外房線 土気駅と大網駅間の残る旧線の痕跡 中編 | トリブログ

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とにもかくにも道が好き。
廃道と隧道、地形図と運転を愛する石井あつこが廃道のことを綴るブログです。
たまに温泉や着物、日常の話もするかも。

外房線 土気駅と大網駅間の残る旧線の痕跡 前編の続き

 

戸建て住宅が途切れた先には福祉施設があった。ここまで大掘割は完全に埋められている。

福祉施設を通り過ぎると

 

見覚えのある山門が現れた。

 

山武地方誌の写真に写っていたあの山門だ。(右上)

 

ということは、

隧道は福祉施設の真下あたりに埋まっているということになる。むむむ、残念。

 

山門の他にもう一つ、写真に写っているものが残っていた。

山門の横にある跨線橋がそれだ。

 あいにく跨線橋の親柱の扁額は外されている。

完全に埋めたわけではなく、微妙に隙間が空いているので橋の下にもぐることはできた、が、まぁそれだけだ。

 

明治29年に蘇我~大網間が房総鉄道として開業した当時、土気から大網の区間は最大の難所だった。

20‰の急勾配と急カーブ、掘割と全長354mの土気隧道で攻略していたのだが、この土気隧道は断面狭小で機関車の排煙がまとわりつき、魔のトンネルとも呼ばれてようだ。

関東大震災や昭和25・26年の地震による破損及び老朽化の為、昭和27年から土気隧道を掘割化する工事が行われたが、全ての開削はできなかった。

中途半端に40mの隧道部分を残して工事は昭和29年に完了し、この区間は昭和47年に新土気トンネルが完成するまで利用されていた。山武地方誌に載っていたのは、この昭和29年から47年までの“深い掘割&ちょこっとだけ隧道“時代の写真だ。

 

 

続く

 

 

 

これからハイボールの季節なのでw