お花が好きな、わたしたち。 | 「読む!ことぴよでいず。」

「読む!ことぴよでいず。」

学ぶ心と優しさを忘れない女優になりたいです。
ゆるくやわらかく生きる、ことりのまいにち。




お花が好きだ。
世の中の人間諸君のなかには、お花に全く心が動かない君もいることだろう。そんな君に、今日はお花のお話です。

芸能に携わっていると、ありがたいことにお花を目にする機会が多くあります。舞台でのスタンド花や楽屋花、撮影時のセットで使うお花だったり、クランクアップでいただくお花、その他にも様々な場所でお花が空間を彩ってくれます。
わたしはお花を見るたび、その運命を含む美しさに、想いを寄せるんだ。






花は儚く、美しい。とは、よく言われますね。
自然界のお花たちの美しさは然ることながら、観られるために作られた、観賞用の生花たちこそ、もののあはれなり。と、わたしは感じております。
長い時間をかけて丁寧に育てられたところに、やっと美しい花が咲いたと思ったら、プツンと美しい場所だけ切り取られて。名前も知らない人に値段をつけられ知らない場所で売りに出されて、買われて、観られて、枯れたら、ゴミ箱へポイっと、捨てられる。運が良ければ、そのあとドライフラワーにしてもらえて、美しいまま永く眼差されることになるの。ドライフラワーにするのも、失敗されてしまうこともあるけれど。


いつだってお花は、視界を華やかに彩る、あなたのお飾り。そこには意志も感情も要らず、ただ短い命である美しさが儚く存在するだけなの。美しい時期だけ1番美しく飾られて、観られて。人間たちが、美しいものに、本当は意志も感情も望んでいないって知ってる。だからお花は何も語らないの。



そんなお花の辿る運命が好き。わたしもお花になりたい。(それか、家の中から一歩も出ないで死んでゆく猫。)この煩わしい感情がなければどんなに楽に生きられるだろうと思うけれど、美しさは感情からきているから、苦しみも痛みも美しさね。と納得させる。


お花を見るたび、その運命が含む残酷で冷酷な美しさに、寒気がするほど惹かれるの。ちょっと変かしら。

きっとわたしもね、いや、この世の女の子みんな、1番美しい時だけ眼差されて、枯れたら捨てられるって、気が付いている。世界はそういうメッセージを発しているし、時代はそうやってめぐっているし。動物的な生殖本能としても、そういうものなんじゃないかと思うしね。
どれだけ人間たちに美しさを消費されても、お花とあなたに罪はないわ。枯れたって、その枯れた様の美しさに気がつかない人間の感受性の薄さがよくないのよ。枯れたあなたも美しいと…あら、それは愛かしら?









わたしの美しい時期は、いつでしょうか。わたしが誰かに刈り取られ、美しさを眼差され、枯れたと思われ、捨てられる日。そんな日はきてほしくないけれど。
お花を見るたび、そんなことを思うの。


芸能の様はお花のもつ運命に似ているから、この世界では様々な場所で、お花が気持ちとして贈られあうのでしょうね。



(あ、誤解なきように言っておきますと、お花をいただくことはとっても嬉しいです!お花大好きだから!)



わたしがお花を好きな理由、少し分かっていただけましたか?
琴里の、おはなのおはなしでした。♪