ひな祭りは「女の子の日」ではなかった? | 幸食研究所ブログ

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「ひな祭り」は女の子の成長を祝い、ひな人形を飾ってお祝いする・・・
そんな日だと思われている方が多いと思います。

当然、純粋にお祝いするだけでも良いのですが、ひな祭りの由来を知り、子どもたちに伝えて行くことも大事です。

◎ひな祭りの由来

季節の変わり目は災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられ、3月最初の巳の日=上巳(じょうみ)に水辺で禊(みそぎ)を行ったり、盃を水に流して自分のところに流れ着くまでに詩歌を読む「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」を行う風習がありました。

このような風習が遣唐使により日本に伝えられ、平安時代には人形に災いを託して川に流す「流し雛」が始まりました。

そして江戸時代には、「ひいな」と呼ばれる人形で遊ぶおままごとが流行り、その頃、川に人形を流すのを止めて、人形を飾って子供の幸せを願うようになりました。

よく「雛人形を片付けるのが遅れると、婚期が遅れる」というのは、一日限定で川に流していた「流し雛」の名残とも言われています。
(他にも様々な意味がありますが)
現代でも「流し雛」を行っている地域はあり、その風習は受け継がれています。


◎ひな祭りは「桃の節句」?

よくひな祭りの事を「桃の節句」と言いますが、これは俗称です。
正式には「上巳の節句(じょうみのせっく)」といい、江戸時代に端午の節句・七夕の節句などに並ぶ「五節句」に定められました。

桃の節句とは、上巳の節句の季節が桃の開花時期と重なることと、桃には邪気払いの力があり、この日にふさわしいという考えから、このように呼ばれるようになったと言われています。


昔話の桃太郎も、同じ理由で桃から生まれた主人公が鬼退治に行くというお話になっているかもしれません。

上巳の節句は元々、邪気払いの日ですので、男女問わず行われる行事でしたが、端午の節句が男の子の日なったことに対して、上巳の節句の日は女の子の日となってきたようです。





そんな昔ながらの行事である「ひな祭り」。
昔と変わらないのは、邪気払い・無病息災の祈りです。
ぜひ、お子様と一緒に「健やかな未来」へお祈りし、ひな祭りをお祝いしてください。