夜の戯言。 | 「読む!ことぴよでいず。」

「読む!ことぴよでいず。」

学ぶ心と優しさを忘れない女優になりたいです。
ゆるくやわらかく生きる、ことりのまいにち。




夜のなか。ワンルームの窓から、街灯を見ている。空気は静寂を溶かして、風と成り私の身体を撫でてくれる。今日は眠れる気がしないなぁ。私はそう感じながら、光り輝く街灯を見ている。ここからは月も見えないから、月などこの世には無いのではないかと思えてくる。だってこの夜を照らしているのは、等間隔に並ぶ何十個もの街灯である。人はこんなにも暗闇を恐れているのか。やはり視界が悪く目が見えなくなるということは、古来よりこの現代においても致命的な現象なのだな。と、感じる。


目で思い出したのだが、「夢か現か(ゆめかうつつか)」という言葉がある。夢は寝目(いめ)であり、現は映す写す撮す(うつす)など、どちらも目を使って捉える意味を含んだ言葉である。この言葉からも、私たちは世界を視覚的に捉えているのだな、と分かる。(と、私が勝手に推測しているand説明が下手)
視覚で状況を判断できないことには、世界も存在しないらしい。(となると他の言語の夢とか現実とかの意味も知りたくなる。物知りな方どうか教えて下さい)


話が逸れてしまったな、と思いながら、また街灯を見つめる。なんだってあんなに煌々と光り輝いているのだ。街灯よ。私が今いるこの鉄筋コンクリートに覆われているマンションのように、不自然極まりない物体である。安心安全とは、不自然なことなのだな。そして資本主義とは、どうやらコンクリートに囲まれて生きることらしい。

昔、この辺りはどんな景色が広がっていたのかなぁ。500年くらい前は、1511年か。戦国時代の関東平野、私の乏しい知識では、この場所がどのような時代だったか分からないから、勝手に想像する。戦を破れたり、逃げきたものたちがぱらぱらと集まってきて、人が増えてきたのではないかな。この辺りでも戦っていたのかな。その時代のお化けが今いたらぜひお話をききたい。あ、いいね。うん、そうだ。
私がお化けになったら、未来の君に、過去のお話をたくさんしてあげよう。
これまたさらに500年遡って、511年、この辺りに人はほとんどいなかったろうな。数少ない人間たちが、暗闇に身を潜めていたかな。
2011年のわたしも、1人暗闇に身を潜めている。鉄筋コンクリートから街灯を眼差してはいなかったろうけれど。






なんやかんやと、私の夜の戯言でした。
星と空を飛びたいな。