、
私は一日の内何度も気づかされるのです。』

確かに、歴史には多大なリスクを冒した多くの強力な指導者や革新的な人物の達成が記されています。
しかし、これらの人は常に、チームの一員なのです。‥‥


中国にはこんなことわざがあります。
「有能な男の背後には必ず別の有能な男がいる」。

チームワークこそ、偉業の要にあるというのが真実です。
チームで働くことに価値があるかどうか、という問題ではありません。
問題なのは、私たちがその事実に気づき、より優れたチームプレーヤーになるかどうかなのです。

たった一人で偉業を成し遂げることはできないと私が断言する理由はそこにあります。
一人では真に価値あることは何も成し遂げられません。
それが重要性の法則なのです。」
         —ジョン・C・マクスウェル
(アンカーからの転載)



これを読んで、私は自分の周りでいつも私を支えてくれている人たち、
そして、一緒に働いている人たちや、今まで私に影響を与えてきてくれたあらゆる人たちに、
もっともっと感謝しなければいけないと、改めて思いました。

同時に、自分が大したことを成し遂げてはいないと感じる時でも、
自分の分を果たし、少しでも誰かの役に立つことをしているなら、
私たちは皆、勝利チームにいることになるのだと励まされました。

私たちが日常生活の中でする小さな行動や決断は、
人からは忘れられてしまいますし、歴史には残らないことでしょう。

でも神様は、それら一つ一つを全てご覧になっていて、
天で報酬を渡される時には、しっかりと報いて下さるのです。

そして、私たちが何よりも覚えておかなければならないのは、
すべての背後で私たちを見守り、豊かな人生へと導こうとされている神様の愛と恵みです。

聖書には、こんな言葉があります。

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。
しかし成長させて下さるのは、神である。
だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。
大事なのは、成長させて下さる神のみである。
植える者と水をそそぐ者とは一つであって、
それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。」
(第一コリント3:6-8)

「人の子(キリスト)は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、
その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。」
(マタイ16:27)

これを心に覚え、私たちが神様が与えて下さったチームにおいて、
良きチームメンバーとなれるよう全力を尽くすことができますように!!


週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

ペタしてね

<友人の住む山間の村>

子どもの夏休みも終わり、新学期が始まりました。
今日は、遅くならない内に、
夏休みに行った秋田の友人宅への訪問の記事と写真をアップしたいと思います。



秋田に住む友人の家の前には、きれいな水の流れる沢があって、
泊めてもらった部屋の窓を開けると、水のせせらぎが聞こえました。
私は流れている水の音を聞くのが大好きなので、
その音を聞いているだけですっかりリラックスしてしまいました。



一泊した翌朝、私はカメラを持って、まずは近隣を散歩してみました。
薄曇りの山間の村はとても静かでした。
朝露に濡れた植物があまりにもきれいだったので、
その時に撮った写真を交えながら、記事をお届けしますね。



<心元気メール> No.622 2014年8月20日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆「不必要な物を持たない」生き方◆◆

お盆の間、私は息子と一緒に、
秋田にいる友人の家を訪問していました。

彼らとは家族ぐるみの長年の付き合いです。
私は一人しか子どもを授かりませんでしたが、
その家族には12人の子どもたちがいます。

小さい時に息子は彼らと四年間ほど一緒に暮らしていたので、
そこの子どもたちは、息子にとっては兄弟のような存在なのです。



息子も私もずっと大家族を羨ましく思っていましたが、
こればかりは、それぞれの家族に神様の計画があるのでしょう。
息子はどうしても妹や弟がほしいと願っていましたが、それは叶いませんでした。

だから、この家族との付き合いは、とても貴重なもので、
息子はどんなに遠くても、彼らに会いに行きたいということで、
夏休みを利用して彼らの家を訪問することにしたのです。



彼らかが住んでいるのは秋田の山奥。
150人ぐらいの老人ばかりの小さな集落に住んでいます。

最初は、放射能から逃れるためと、
一人暮らしの年老いた母親の面倒を見るために越していったのですが、
今ではその集落に自分たちの新しい家を見つけ、
畑仕事をしたり、薪小屋を建てたりして、
それまでの都会生活とはまったく違う生活をしています。



そんな田舎生活がどんなものかを見てみたいと思っていたので、
今回の訪問はとても興味深いものでした。

私たちが住んでいるところも随分と田舎ですが、
それでも、普通の生活ができ、なかなか便利な場所です。

でも、秋田の彼らの集落には、民家以外のものは皆無で、
唯一小さな食品店が、少しのお菓子と調味料などを売っているだけでした。

一番近いスーパーは、歩いて30分。
それもコンビニを少し大きくした程度のもの。
普通の買い物をするためには、車で一時間は行かないといけないとのこと。


<息子は畑のジャガイモ掘りのお手伝いをしました>

私が「買い物大変だねぇ」と言うと、
「でもね、お店が近くにないと、お金使わないからいいよ」との返事。

その答えに、私はつくづく考えさせられました。
確かに、お店が近くにあるだけで、
人は必要でないものも、簡単に買ってしまうんですよね。



彼らのところで、数日間、超田舎のシンプルライフを経験して、
私は、すっかり心の疲れがとれたような気がしました。

不必要なものが何も置かれていない客間に寝転んで、
窓から青空と白い雲を眺め、近くを流れる水のせせらぎを聞いているだけで、
どんどん心が安らいでいくのです。

不必要な物がないこと、物で溢れていないことが、
こんなにも気分をすっきりさせてくれることに驚きました。



もちろん、自分には彼らのような生活ができるとは思いません。
自分の仕事や家族のこと、そして健康状態を考えるなら、
神様が今与えて下さっている環境が、自分には一番合っていると感じています。

でも、物に囲まれていない彼らのシンプルライフを見ていて、
自分なりに学びたいなぁと思ったことがありました。
それは、「不必要な物を持たない」という生き方です。



彼らのところと違って、私たちが住むほとんどの日本の環境は、
「これはお買い得だよ」「今は特別キャンペーン中ですよ」みたいな宣伝文句と共に、
沢山の物が、私たちの目の前に突き出されている状態です。
そして、いつのまにか、私たちの周りには必要ではないものが溜まっていくのです。

自分の環境をシンプルに保つことがとても気分をすっきりさせることを体験して、
ぜひ、もっと自分の身の回りや、選択基準をシンプルなものにしてみたいと思ったのでした。

他の人の生き方をそのまま自分に当てはめることは、
普通なかなかできるものではありませんし、
また、それを神様が望んでいるとも思いません。

でも、いつでも、他の人の生き方から学べること、応用できるものは沢山あります。
だから、時には、自分とはまったく異なるライフスタイルを持っている人達と接することはいいことですね。


週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。

ペタしてね

<庭のインパチェンスが満開です>

来客や仕事が重なってなかなか更新できませんでしたが、
やっと今日、落ち着いてきたところです。

忙しくしている間に、庭の花は次から次へと咲いては散っていきました。
皆さんに見せたかった花が沢山あったのに、
写真を撮れなくて残念・・・
でももこれからまた、アップしていきますね。


<家の中から見るとこんな感じです>

それては、今日は自分の庭の花を見て思ったことを書いた記事をお届けします。

<心元気メール> No.520 2013年5月21日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆庭を見て想うこと◆◆

今、私の庭では、あらゆる種類の花が満開となり、
小さいながらも素敵な花園となっています。

塀も柵もない家なので、道行く人が立ち止まって花を眺め、
ガーデニングをしていると、毎日必ず誰かが話しかけてきます。

「ここの花、毎日見せてもらっているのよ。」
「ここを通ると、明るい気分になるわ。」
「友達がここのお花のこと教えてくれたので、見に来たの。」

どうやら、近所では『花好きの家』と噂にまでなっているようです。

話しかけてくるのは、近所のおじいちゃん、おばあちゃん、奥さんたち、
そして、健康のためにそこを散歩道としている人や、配達の人たちです。

皆来るたびに、花の育て方について尋ねてきたり、家族の話をしたりと、
いつのまにか友達のようになっています。
最近では、花が増えすぎて、ほしい人に苗をあげたり、
挿し木のために芽を分けてあげたりしています。
まるで、みんなのためのオープンガーデンです。



時には、
「これだけ花があると世話が大変でしょう?
どうしてこんなに花が元気なの?」と言われますが、
そんな時には、私はこう答えるのです。

「みんなが見てくれるから、お花もどんどん元気になるんですよ。
植物も、人間ね、毎日誰かが気にかけて、元気にしているかなと様子を見て、
『きれいだねぇ』と言ってあげるだけでも違いが出るんですよ。
だから、こんなにきれいに咲いたのは、皆さんが見てくれるおかげでしょうね。
また、いつでも見に来てあげてくださいな。」

それは、本当のことで、植物にとっても、人間にとっても、
そんな毎日の小さな思いやりの積み重ねが、とても大切なのです。

もし私たちが、自分の周りにいる人たちに対しても、
毎日小さな愛と思いやりを持って生活するなら、
きっと私たちの社会も、少しずつ小さな花園のようになっていくかもしれないと思いました。

ところで、私はほとんどの時、自宅でコンピューターに向かっての仕事をしています。
だから、仕事の合間に、毎日息抜きとしてガーデニングをしているのです。

それは、私の疲れた眼のためにもいいし、ストレス解消にもなりますし、
庭の花を眺めながら、瞑想の時を楽しむこともできます。

何よりも嬉しいのは、ガーデニングをした後には、
気持ちがすっきりして、よく新しい発想が浮かぶことです。

だから最近では、気分が滅入ってきたり、物事に行き詰まっているように感じてきたら、
数分でも庭に出て、花がらを摘んだり、草むしりをしたりして、また仕事に戻るのです。
自然がすぐそばにあるというのは、なんという祝福なのでしょう。



でも、最初この家に越してきた時には、
ここまでガーデニングがうまくいくとは思ってもいませんでした。
家と家の間にある日陰の庭と、
コンクリートで固められた駐車スペースしかなかったからです。

思考錯誤を重ねて始めたガーデニングを通して、
つくづく、探せば方法はあるものだと感動している今日この頃です。

何事に関しても、
『できっこない』と決めつけたりせず、できる方法を探すなら見出す・・・
この教訓を、これからの人生にも生かしていきたいと思っています。


週2-3回で、無料メルマガ「心元気メール」も発信しています。
登録はこちらからできます。
心元気メール
空メール登録はこちらからどうぞ。