いじめられっ子 | デジタルキッズアーカイブ

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金平守人と呉エイジのまんが道

いじめられっ子(PDFのダウンロードリンク)

呉エイジの短編マンガ「いじめられっ子」である。

結構頑張って書いていたなぁ。としみじみ。

決定的に絵が伸びなかったので、この後数年で筆を折ることになるのだが。

タイムマシンがあれば、この頃の私に言ってやりたい。大友克洋や、藤原カムイのタッチなんて、一生かかっても追いつかないから、タッチを簡易化しろ。と。

そうすればギャグ(この作品はシリアスだが)に特化して、悩まずに描けたのではないかなぁ、と。

そして金平に次いで上京して、漫画家を目指したかなぁ、と。

花開く開かないは別として、不完全燃焼の青春にだけはならなかったはずである。

そうだ、長年マンガとともに歩んできたのに、私の青春は不完全燃焼で終わってしまったのだ。

この作品は、同人である、おおひさしょう氏の主催する「タラケレトロンボロ」というオフセット同人誌に寄稿させてもらった作品である。

金平といい、おおひさ氏といい、みんな行動力あったなー。

私は他の同人と違って、オンナのケツを追い掛け回していたので、漫画についての行動力が半減してしまったのだった。エッヘン。いや、威張れないか。


金平です。
呉本人は「女のケツを追い掛け回していたので~」と自虐的な表現をしているが
実は、自己顕示欲も含め表現することが私の何倍も好きな人間であり
「音楽」「映像」など多趣味ゆえに、当時から漫画一本に絞れなかったと思うのだ。

お互い負けず嫌いの性格なので、彼は私に「絵で負けた!」と思った時点で
いろんな表現の可能性のひとつである「漫画」を断腸の思いで切り捨てたのだと思う。
でもそれは決して不幸で悲しい決断ではなく
結果、文章という方向に進んだからこそ、結婚もし子供も作りマイホームパパで
いられるのだ。

当時、それでも漫画にこだわっていたら今の私と呉エイジの関係は
もっとドロドロしたものになっていたか、縁が切れていたかもしれない。

「自己表現」という意味では彼は十分アクティブなのだが
「私の青春は不完全燃焼」と主張する理由は、まがりなりにもプロになれてしまった
私の存在が大きいと思う。

でもよく考えれば、学生時代はお互い「プロ」など意識しておらず
好きで楽しいから描いていた。
ゴールのないマラソンをただ走り続けるのが楽しかったのだ。

私は無趣味で漫画しか描けず、社会人にもなれなかったので
必然的に「プロの漫画家」をゴールに見据えて走るしかなかったのだが・・・
呉は「自己表現」というコースを今でも縦横無尽に走りまわっている。
それが羨ましくてたまらない。

学生時代から続く、そのフットワークの軽さが逆に「極める」ということを
難しくしているのだとも思うが。
「そういうスタイル」と割り切れれば無敵なのだが・・・。

あ、短編漫画の「いじめられっこ」
教室の女の先生と、最後のコマのモブは私の下描きに
呉エイジがペン入れをしてるよ!(笑)