わたしはドクダミ? | 「読む!ことぴよでいず。」

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学ぶ心と優しさを忘れない女優になりたいです。
ゆるくやわらかく生きる、ことりのまいにち。




私はなぜ人間なのかな、とよく思います。
なぜそこに生えているドクダミではなかったのかな。
ドクダミには、こころ、は、あるのかな。ないのかな。ドクダミもタネから根を伸ばし、成長し、ああもっと太陽を浴びたい、水が欲しいなどと、人の心とは違った形で、欲求していることだろうけど、それは、こころ、とはちょっと違いそうね。
あ、ググってみたら、ドクダミは湿っぽい陰地が好きらしい。だからもっと陰へ、陰へ、湿り地へ、などと欲求しているのかな。

ドクダミは、なぜドクダミとして生まれてきたのかと思考するのかな。あなた「ドクダミには考えるという細胞?が無いから考えないよ」って言うかもね。「人間とは違ったかたちの、ドクダミなりの思考細胞があるかもしれないじゃない」と、ドクダミの構造など1ミリも知らないわたしは言うの。

この雨をドクダミは喜んでいるかしら。わたしは喜んでいるよ。だって晴れより雨が好きよ。明るさより暗がりが好きだしね。こんなふうに書くと、ドクダミの好みの地と大差ないじゃないと思ってしまう。わたしだって湿っぽい陰地が好きなのに、そんな好みの一致だけでは私がドクダミであることにはならないみたい。そうね、ドクダミはカフェでコーヒーを飲まないしね。私が人間だから、カフェで何事もなくコーヒーを飲みながらブログを書くことができるのね。

もしドクダミがカフェでコーヒーを飲んでいたら、世界中の大ニュースとなって、きっとそのドクダミは超有名ドクダミとなり、もうそれはドクダミではないものとして認知されてゆくのでしょうね。

私はなんで人間なのかな。なんでドクダミじゃなかったのかな。なんで猫でもハムスターでもなく、人間なのかな。人間でなくちゃいけないのかな。この思考も、どうしようもなく人間で、いやになっちゃうな。




(こんだけドクダミの話ししててドクダミの写真じゃなくてすみません。笑)




人間やめたいな。やめます!って言ってやめられるもんでもないみたいだけれど。






人間か。ポジティブにこの自由を、もっと楽しみたいな。
誰かとシェアハウスでもしてみようかな。ドクダミの花壇のように、人間たちも、寄り添って生きるが良しなのかしら。