幼い記憶、方南町へ。 | 「読む!ことぴよでいず。」

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学ぶ心と優しさを忘れない女優になりたいです。
ゆるくやわらかく生きる、ことりのまいにち。




出身地は埼玉県の私ですが、3歳頃から小学校1年生まで、東京都杉並区方南町に住んでおりました。(ちなみに3歳頃まではソウルにいた。)


前々から方南町へ行きたいと思っていたのですが、純粋な子どもの私が楽しく過ごしていた町が、記憶と変わっている様を見るのが怖くて、行く踏ん切りがつかず、ずっと行けていませんでした。

最近心の核を探して、古事記を読み進めたり、昔好きだった映画を観たりしているのですが、幼い頃暮らしていた方南町にも、私の心の核がふわふわ浮いているかな、と思い、ちょっぴり緊張しながら、今日、足を運んでみることにしました。




行けばわかるかな?と思い全く何も調べず降り立った丸の内線のしっぽ、方南町駅。


嗚呼!!!!!!!!!!!!!!!



降り立った瞬間、すぐにわかりました。あの商店街、あの道。曲がったところに当時住んでいた社宅があったの。帰らなきゃ、こっちゃん。こんなところで何しているの?

何も見ずともわかる。お店の細部は覚えていないけど、変わっていない、この雰囲気。


ここは私が住んでいた頃からパン屋さんで、シールを集めるとレゴブロックがもらえるとかで、よく食べていた気がする。当時からリトルマーメイドだったのかな。



保育園の卒業文集に「大きくなったらパン屋さんになりたい」って書いたわたし。初めてアルバイトしたのは蕨駅のリトルマーメイドである。これが潜在意識?なのか?やはり未来とは変えられると思っている過去なのか??



そんなことを考えながら、何も迷わずその先の角をまがり、当時住んでいた社宅の前につきました。

そこに当時住んでいた社宅はもう無く、綺麗な集合住宅が並んでいました。住んでいた社宅がもう無くなったことは知っていたけど、いざ目の前にするとやっぱりとても寂しい気持ち。もう2度とあの場所には帰れないんだなぁ。色んな記憶と感情が次々に湧き出て、方南町の私を包み込む空気からも身体に染み注ぎ、心がパンクして溢れそうで吐き気がしてきました。私は心がごうごうと許容範囲を超えると気持ちが悪くなってしまう人間なのだ。
私が住んでいたころ、社宅は団地のようになっていて、棟ごとに広い緑があり、毎日そこで父や弟、社宅に住む子どもたちと遊んでおりました。バッタを追いかけたり、おジャ魔女どれみごっこをしたり、謎の葉っぱからエキスを抽出してお茶を作ったりしていました。あの時の子たち、どうしてるのかなあ。1人は昔、舞台を見に来てくれて、全然変わっていなくて、不思議な気持ちになったな。来てくれてありがとう。

そんな緑も全く消えてなくなり、そこはコンクリートで埋め固められ、堂々たる綺麗な集合住宅に変化しておりました。
社宅の隣にあり、よく遊んでいた小さな公園(A棟の隣にあったのでA棟公園と呼んでいた)も埋め固められ、集合住宅に付随する商業施設に変わっていました。わたしの笑顔も今はもう、コンクリートの下にあるんだな。




(当時の社宅。あそんでいたところ。実家に行けばたくさん写真があるのですが今スマホのフォルダにある写真がこれしかなかった)


吐き気がしてくる身体を引きずりながら、今度は通った小学校へ歩みを進めました。ゾンビのように方南町を徘徊する大人になったこっちゃん。

わたしが通ったのは、方南町にある、方南小学校。地図を見ずとも今いる場所からの行き方を覚えていることに驚きましたね。





この坂を下ったところにあります。この坂、もっともっと大きな傾斜がついた坂だと思っていたけれど、今歩いてみると緩やかな坂でした。この坂でバイクにひかれかけたことを思い出します。
川にかかる小さな橋をこえて行くと…。



わあ。ここだ。

何度も通った方南小学校。。。




小学校に上がる前にも、小学校の中で遊んでいたり、隣にある児童館で遊んでいたりしたので、非常に馴染みがあるこの景色!!

1年生の時の体育祭。おさかな天国を踊りました。




小学校の景色、全然変わっていないなぁ。わたしはすっかり、成長してしまったよ。おさかな天国を踊っていた時の君は、今のわたしを、愛してくれるかな。




色んな友達のことも思い出します。まなちゃん、ゆかりちゃん、はらしまくん、ひでくん、みゅうとくん、、、、みんなの声が聞こえてくる。他にもたくさん、、、そんな子達は、みんな、むさしの保育園からずっと一緒でした。
神田川に沿って歩いて、むさしの保育園にも行ってみたけれど、そこにはもうわたしの知ってる園庭も校舎もありませんでした。むさしの保育園自体はあったのだけれど、全然違う格好になっていて、全く寂しい気持ちになりました。それはわたし自身にも言えることなのかな。わたし自身は存在してるけど、あの頃とは全然違う格好になっているものね。
保育園の近くにあった公園も、もっと遊具がたくさんあったような気がしていたんだけど、小さな滑り台のアスレチックしかなくて、ここでどうやって遊んでいたのか?と思いました。むさしの保育園から出てくる親と子どもたち。過去のわたしの亡霊か?。両親はこうやってここに何回も送り迎えに来てくれていたんだな。今ではひとり、ここへやって来たよ。




社宅の近くにあった八百屋さんは、今でも変わらずありました。驚きました!はじめて1人でおつかいに来たのはこの八百屋さんでしたね。



このお店がまえ、よく覚えています。懐かしいな。なんだか素直にうれしい気持ち。なんでかな。こころと同じように存在してくれていたからかな。

はじめて通った歯医者さんも、初めて杏仁豆腐を認識した中華屋さんも、まだありました。中華屋さんは、八百屋さんの近くにあって、階段で地下へ降りたところにあるのです。当時は確か杏仁豆腐がセルフサービスだったので、たくさん食べていた気がします。食べて帰りたかったけど、記憶に打ちのめされゾンビ化したわたしの身体には無理でした。また来ます。今度はきっと食べられるはず。








久しぶりに歩いてみた方南町。幼い頃のわたしは、もっともっと、広い町を歩いていたけれど、今日はとってもこじんまりとしていたよ。駅から家も、家から小学校も、当時はもっと遠かったな。方南町に住んでいた頃、わたしにとっての世界はこの方南町でしかなく、とっても幸せな記憶が落ちている、幼い世界。


あの頃は良かったなんて、言いたくないけれど、あの頃は良かったなって、感じてしまうわたし。どうして心とは裏腹に、成長してしまうのかな。
こっちゃん、こっちゃんと、声に向かって走り抜けた商店街。あの頃の琴里と、いまの琴里は、本当に同じ人間なのかな。あの子はどこかで死んで、わたしは別の肉体で、記憶だけ注入されたみたいな感覚です。





色んなことを書きましたが、行けてよかったです。自分の成長を身体で感じました。父にラインしたら「時代は変わるのだ」って返事がきました。それにつきるな。父は私が幼い頃よく遊んでくれて、方南町には色んなところに父の記憶がありました。わたし、父が生きている限りは死なないって決めてるんだ。





心の核に、ちょっぴり近付けたかな。