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金平守人と呉エイジのまんが道

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金平の短編作品である。時期は本人の弁を待とう。確か高校三年くらいではなかったか?

どうだろう。世間ではギャグ作家というレッテルになっているのではないだろうか? その彼の、本気ではない、というのも、この作品はホームグラウンドではなく、同人である「おおひさしょう氏」の要請で描かれた、肩の力を抜いたリラックスした作品。

ということは、好きな物を気楽に描いた、とは言えないだろうか?

そのジャンルが「ギャグ」ではなく「ファンタジー」なのだ。

焦点の定まらぬ、イメージの優先した、ほんわかしたファンタジー。

実は彼の資質は案外この辺りなのかもしれない。

この頃は私のスパルタ教育時代であった。私が感動や感心したものを全て彼に理解してもらおうと熱弁をふるっていた。

大友克洋、藤原カムイ、士郎正宗、筒井康隆、江戸川乱歩の初期短編など…。

無理矢理ふせんを付けて「読め」と、強引に渡していた。

一つ前に掲載した私の「ロボットと花火」ああいうオチとか構造が明確なものが至上の物なのだ。と息巻いていた。

ファンタジーなんて大嫌いだった。しかし彼は本来「そっち」の人間だったのだ。

内容は「受験だけが全てじゃない」という命題をファンタジー色で描いた感じだろうか?

タイトルにも言及しておこう。

このMEANING OF LIFE。これは私が当時一番好きだったフレーズである。

佐野元春のNEW AGEという曲の一節That`s The Meaning of Life(それが人生の意味)

この一行に私は完全にヤラれてしまった。脳天を鉄槌で打ち砕かれたような。

自転車に乗りながら口ずさむような、あぁ(それが人生の意味)か!

思春期の脳髄に刷り込まれた強烈な一節であった。佐野元春の罪である。

それが彼にも伝染して、このタイトルになったか、とも思うのだがどうか? それも本人の弁をまつことにしよう。

絵は同人の中では突出してシャープ。個人的には2ページ目の時計のベルトの表現が、今に続く彼らしいタッチが見て取れて微笑ましい。


金平です。
この作品は多分、専門学校1年生の時だと思う。
高校時代、呉エイジからから半ば洗脳ぎみに聞かされた
佐野元春の「NEW AGE」という曲の一節からタイトルをかなり安易に拝借しています(笑)
(昔からパクリ癖があったようです)

今でもそうですが、当時も結局自分はどういう漫画が描きたいのかよくわからず
迷った時のファンタジー(オナニー)漫画といった感じで描いたのを覚えている。
なので当然内容的にも面白い筈もなく、今見ると19歳にしてはかなり下手糞です。

そして今・・・
まだ「つまらないギャグ作家」というレッテルでもあったほうが
何もないよりもマシかも?などと、ファンタジーネタを思いつくたびに思う。
ロボットと花火のPDFリンクはこちら

私の漫画活動の、ほぼ後期の短編ギャグ作品である。


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某オフセット同人誌に掲載された、8ページの漫画である。

ページをめくれば色んな思い出が蘇る。自分の心の中の焦り、葛藤、そして苦悩。そういう若かりし頃の情熱と、やはり小さい頃から漫画を描くのが好きだった純粋な想いとが交差した作品である。

もうこの頃になると、同人たちとの画力の差は、決定的に開いてしまっていた。それぞれのページを見るたびに、そういう辛さが思い出される。

畢竟、漫画とは主線を追求せねばならない。

ざっくり言えば主線とベタだけでいい、といってもいいくらいだ。主線に迷いがあるから過剰な書き込み、不必要なカケアミ、多すぎるトーンで飾り立て見栄えをよくしようとする。

結果、パッと見は体裁が整ったように見えるが、実際はごちゃごちゃしてしまって画面が重たくなってしまう。

それらは全部作者の迷いや不安が、そうさせてしまうのだ。

この頃の私に言ってやりたい。装飾に逃げるな。魅力的な線を引ける練習を重ねろ、と。

藤子不二雄A先生が名作「まんが道」の中で言っていた。自分は筆が遅い、しかし手塚先生や石森氏は驚異的に早い。先天的なものもあるのだろうが、決定的な差は「線を引く時の自信である」と。

全くその通りである。

これは、そういう迷いの中でもがいていた結晶のような作品だ。

欠点だらけではあるが、それでも今読み返してみても、私の創作に対するスタンスは全くブレがない。

「読んでくれる人を楽しませたい。そしてできれば笑わせたい」

「ギャグ」という括りまでシビアなものでなく「作品」というものは読んで「楽しいものでなくてはならない」という心情。

積み上げて積み上げて、最後には派手目に崩壊する。という形式も今の私の創作姿勢に通じる。

嫁さんに頭を下げて下げて、でも結局新しいマックはお預け。というワガツマでの形だ。

そして少ない誌面の中で、二つの物語を交差させよう、といった「ちょっといい短編を目指してみました」的な、鼻息も荒く組み立てた若気の至りっぽさも微笑ましい。

表現はしたかった。人を笑わせたかった。でも作品を並べた時、同人よりもヘタクソだ。どうしよう。

こういう悩みの無限ループだったような気がする。

そして筆を折り、マックと出会い「ん? これを使えば画力を気にする事無く、ネタを発表できるんでないの?」

という考えに至り、誰も褒めてくれないから自分で書き残すが(笑)ホームページの創世記、まだ個人ページも珍しかった頃に、100万アクセスを早い段階で突破する。という成果を残す事ができたのだ。


金平です
このブログ、私と呉エイジの過去の作品とその頃の想いを、当時の記憶と共に残していこう
というコンセプトである。

ーで、再三呉エイジの言葉として出てくる「画力がなかった」

当時から私が常に思っていたことを、ここに正直に記録しておこう。
彼は「画力」が無いのではない。「センス」が無かったのだ。
これは、ともすれば「画力が無い」よりも厳しい言葉に聞こえるかもしれない。

最後まで聞いてほしい。

彼、呉エイジは実は基本的に「かっこつけ」「エエかっこしい」である(笑)
センスのある漫画や絵を選り好みする目は、私よりもあると思う。
当時はそういった漫画を発掘し、よく私に教えてくれていたものだ。

ただ、それを模写したり、影響を受けて自分のモノにするほどの能力がそんなに無かった。
しかも、描いている漫画はギャグ漫画だった。
例えば「藤原カムイ」の卓越したセンスだからこそ魅せることが出来るギャグも
彼には不可能なワケである。(勿論、私にも不可能だったが)

にもかかわらず、そこに果敢に挑み、足元にも及ぶことが出来ず落胆する。
「かっこつけ」はここで受けるショックはデカい。
画力において、彼はよく私を引き合いに出すが、落胆の半分は
目指すべき「カッコイイ絵」に近づけないジレンマだったと思う。
そしてそれは本人にとっては「かっこ悪い」ことでもあったのだと思う。

実は、ギャグ漫画なのだからそこまでハイセンスな絵は必要なかったのだが
時代のせい、というか、当時は「江口寿史」をはじめギャグ漫画もコジャレていた(笑)
そのおかげで「画力が無い」→「漫画家をあきらめる」という結果に至っていると思う。

ギャグ漫画としては十分すぎるほどの画力は持っていたが、目指すべき絵を見誤ったせいで
センスの無さが仇となり「ロボットと花火」にも見られる
変な描き込みやトーン処理に陥っている。

読者のリアクションや、数字(売り上げ・アクセス数)に執拗にこだわるのは
やはり、最終的には格好良くキメたいのだ(笑)(創作者としては当然だが)

当時の彼が、もう少し格好から入らずに自分の足元を見据えることが
出来ていれば・・・と、思うことがたまにあるが
その性格(「かっこつけ」で「新しモノ好き」)こそが彼の魅力であり
共に漫画を描いていた私の中学・高校時代の
創作の礎を作ってくれたということを考えると、複雑な気持ちになる。

そう、最近は、彼には一生「かっこつけ」でいて欲しいと願うようになった。
でも、何か大きなことを成し遂げるには
時として無様な格好も見せなければならない時もあるぞ・・・
ーと、偉そうに締めくくっておこう。 

スマン、呉(笑)

ここをクリックすればPDFのリンクです。


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これは某オフセット同人誌に掲載された金平との完全合作作品である。

これは説明しないと解りにくいかもしれない。というのが、同人誌に二人の作品が掲載された。しかし編集部の手違いで、ページがミックスされて掲載されてしまった。

なんとかスレスレな感じで話が繋がっていき、最後は融合して終わる。という実験漫画である。

昔はこういう事を思いついては「うおー、俺たちスゲー」と燃え上がっていたのである。

これは二人の漫画活動も終盤の頃である。制作は私の部屋だったと思う。

見ても分かる通り、金平とは画力の差が相当ついてしまった。こっちが胸を借りる感じで出来上がったものである。

私の部屋で鉛筆で簡単なラフを描いて互いにページを付け合せ、せーので作り始めたような記憶がある。

ハムサラダくんや、まんが道で培った物を、照れくさがらずに実際に二人でやり遂げてみよう。そんな想いもあったかもしれない。

丁度、同人誌の締切も迫ってきていた。そうだ、この作品にはボツった原型作品があったのだ。

「まちがえた編集」という短編である。これは色んなジャンルの漫画が編集の手違いでバラバラに製本され、それでも奇跡的に話が破綻なく繋がっていく、という構想のもので、例えば「おぉ、カトリーヌ」と少女漫画タッチの男爵がページの最後で告白したら、次のページのコマの先頭が「今、拙者を呼んだのは、そなたでござるか?」みたいな時代劇タッチの漫画が来る。みたいな感じの作品である。

当然、大ぶろしきな構想に負けてしまい、シックリくるオチが見当たらず放棄した作品であり、その弔い合戦みたいな感じで取り組んだのであった。


金平です
この作品は「お互いが絵を入れる」という意味での合作としては
最初で最後の作品である。

私がその昔「コミックビーム」という雑誌で短編の連載を
させてもらっていた時のプチ実験作みたいなものの発想の原点が
多分、この作品である。
(※ビーム連載当時のアイデアも半分以上が呉エイジのアイデア)

基本的に私は発想力が全く無いので、絵を頑張るしかなかった。
それが、結果的に呉エイジにコンプレックスを抱かせる原因になったようで
上の呉エイジの文章にも、やはり二人の「画力の差」みたいなことが書かれている。

ただ、これはヤツに何十回言っても聞く耳をもたないのだが
漫画、特にギャグ漫画に必要なのは画力ではない。
むしろ、中途半端な画力はギャグ殺しでもある。
当時、お互いがそれに気付いていれば、私も笑いの才能が無いのに
無理をしてギャグ漫画を描いたり
ヤツも画力にコンプレックスを感じて筆を折ることもなかったのに・・・

ーといったことを思い出させる24年前の作品が、この「最悪の日&LUCKY DAY」である。






いじめられっ子(PDFのダウンロードリンク)

呉エイジの短編マンガ「いじめられっ子」である。

結構頑張って書いていたなぁ。としみじみ。

決定的に絵が伸びなかったので、この後数年で筆を折ることになるのだが。

タイムマシンがあれば、この頃の私に言ってやりたい。大友克洋や、藤原カムイのタッチなんて、一生かかっても追いつかないから、タッチを簡易化しろ。と。

そうすればギャグ(この作品はシリアスだが)に特化して、悩まずに描けたのではないかなぁ、と。

そして金平に次いで上京して、漫画家を目指したかなぁ、と。

花開く開かないは別として、不完全燃焼の青春にだけはならなかったはずである。

そうだ、長年マンガとともに歩んできたのに、私の青春は不完全燃焼で終わってしまったのだ。

この作品は、同人である、おおひさしょう氏の主催する「タラケレトロンボロ」というオフセット同人誌に寄稿させてもらった作品である。

金平といい、おおひさ氏といい、みんな行動力あったなー。

私は他の同人と違って、オンナのケツを追い掛け回していたので、漫画についての行動力が半減してしまったのだった。エッヘン。いや、威張れないか。


金平です。
呉本人は「女のケツを追い掛け回していたので~」と自虐的な表現をしているが
実は、自己顕示欲も含め表現することが私の何倍も好きな人間であり
「音楽」「映像」など多趣味ゆえに、当時から漫画一本に絞れなかったと思うのだ。

お互い負けず嫌いの性格なので、彼は私に「絵で負けた!」と思った時点で
いろんな表現の可能性のひとつである「漫画」を断腸の思いで切り捨てたのだと思う。
でもそれは決して不幸で悲しい決断ではなく
結果、文章という方向に進んだからこそ、結婚もし子供も作りマイホームパパで
いられるのだ。

当時、それでも漫画にこだわっていたら今の私と呉エイジの関係は
もっとドロドロしたものになっていたか、縁が切れていたかもしれない。

「自己表現」という意味では彼は十分アクティブなのだが
「私の青春は不完全燃焼」と主張する理由は、まがりなりにもプロになれてしまった
私の存在が大きいと思う。

でもよく考えれば、学生時代はお互い「プロ」など意識しておらず
好きで楽しいから描いていた。
ゴールのないマラソンをただ走り続けるのが楽しかったのだ。

私は無趣味で漫画しか描けず、社会人にもなれなかったので
必然的に「プロの漫画家」をゴールに見据えて走るしかなかったのだが・・・
呉は「自己表現」というコースを今でも縦横無尽に走りまわっている。
それが羨ましくてたまらない。

学生時代から続く、そのフットワークの軽さが逆に「極める」ということを
難しくしているのだとも思うが。
「そういうスタイル」と割り切れれば無敵なのだが・・・。

あ、短編漫画の「いじめられっこ」
教室の女の先生と、最後のコマのモブは私の下描きに
呉エイジがペン入れをしてるよ!(笑)


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これは姫路で一時は会社員になった金平が会社を辞め、漫画家を目指して上京する直前に送った私の手紙である。

画像では読みにくいと思うので、書き写しておく。



金平、いや、金平守人君。

何て書けばいいのかわからない。言おうと思えば平日でも会えたし、

いつも横にいて、話をしていたのは金平だったから。

それが明日からなくなると思うと、なんだかものすごく淋しい。

思えば、お前が仕事を辞めてから早かった。まだ先だ、まだ先だ

と思いながら、とうとう明日出発の日まで来てしまった。

本当の事を言えば俺はずっと姫路にいて欲しかった。

そして終わりのない、そう、中学の時からずっと続いていた、まんがの

話を続けたかった。だから半年ほどでひょっこり帰ってきてくれたら

なんて考えたりもした。でも、それじゃ行く意味がないよな。

俺と違ってお前はホンモノなんだから、行く限りは何かしでかして帰ってこいよ。

読み返したらしめっぽいな。俺らしくないな。



俺はずっと金平を追いかけていたのかもしれない。そりゃお前はよく俺におごらされたり(まぁ、おごりたかったからだけど)

返せ、と言わなきゃビデオ持ってこなかったり、やなこともあったけど、でもやっぱり一番の親友だと勝手に思っている。

東京じゃそんなことないようにな。

俺はいつだってお前の味方だかんな。生まれて22年、とっくみあいの、ひっかきあいのケンカをしたのはお前だけだ。

多分、必死に俺のこと分かってほしかったんだろうな。そして、必死に理解したかったからなんだろうな。

そのお前が東京に行くって、本当に淋しい。

彼女と別れたときよりキツイや。

一生会えなくなるわけじゃない。

手紙よこせよ。出すから。

大物になるまで会わねぇからな(遊びには行くけど)

とにかく大馬鹿もんだお前は。かっこつけやがって。全然かっこよくねぇんだよ。

変なもん食うなよ。変な話に乗るなよ。人にスキを見せるなよ。お金は大事にしろよ。人に頭を下げてしんぼうしろよ。

自分の力を信じろよ。

お前は絶対にプロになれる。元気でやれよ。

じゃあな。

いつだって味方より。1991年6.15



以上である。赤面級の手紙である。こんなオッサンにも輝いた青春時代があったのだなぁ、としみじみ。

かゆい。全身が恥ずかしすぎてかゆい。

見送る側の手紙なので、とっても寂しそうだ。この時、あいつはプロになれるだろうなぁ、と漠然と感じていた。

そして残された私は、姫路で彼女見つけて結婚して、子供作って、普通のサラリーマンで終わって、クリエイターの金平とは、いつか溝が出来るんだろうなぁ。

みたいな事も考えていた。

それが何の因果かマックピープルさんに拾ってもらって、自分名義の単行本を四冊も、そしてその漫画化で二冊も世に出せるとは思ってもみなかった。

金平がいたからこそ、姫路に一人残ってもネットを使って自己表現していたんだと思う。

こういう手紙を出したことも友情であると思うし

こういう手紙を二十年以上も捨てずに取っておく、というのも友情である。

金平の新しい単行本「働け!ハタラキさん」の見本刷りと一緒に、あいつに預けておいた若い頃の日記などが大量に送られてきた。

懐かしくて死にそうだ。