わたしの中庸。 | 「読む!ことぴよでいず。」

「読む!ことぴよでいず。」

学ぶ心と優しさを忘れない女優になりたいです。
ゆるくやわらかく生きる、ことりのまいにち。



最後にブログを書いた2019年10月から、約1年半ほど経ちました。読み返すと恥ずかしくなる自分のブログですが、以前に書くことを再開した時も、最後に書いた時から約1年半の時が経っていました。(読み返して気が付いた)。その時にも、やはり自分のブログを読み返すことを恥ずかしく思っていたようです。

過去の文章は恥ずかしいけれど、今日読み返しましたら、過去の自分が愛おしくて涙が出ました。1年半、そういうサイクルで、私は生きているのでしょうか。。。


「そもそもあなたは泣き虫で、いつだって泣いてしまうじゃない」という声が聞こえてくるけれど、ひみつ。





最後のブログが「ネガティブウイルス」でしたね。

その間世界は、コロナウイルスに転がされて、2019年10月とは違った景色となりました。ウイルスウイルス申せども、ウイルスだけに関わらず、いつだって見えない何かと戦いながら生きてきたことには、変わりないように思っているわたしです。

ウイルス対策のため、マスクをつけて外出することが常識となった今日ですが、残念ながら、ネガティブウイルスはマスクでは防ぐことができません。もちろんアルコール消毒でだって死滅しないのです。

ネガティブウイルスの対策を考えなくてはいけないですね。




自分の心がうきうきして、わくわくして、ときめくことを、たくさんしてあげたいです。

中庸というと、わたしは波がある図を思い浮かべます。悲しい出来事があるときは続いて悲しいことがあるし、嬉しく幸せな出来事があるときは続いてそういった出来事がある、そういう期間の波があると感じています。そしてそういった波がある状態を中庸だと捉えています。(わたしはね。)


ちょっと前まで、楽しい気持ちになる出来事が続いていましたが、今の私は、特に今月は、煩わしい出来事が多く、心がざわざわとしていますので、しばらくはまたそういった時期が続くのだろうと感じています。


どれだけあがき、もがいても、そういう波の中にある時はどうしようもないのだと、ごうごうと流されてみる勇気もまた必要なのだと、私の浅い経験が教えてくれました。

流されていると、あるとき流れ着いた島で、新しい風や景色、希望を感じることができ、楽しく幸せに?過ごせる時間がやってくるのです。そうしてその幸せも日常になってゆき、感謝を失ってしまいそうになるところに、また大きな波がやってきたり、好奇心に駆られて海へ出てしまったりする。そうして心を消耗してしまう。どうしようもなく心を煩わせ、心調と体調をズタボロにするこの海から早く脱出したい。わたしを幸せの島にとどめていてくれる人間が、わたしの愛する人間であってほしい。そんな旅にも出てしまう。






考えれば考えるほど、気持ちが落ち込んでいってしまう出来事。あなたの悲しみはなんですか?あなたの懺悔を許したい。なんて。わたしはそんな大それた人間ではないけれど。











わたしの中庸は、1年半で構成されているのかしら。。。




久しぶりのブログでした。