父と芸術と。 | 「読む!ことぴよでいず。」

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学ぶ心と優しさを忘れない女優になりたいです。
ゆるくやわらかく生きる、ことりのまいにち。




幼い頃、父は私にたくさんの本を読み聞かせてくれた。成長し本が読める様になったら図書館へ連れて行って、たくさんの本を読む機会を与えてくれたし、一緒に絵本を描いて物語も作ってくれた。そのなかでも「梅干しマンの冒険」という絵本はよく覚えている。
漫画もたくさん読ませてくれたし、公園で絵を描いたり、映画もたくさん観せてくれた。振り返ると、わたしの芸術の世界は、父によって開かれていたのだと思う。(そして私の教育は完全に母によってなされていた)

今でも父に会うと、わたしを美術館や動物園へ連れて行ってくれる。大人になってから様々なかたちの父親がいることを知ったが、私はとても優しい父のもとに育ったのだと思う。


父は寝る前や電車の移動中、いつも本を読んでいた。自己啓発的な本を読んでいるところは見たことがなく、大抵の場合小説だった。
部屋には父の本棚があり、そこは、父が気に入った本は本棚に残り、気に入らなかったものは古本屋に売られ、その時また本を買い、本棚に追加され、というサイクルで本が入れ替わっていた。
小学生の頃はよく弟と一緒に古本屋さんに連れて行ってくれて、好きな本を選ばせてくれたりもしていたが、自分で選んだ本はそれぞれ自分の本棚に追加されていた。

いずれにせよ、私が読む本は、ほとんどが父親の本棚から取っていったものだった。気に入ったら本が売られる前にこっそり自分の本棚に入れたりしていた。母や弟もそうだった。
たまに図書館で借りた本を父に勧めて読ませたりしていたが、特に感想を教えてもらった記憶はない。思い出せないだけだろうか。


現在父は香川に単身赴任している。年末に遊びに行った時、その家の本棚には、中村文則さんの本が多くあった。私は中村文則さんの狂気的な暗さを感じる文章が好きだ。
「中村文則だ。ことり中村文則すき。」と伝えたら「おーお父さんも好きなんだ。」と返してくれた。嬉しかった。血は裏切らないのだとその時感じたが、この25年間(俗に言われる時間の単位を使うなら)父が選んだ本ばかり読んでいたのだから、趣味が似通うのは当然のことである。私の小説の趣味は、父の世界によって形成されたものなのだ。



父から様々なかたちの芸術を与えられたが、そういえば特にそれらしい感想や主張を聞いた覚えがない。「おもしろかった」だったり「なんかいいね」だったり、覚えているのはそれくらいである。一緒に眼差しても、いつも特にそれといった感想を言うこともなかったし、求められたこともなかった。私が伝えたことに否定的に返すこともなかったし、感想を言っても「良かったな」と特段褒められることもなかった。今思うとそれくらいの気楽さが、私が芸術を好きになった理由の1つなのかなと感じる。言語化を強制することなく、その時間や、感覚を楽しませてくれた。(そんな大それた意味はなかったと思うが、毎回意見を求められていたら好きにはならなかったかもしれない)
それぞれの世界があり、気楽に心で感じれば良いのだ。

父は動物も愛していたな。

わたしが好きなものの所以は、父の世界にあると感じたと書き綴ったが、むしろ逆で、わたしが興味を感じている世界に、父が連れて行ってくれていたのかもしれない。。。と今ふと思った。。。
うーん、父はあまり多くを語らない人だったから、どっちなのかは分からないけれど。


父と芸術と、そして、わたし。
そんな小話でした。