クレイジートラベラー!!~ロードレーサーで行く変態旅行記~ -5ページ目

輝く季節の中で!の巻<後編>



11月22日AM4:30


断崖絶壁の下から日本海の荒波が砕ける音が聞こえる闇の中に、さらなる常闇へと旅人をいざなう、天険『親不知』の洞門が口をあんぐりと開けて待っていた。


前回、ここを通ったのはいつだったか・・私は懐かしさに思わず目を細めた。


『よう。久しぶりだね・・。』


この道路ができるまで、先人たちは荒波が襲い来る海岸線を命がけで通行していたそうである。今は・・私は洞門の壁ギリギリを走って行くトラックを見た。


自転車の旅人にとって、今も昔も危険であることに変わりはない。

旅の途中でもし命を落とすとしたら、ここかもしれないなぁ・・。



ついさっきまで、寒いバス停で1時間半ほど眠っていたが、そのまま目覚めることなく天に召された方が良かったと思う。


私は自分の生まれた祖国がこれからハチャメチャになって行くのを見たくなかった。


憲法を破って成立された、戦争法による集団的自衛権の行使により、アメリカの手先となって他の国と戦争をするために社会生活が統制され、自由を奪われた人々が苦しむ姿を見たくなかった。


戦争はとんでもなくお金がかかるので、国民から財産を没収しちゃうし、命など大切にはしていられないので、人々から自由や権利を奪っちゃう。


だから管理統制社会が必要となる。贅沢は敵なのであり、一億玉砕なのだ。

自転車旅行なんていう贅沢は敵なので、もう出来無くなるだろう。


あ・・俺とか自転車に爆弾積んで敵に突撃させられるかも知れないな。


実際、太平洋戦争の時、兵隊に爆弾を背負わせて戦車に突撃させたり、地面に穴を掘って潜み、敵の戦車が来たら自爆させるとか、先っちょに機雷をつけた棒と潜水服を着せて海の底に潜み、敵船が来たら浮上して自爆させるとかやっていたぞこの国は。


しかもこのような自爆攻撃は敵を攻撃するためというよりは、お国のために命を捨てさせることを目的とされていたのだ・・。


また、日本を守るために戦争法が必要だというのだが・・敵の攻撃から自国を守る「個別的自衛権」と、同盟国のために他の国に攻撃をする「集団的自衛権」は違うのだ。


さらに言うと、「集団的自衛権」を行使するための「存立危機事態」そのものが実にあやふやでテキトーなのだ。


これは実に恐ろしい事で、「電力不足でも存立危機事態」という事になるらしい。何それ?メチャクチャだよな。それじゃあ、また原発動いてないから電気足りねーとか嘘をついて、他の国に戦争吹っ掛けるってことか?


ようするに・・戦争するためなら何でもあり♡

こんなすっごい国に産まれてきちゃった俺って(笑)



この国は一体どうしてしまったのか・・戦争を経験し、反省して二度と同じ過ちは繰り返さないと誓ったのではなかったのか?


実は、全然反省などしていないばかりか、太平洋戦争で日本が負けたのを受け入れたくないので、再び体制を戦前に戻し、今度は宗主国様と一緒に世界に進軍して覇権を握りたいと目論んでいる「日本会議」という巨大な組織が政府に食い込んでいるからなのだ・・。


国民の権利や人権を削除しようとしている自民党の憲法改悪草案をみればわかるとおり、日本を戦前に戻したくて仕方が無いらしい。



何としてもこれを阻止しないとヤバイことになるだろうなぁ・・。


※ちなみに、前回の記事で取り上げた「政府の方策」について内閣府に抗議したとき、「なんかコレ自民党の憲法改正草案とリンクしてるよね。70年前と同じように、国家総動員体制で俺たちから自由と権利を奪い、教育という名の洗脳によって人々を奴隷化しようと目論んでんじゃないの?お国のために喜んで戦争に行かせるためにね。」と言ったら、うなだれるだけで一言も答えられないでやんの。




私は意を決して、親不知の洞門へと突っ込む。

もし、ここで私に何かがあったら・・私の魂の抜け殻は、納豆とハチミツと一緒にミキサーで良くかき混ぜ、ところてんを作るやつでニョロニョロにし、この日本海にばら撒いて欲しい。


そして魚のエサになって母なる海へ還り、地球の命を循環させるのだ・・。


・・あー!!!ちょっとまて!!

俺の肉など猛毒すぎてお魚に食わせられん!!

俺は死ぬまで、まだまだ生きるどぉぉぉー!!!



『浄土』という、なんか天に召されてしまったかのような所を過ぎると、親不知とはお別れである。


この道路を命がけで作ってくれた人、有難う。

無事に天険を越える事が出来たよ・・じゃあ、またね。


私が元気に富山の大地をピンク色の愛機で踏み出す頃、ようやくじんわりと空が明るみ始めていた。



お昼過ぎに金沢に到着した私は、新潟に行った時に食べる事が出来なかった『8番らーめん』を食っていた。


さて!!エネルギーを補給したところで・・行きますか!!


戦争したい人たちに対抗するには、戦争したくない人が立ち上がるしかない!!いつまでも無関心でいられるか!!


こんなどうしようもない世の中に生まれてきちゃった事自体は失敗だったが・・生まれてきちゃった以上は、自分たちで何とかするっきゃないのだ!!


私は、小春日和の温かな日差しが降る金沢の街を愛機で駆け抜けて行った。



集合場所ではすでに『戦争法に反対するサウンド・パレード』の参加者が集まっていた。このデモの主催者は若者なのだ。


このおかしな国、日本では、自分の暮らす社会を守ろうとすると叩かれてしまうので、心ない人から散々嫌な目に遭っている事だろう。

それでも挫けずに活動をしている人たちを見て、私は胸が熱くなった。


凄いなぁ。彼らの精神力に私はとても敵わない。

自転車ばかり乗って、現実から逃げまくるダメなおっさんで本当にゴメン。


今のところは平和・・(原発事故で緊急事態宣言発令中なので実際には平和ではない)・・なのも、こうして市民運動が出来るのも、国民の権利を憲法が保障しているからなのだ。


民主主義が破壊され、刃向うと殺されてしまう中華な国や、北の朝鮮みたいになったら、それこそもうお終いである。


『デモが出来る平和』は一体いつまで続くのだろうか・・。

フランスでテロが起こって、『共謀罪』がまた浮上してきやがった。



もう言うまでも無いが、これは国民を守るためではなく、「国にとって都合の悪い人物を、国の好きなように逮捕・拘束する」ためなのだ。


また、アメリカの上院議員がアメリカと同盟国がテロを支援している事を認めており、「人々はアメリカ、フランス、イギリスがテロ支援をやめれば、戦争は終わることに気づくべきだ」と言っている。


テロで不安を煽り、戦争でお金儲けをしたい人たちに騙されちゃダメだ。



デモ隊が金沢の繁華街を行く。

私は、どこかの街みたいに、車に幅寄せをされたり、クラクションを鳴らされたり、道行く人に嫌な顔をされたり罵声を浴びせられたりするものと思っていたが・・。


あれ・・!?街を行く人々や外国人観光客が。車の中の人がにこやかに手を振ってくれ、ビルの窓から「戦争させないぞ!」というプラカードを掲げてくれる人がいる。



もしかしてだが・・日本人も少しずつ変わりつつあるのではないだろうか。


確かに私の周りには、小さなどうでもいい事には熱心なのに、社会全体を守ろうとすることには無気力で、『俺は無関心で居続けたいという言い訳ばかりする人』しか居ないけど。


自分は何もしないクセに、自分の立場がどうだの、誰がどうだから出来ねえとか言う人ばかりだけど。


無関心は間違っているのか。立ち上がる事は正しいのか・・

何が正しくて何が間違っているか・・なんて私にも分からないよ。


だけどね、この地球に生まれた生物が40億年間続けてきた営み・・子孫を残して繁栄させること。


これを守ろうとするのは『正しい』と言えるのではないか?

この営みを破壊しようとするのは『間違っている』と言えるのではないか?



私は目先の欲望を満たすために環境を破壊し、その最大の破壊行為である戦争をするなど、もはや生物として壊れているのではないかと思うのだ。


歴史に学び、真摯に自分たちの行いを反省し、自分たちが生きる社会がより良くなるように進歩する。これこそが人間なのだって、私は思うのだ。


地球で一番賢いと言われている人間には、犬や猫みたいに単に子孫を残すだけではなくて、『子孫の幸せを願う』という事が出来る。


子孫の幸せは、結局は自分の幸せに繋がるのだ。


私たちが今やるべきなのは、綻びを見せ始めた平和を修繕し、これからも生きてゆく子孫の未来を守ることなのではないか。


これが今の平和を作った先人たちへの恩返しなのではないのだろうか。



デモが無事に終了し、私は観光客でにぎわっている武家屋敷を見物して金沢の駅に向かった。


北陸新幹線『かがやき号』で東京へ帰ってゆく。


昼間はあんなに暖かかったのに、夜になると思いだしたかのように寒さが戻ってきた。やっぱり季節は冬なのだ。


私は大混雑中のお土産屋さんで、家族や会社に持って行くお土産を買いながら思う。みな笑顔で私と同じで幸せそうだなぁ・・。


私はみんなと平和に・・この輝く季節の中で生きていたい。




<おしまい>


今回のエンディングテーマ!!

『君がいたから』

https://www.youtube.com/watch?v=q6G_uK0BcNE


輝く季節の中で!の巻<前編>



11月21日


相模湖の水あめのように滑らかな湖面を輝かせて朝日が昇る。

まるですべての生き物に希望を灯すかのような優しい光が、辺り一面を暗から明へと塗り替えてゆく。


・・だが、そんな光を当ててやるなどもったいない生き物もいるのだ。

ほら、そこで死んだ魚のような暗く濁った眼で朝日を眺めている、ピンク色の変なロードレーサーに乗った奴の事だ。


私は「自転車で遠くへ走りに行く」という、この世で最も愚劣で下らない行為を実行している真っ最中であり、しかもバカらしいと自覚をしているのにも関わらず、どうしてもこれを止められない。


それがまさに自分自身が「下らない」ということ。「この世から早急に消えさるべき生き物」なのだということを証明しているのだ。



こうした事実を受け止めれば受け止めるほど、気分が重苦しくなり、ペダルだってズッシリと重くなり、もう全てが嫌になってヘルメットを地面に叩きつけ、大地に膝をついてツルピカ頭をかきむしりながら、どうしようもなく雄たけびを上げたくなるのだ。


だが、そうはならない。別にいいじゃん。

みんなだってそうじゃん・・と、自分を正当化してしまうのだ。

まったく改善の余地なしで、本当にどうしようもない奴である。


私のような生き物の遺伝子は、次世代に伝えるべきではなく、私を最後に潰えるべきである。

・・200%ありえない話だがもし、私が巨乳で童顔で小柄でアニメ声の♀と結婚し、子供をもうけたと仮定しよう。


もう間違いなく、他の人と同じように子供をペット感覚で扱い、滅びゆく社会に子供を産み落としておきながら、その子の将来の事など一ミリも考えず、周囲に子煩悩である事をアピールすることで自尊心を満たすだけという、愛情の欠片もないクソ親になることだろう。


また、その点を人に突っ込まれれば、「俺は仕事が忙しくて、子供の将来の事など考えてる時間などないわ!文句あるならお前が政治家になって社会を変えればいいだろうが!!」とか、論点をすり替えてとんでもなく無責任な事をほざき、自転車に乗るとか好きな事をやる時間はしっかり確保という、人間のクズに成り下がるのも間違いない。





どっかの政治家が言っていたが、少子化対策のために子供を産みだせというのは、明らかにおかしい。まずはその少子化の原因が何なのかと考えなくてはならない。


子供は国を支えるための道具ではない。男の子は働くためや戦争に行くための戦士じゃない。女の子は子供を産みだすための機械じゃないんだ。


人の親になるには、自分の子供のためになら、どんな努力も苦労も厭わない無償の愛情。子供が幸せになるにはどうすればいいのか、将来にわたってずっと考え続ける哲学を持つことが必要なのだと思う。


また、世の中が破滅に向かっており、子供が幸せに生きるに値しないと判断して人の親になる事を断念するという、冷静な判断力も備えるべきなのではないだろうか。


人の命をこの世に産み出すという事は、重大なる責任が伴うという事なのだと思う。


つまり、私のように愚かで無責任で自分勝手な人間は、人の親になどなってはならないのだ。


まあ、私には親になりたい欲望すらも無いけども。

だが、私が自転車に乗りたいという欲望を止められないのと同じように、なりふり構わず欲望に向かって突き進む。それが人間だ・・。


・・それにしても疑問が残る。

なぜ私のような人としての愛情を持たぬ『人間失敗作』が出来上がってしまったのかってことだ。


もしかしてだが、欲望ばかり追い求めるだけで人としての愛情を持たぬ人間が育つような仕組みが、この社会のどこかにあるのではないのだろうか。


実は、官邸のHPに『大人や行政が主体となって家庭、学校、地域で取り組むべきこと』としてこのような事が書かれているのだ。


http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html


『子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう』


これが政府の方針だとは驚きである。子供はペットなのだと言ってやがる。じゃあ、それを産みだす親だってもちろん厳しく人間扱いされてねえよな。


それに「覚悟してもらう」って何だ?これから戦争するから子供など人として扱わなくていいので、お国のために差し出して戦わせる覚悟を決めろってことかね?そもそも、上から目線で主権者である私たちに命じているところが危険すぎる。


※是非、他の所も見て欲しい。あまりにも突っ込みどころ満載過ぎる。つーか、こんな頭がおかしい方策をHPに堂々と掲載している日本政府って、相当ヤバいという事が良く分かるだろう。もちろん、これについてはすでに官邸および内閣府に、こりゃどういうことやねん!さらに上から目線で主権者である国民に対して命じるとは何事か!と抗議しておいた。



なるほどねー・・道理で。私は何となく分かってきたよ。彼らがどのように私たちから人としての愛情を奪っているのかが・・。


「うちの子可愛いでしょー!」と誰かが言うと、みんなが「本当、可愛いですねー!」といい、私が「確かに可愛いけど、その子供の将来が不安ですね。」と言うと、一気にしらけたり。


また誰かが「自転車でこんな遠くに行ったぜ!こんなに坂を上る所要時間が短縮できたぜ!」というと、みんなが「おー!凄いですね!」といい、私が「今はそんな事に夢中になっている場合じゃないでしょう?」というと、同じようにしらけてしまう。


時限爆弾がカチコチと爆発の時を刻んでいるのに、それを止めようともせずにみんなで踊り続けており、誰かが危ないから止めようぜ!というと、「せっかく楽しんでるんだから、つまらない事を言うなよ」という異常な状況。


とんでもない破滅が自分に降りかかってくるのに、まるで他人事なのだ。

一体何がこのような状況を可能にしているのだろうか?



それはつまり、他人事だと思わせれば良い。

この社会でひとりひとりに「立場」に合わせた「役柄」を与えてしまい、「演劇」の中での出来事だと錯覚させてしまうのだ。


役者は「世間」が用意した台本を読んでいればいい。台本にない台詞を言う者がいれば、冷たい目を向けてシカトすればいい。


「立場」や「役柄」こそが大事なのであり、人間本来の存在意義などはどうでもよい。というふうにすり替えてしまう。


自分は「世間」の立場に沿った役柄を演じているから、後の事は誰かがその「役柄」をこなせばいいと思い込むのだ。これがまさに、愛情の無さと無責任さに繋がっているのだ。


つまり、子供の将来を考えるのは他の人の役割なのだと思い込んでしまう。


私はもう、こんなつまらねえ「学芸会」はウンザリである。

いい加減に、与えられた台本は捨てて、自分の頭で考えて人間性を取り戻すことから始めなくてはならないのではないだろうか?


子供のいない私が言うとシラけるだろうし、冷たい目を向けられてシカトされるのを承知で言うが、これでは未来を生きる子供があまりにも気の毒である。


子供は親を見て育つものだと思う。『人の形をした他の生き物』が育てれば、その子もそうなるだろう。犬に育てられた猫は、犬そっくりの行動を示すようになるようだしね。


http://whats.be/128665


・・と愚かな私は自分に言い聞かす。



おっと。『旅』の事について全然書いていなかったが、すでに日付が変わって真夜中の新潟県の糸魚川に到着である。


先月もここにやってきたが、性懲りもなくまたやってきてしまったぞ。


私は8号線沿いにあるバス停のベンチに横になった。

少々寒いけど、凍死する前には目が覚めるだろう。

それにしても、大型車さえ爆走してこなければ静かで良い夜なのだが・・。

地響きを立てて走り去るトラックの騒音がいつの間にか遠のいて、私は眠ってしまっていた。


<つづく>

そうだ!芦屋に行こう!の巻



11月3日


早朝の京都の街は、まるで一夜にしてどこか別の世界に転移してしまったかのような深い霧に包まれていた。


きっとこれは夢の中なのだ。ひとり寂しく変なロードレーサーで東京から走ってくるなどという、とんでもなく愚かな事をしているなんて夢に違いない。


ふと目が覚めると、小柄で童顔で巨乳でアニメ声の♀が私の寝顔を見て微笑んでいる・・


いや、そいつぁ・・200%有りえねぇ・・。


私は霧と一緒に甘い幻想を振り払うかのように、ピンク色のロードレーサー<クレイジィ・エンジェル>を走らせて行った。


大阪に到着し、とある公園で開かれている集会に参加しに来たのだが・・。




関西人は無関心ではなかった!!

でも何だか凄いなコレ!!(;^_^A(笑)


『安倍・橋下を倒そう!戦争法は廃止!辺野古の新基地とか原発再稼働も被曝被害も許さねえ!団結祭り!!』・・とは!!いろいろてんこ盛りで、今のところ東京にはない発想!!


つーか問題がてんこ盛りだからこそ、こうして立ち上がっている人がいるというのに、呑気に自転車旅とかしている私はどれだけカスなのだろうか。

なんか自分が情けなくなってきた。


なんでも、大阪府知事と大阪市知事選が近いのだそうだが・・


安倍や橋下が目論んでいるのは、『1%の人たち』もとい、宗主国様の言うとおりに日本人の富をグローバル企業に売り渡し、憲法を改悪して私たちの権利を削除し、まるっきり戦前の日本のようにしてしまうこと。


そして『緊急事態』の新設によって、私たちを自由に逮捕はもちろん処刑したり、財産を没収することもできるし、勝手に戦争をおっ始めることだって出来るようにしてしまうこと。


そう言えば、『ナチスの手口を学んで、憲法をこっそり変えちゃおうぜ!』とかどこかの自民党の人が言っていたなぁ。


こんな人たちが幅を利かすようになると、本当にマズイ事になるだろう。



ちなみに私は小学生の時、学級委員かなんかの選挙があって、候補者全員ムカつくし、どうでもいいから投票しねえ!!』と調子に乗って叫んじゃったのだ。


すると、先生に『自分のクラスの代表者を決める選挙でしょうが!どうでもいいだの無責任な事を言うんじゃありません!!ほら、みんなに謝りなさい!!』とすんげー怒られて、ボロ泣きした事があるぞ。


思い返せば、こんなガキの頃から無関心で無責任なクソだったなあ・・俺。

今でもめんどくせえ事からは徹底的に逃げるし。


だが、大事なことを他人に任すからこそ、その代表者が信用できないのであればあるほど、関心を持たなきゃならないのではないか。


俺が総理大臣とかになってみろ。ヤバすぎて目が離せないだろ?

変な事をやらかしそうだったら、みんなで国会前に押し掛け阻止するだろ?

それ以前に、俺のような人間のクズが立候補してたら、何としてでも落選させるべく、他の候補者に票を叩きこむだろ?


さらに、もし俺のようチン☆カス野郎が当選してしまった場合、その選挙に不正やインチキが無かったのかどうかを疑わなくてはいけない。


さらにさらに!みんなからの受信料で成り立っているはずの公共放送を名乗るテレビ局が、『まっちゃん政権が右だと言っているものを、我々が左と言うわけにはいかない!』とか言い出したり、幹部の給料がアホみたいに高かったり、何千億円もする新社屋を建てるとか言い出したら、そりゃもう怒涛のように抗議するべきだ。


おっと・・どんどん話がズレるな(笑)


というわけで頼むぞ!関西の人たち!選挙には絶対に行ってね!!




私はさらに西へと向かって走っている。

六甲の山並みが夕陽に輝いているのが前方に見えてくると、神戸の少し手前にある街、芦屋に到着である。


私は某SNSつながりの人がやっているお店の前にやってきた。


それにしても流石は天下の芦屋だけあって、店構えや店内があまりにもオシャレすぎて、私には眩しすぎる!!!


どうしよう!?すっげぇ中に入りずれぇー・・!!



軒先で怪しくウロウロしていると、奥のレジにいる綺麗なおねいさんと目が合ってしまい、もう逃げられなくなった。


小柄で童顔で巨乳でアニメ声のおねえさんが、私の汚いナリと変な自転車を見て、嬉しそうに笑う。


『きゃー!ようこそ♪これに乗って東京から来たんだね!!それにしても、可愛い自転車だね♡』



可愛い!?どこが?


こんなに職務質問されそうなのに!!

憲法改悪後は処刑確実なのに!!


おねえさんに促され、私はおどおどしながらお店に入り、端っこの方で小さくなっていた。


『ほらほら!これが<猫の手>だよ~♪東北の被災地のお母さんが編んだやつでね、これがその支援にもなってるんだよー!!』




『おおお・・!!こ、これが噂の<猫の手>!!しかも東北のお母さんが夜なべして??編んだとな!!』


私の頭の中に<かあさんの歌>が流れてきたかと思うと、今度は東北の被災地で未だに不便な生活をされている人たちの姿が浮かんできた。


彼らを助けるためのお金を流用して無駄遣いし、原発事故はコントロール出来てるから安全とか嘘をついて誘致したオリンピックには、いくらでもお金をつぎ込む政府に、また抗議でもしてやらなくてはならんな・・。


つーか、私たちの子育てや福祉に使うお金は足りねえとか言いながら、なんで宗主国様から武器を買うためや、何の役にも立たない原子力産業を支えるお金ならいくらでも沸いてくるんだよ?(笑)


<猫の手>をゲットし、人目もはばからずにはしゃいでいると、ついに怒られてしまった。



『こらこら・・東北のお母さんが泣くからおやめなさい!』


それにしても、一緒にいるだけで幸せになれる・・そんなオーラを放つおねいさんである。


『幸せ』とは何か・・。

それは今まさに、この時なのだ。


私は、ただこうして<猫の手>で遊んで、おねいさんに怒られているだけで幸せなのだ。金銭欲だの名誉欲だの権威欲だの物欲だの・・そんなものは必要ない。つーか、興味が無いのだ。


普通に仕事して、自転車で旅して、天気が悪けりゃゴロ寝しながらエロ本を読み、ついでに臭い屁をこいてその香りを嗅いで喜ぶ。これが私の幸せなのだ。


幸せは人それぞれだとは言っても、際限のない欲望を追及してしまうのは、それはちょっと違うだろうと私は思うのだ。


また、幸せを感じる事が出来るのは『平和』だからなのだが・・



平和とは何か?と考えると、それは単に「戦争や紛争がない状態」とかではないと思う。


『幸せ』は個人の価値でしかないが、『平和』はより多くの人が享受できる『幸せ』の事であり、尚且つそれを追求している状態の事を言うのではないだろうか。


そういえば、憲法にこんな事を掲げた島国があったそうだ。


・・私たちは、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、私たちの安全と生存を保持しようと決意した。


私たちは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。


私たちは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する・・。



なぜこんな憲法を掲げる事が出来たのか?


その国はかつての軍国主義によって、平和も自由も無く、専制と隷従、圧迫と偏狭にまみれた社会になり、戦争によって街は焦土になり、多くの人が犠牲になったことがあるからだ。


そして彼らは反省し、もう二度と同じ過ちはおかさないと誓ったのだ。


ところがちっとも反省していない人もいた。これを『みっともない憲法だ』と吐き捨て、戦争の体験者が減ってきたのをいい事に、過去を改変して美化し、また同じことを繰り返そうとしているのだ。


原発再稼働、特定秘密保護法、戦争法の成立などなど。

いよいよ、平和に綻びが見え始めてきた。


だけどね、平和が綻んできたのなら繕えばいいだけなんだ。


いつまでも自転車で遊んだり、SNSで新たなる出会い求める事が出来る社会を守るために(笑)!!日本人は平和を愛する民族なのだろう?


さあ!みんなで、私たちの平和を修復する作業を始めるよ!!



<おしまい>

そうだ!京都水族館に行こう!の巻



11月2日


青い空の中を浮遊するかのように海ガメやエイがゆったりと宙を舞い、銀鱗を煌めかせながら、渦巻くように泳ぐ小魚の群れ。


そして、そんな異空間を閉じ込めた巨大水槽をぼんやりと眺めている私。


ホント、気持ち良さそうに水の中を泳いでやがるな・・ただ単に「水に濡れる」というのは苦痛でしかないのにッッ!!


・・私は非常に頭がおかしいので、雨の中自転車で鈴鹿峠を越えて、ここ京都水族館にやってきていた!!




そういえば、私も昔はよく生き物を飼育したりしたものだ・・。

今になって考えると、なんで生き物など飼育していたのだろうと思う。


生命の大切さを学ぶため?


・・いいや、私には未だに命の大切さなど理解できないでいる。


つまり、私のような外道は尊い他の生き物の飼育などしてはならないのだ。


そもそも生き物など飼育しなければ、もしペットが病気になった時、心配しないで済む。居なくなってしまった時も悲しまずに済むし、きっと自分の飼育方法がまずかったのだと悔まなくて済む。


なぜ「ペット」なるものは必要なのだろうか?

なぜ「飼育」などしなくてはならないのか?



「ペット」などなければ、ここ京都、鴨川水系に棲むオオサンショウウオとかも、ペット用として持ち込まれた外来種と交雑して、固有種が駆逐されるような状況にはならなかっただろう。


ペット産業へ売り渡すために生き物が生息地で乱獲などされることもない。


愛玩動物としての犬や猫も、飼い主に見捨てられたという理由で「廃棄処分」などされることもない。



私は「ペットをひとつの命として尊重し、彼らを幸せにするため」ではなく、単に「自分の寂しさを紛らわすため、他人に自慢するため」にペットを飼育をするのだとしたら、本当に人間というのは自分勝手な生き物だと思う。


そして、私は自分の子供をあたかも可愛がったり教育熱心なフリだけはするが、いつも口にしている食べ物や将来については無関心な親というのも気になる。


まさか・・ペットを飼ってるのと同じで自尊心を満たすため・・なんてことはないよね?子供の幸せのために大切に育てているんだよね?



私は腕を組んで屋外のステージでイルカショーを観賞していた。


フッ・・人間に飼いならされた哀れな海豚ども・・。


私がひねた表情でつぶやいていると、イルカのおねいさんが驚くべき事を言うではないか。


『実はイルカには調教なんて出来ないんです!つまらないと判断したら、もういう事を聞いてくれません!!でもイルカは遊ぶのが大好き!だから私たちはイルカの遊び心を利用して演技として見せているんですよ!!』


な!!なんですってー!!!


私は、全身に雷を打たれたような衝撃を受けた。


お・・お前ッッ・・!!

俺たち人間が職場で『仕事なんて遊びっすよ!!』なんて言ったらどんな目に遭うか!!


俺たち人間が、ヘコヘコ頭下げて上司やお客様のご機嫌をとって、お仕事をさせて戴いているというのに・・!!


お前らは逆に飼い主である人間にご機嫌を取らせているとは・・!!




フフ・・忘れていたぜ。俺たち人間はみんなご主人様・・すなわち『1%の人たち』が作ったお金が中心の経済システムの中で飼われ、調教され続けているのだった。


※ここでバックに切ねえ<ピクミン愛の歌>が流れる


私たちは「彼ら」に飼われ、言いなりになり続ける情けない親の背中を見て育ち、幼いうちから教育という名の調教によって、自分の頭で物事を考える脳みそを破壊され、権力や社会に対する疑問を持たず、周りに合わせて考え動くだけになり、最終的にはご主人様に死ぬまで従い尽くし、自ら自由を投げ出し、どんな理不尽でも喜んで受け入れる愚かな生物にされてしまうのだ。


分かりやすく言うと、女王様に素っ裸にされ、目も口も塞がれ尻をムチでひっぱたかれて、もっとやってくれとせがむ豚野郎みたいなものである。


生まれた頃から奴隷という環境なので、それが当たり前だと刷り込まれ、例え自分が道理に反していても、嘘や屁理屈で誤魔化し、正しき者を叩く!!

日本人にとっては、これこそが『立派な大人』なのだそうである


いいや、これはもう人間ですらない・・。



イルカのおねいさんが、イルカの名前を呼んでいる。

クッ!飼い主にそんな可愛い名前をつけてもらえて羨ましいぜ。


俺たち人間が『1%のご主人様』に、なんと呼ばれているか知ってるか?

・・『ゴイム』だぜ?それって家畜とか豚って言う意味だぜ?


ふざけやがって!俺たちは家畜なんかじゃねえ!!

・・と言いたいところだが、実際そうなんだから認めざるを得ない。


自分はそうではないという現実逃避こそが、まさに自分を家畜たらしめているのだ。


私が観客席でへたり込んでいると、イルカが哀れな人間どもに向かって、けらけらけけけ・・と笑っていた。



私は夕暮れ時の梅小路公園をブラブラと散歩している。


東京に住んでいると実感がないけど、京都は福井県の若狭湾にある「原発銀座」から近いのだった。


もしこれが何者かによる攻撃を受けたり、福島みたいに地震で爆発を起こしてしまったら、関西に住む人たちはどうなってしまうのだろう?

水がめである琵琶湖が放射能汚染されてしまったら、どうするのだろう?


公園で平和そうに遊ぶ親子の姿を見ていると何だか不安になってきた。



だが、そんなふうにみんなの未来を心配し、最悪の事態を防ぐために声をあげ立ち上がるような人など、私の身の回りには1人もいないのだ。


・・東京には1000万人以上も人が住んでいるのにな。


こちらではどうなのか?口癖のように『アホ』とか言うくらいなのだから、もちろん自分たちはそうではないのだろう。


人としてのプライドを持ち、抑圧に屈せず自分たちの生活を守ろうとする気概のある人もきっと、この関西のどこかに・・。


私はピンク色のロードレーサー<クレイジィ・エンジェル>に乗り、今日の寝床を求めて、あても無く京の街を彷徨い始めた。



<つづく>


今回のエンディングテーマ!!

<ピクミン愛の歌>

https://www.youtube.com/watch?v=eHcldNM9fAI


そうだ!特に用もないけど京都へ行こう!!の巻



10月31日


漆黒の暗闇に浮かぶ銀河のように輝く、御殿場の夜景。

夜空には星たちも負けじと光を放っており、それを展望台のベンチから眺める2つの人影・・もしかしたら、こんなのをロマンチックとか言うのかもしれない。


・・その人影が、なぜだかこのクソ寒いところで晩飯を食っている、怪しい野郎2人組でなければの話だが・・。


探検隊のようなヘッドライトを装着し、寒さに震える手でコンビニ弁当を食らっている若者が、何か凄い事を口走った。


『ここで夜景を見ながら野宿したいっすわ♪』


同じくヘッドライトを装着して、冷え切ったおにぎりを口に運んでいた汚いおっさんが叫ぶ。


『お前!正気か!?俺はこんな寒いとこで野宿すんの絶対ヤダッッ!!』



私と若者は、ここ『足柄峠』に来ているのだが・・。


なあ若者よ・・今夜はハロウィンとかだという、大の大人がみんなで仮装したりしてバカ騒ぎする日なのだが、それに参加しなくて良いのか?

自転車でこんな寒く寂しい峠に来ちゃってていいのか?

まあ、私は同じバカならこっちの方が良いけどな。


大勢でバカをやればカルトみたいだが、少人数ならただの基地外ですむ。


私と若者は、自分たちの頭のおかしさに満足して笑っていた。




峠の麓にある無人駅で若者とはお別れである。


『兄貴!マジで行くんすか?正気じゃねえっすよ!!一体、何がしたいんすかッッ!?あんな走る価値も無い、クソつまらねえ道を走るなんて、俺は絶対にヤダッッ!!』


若者の言っている事があまりにもまっとう過ぎて私は返す言葉も無く、頭を垂れ唇を噛みしめた。


『ぐっ・・!俺はそのクソつまらねえ道を何度も走ってきたんだよ。ホント、自分でもわけがわからねえ・・一体何がしたいんだ、俺?』


私は自嘲の笑みを浮かべて、若者が乗った電車が流れ星のごとく走り去って行くのを見送っていた。



11月1日。


私はため息をついて天下の街道、東海道の片隅に腰を下ろした。


『ふう・・つまらねえー・・』


本当につまらねえし、それを分かっていて走っているのだから相当頭が腐っているのだろう。


そういえば、今のところ職務質問されてねえな・・いつもは仕事熱心なお巡りさんが飛んでくるのだが・・もちろん私が頻繁にそのような目に遭うのは、自転車旅行という頭が悪く怪しい行為をしているからなのだろうが(笑)


それにしても最近は単に怪しいからという理由では無くなってきたようだ。


『平和がだいじ』と書かれたバッグを持っていたら職務質問された人がいて、なぜかと尋ねると、『平和と書いてあるからだ!』と言われたそうだ。



それだけではないぞ。小学生が卒業文集に「大きくなったら国会議員になって、平和な国を作りたい」と書いたところ、政治的批判を含むので書き直しを命じられたり、「戦争放棄」と書かれたTシャツを着て議員会館に入ろうとしたら、そのメッセージがよろしくないという事で拒否されそうになったそうだ。


また東京のとある市では、封筒にある「日本国憲法の理念を守ろう」という文言をわざわざ黒く塗りつぶして、市民に発送するという世の中になってしまっているのだ。



ほうほう・・基本的に人権を尊重したくねえってか。

主権が国民じゃなくて独裁者にあった方がいいってか。

まさかとは思うが・・平和だと都合が悪いってか。


憲法も勝手に解釈しちゃって、強行採決で違憲の戦争法を成立させちゃって積極的にドンパチすっから「戦争放棄」とか言われると困るとでもいうのか。


「平和」も「戦争の放棄」も学校で習った当たり前のことだし、これからも目指していくべきなのではないのか?


この国が向かうのは、北斗の拳みたいな破壊と暴力に支配された世の中なのだろうか。だとしたら、今のうちに頭をモヒカンにしておかねば・・


あ・・俺、頭がハゲてっからそれすらもできねーや、チクショー(泣)



こんなにピンク色で怪しい自転車に乗っているといよいよヤベーなー!!


下手すりゃその場で射殺だなぁ♪


まあ、警職法という法律で『何らかの犯罪を犯しそうだと疑うに足りる理由が無い限り職務質問など強制出来ないし、法を犯していない限り連行する事も出来ない』という事になってはいるのだが。


それでも強制させるのは、法の番人が法すらも守っていないという絶望的な状況だという事なのだ。


確かにね・・政府が憲法守らないし、俺みたいに現実逃避で無関心な奴ばっかだし、こりゃヤバいよねぇ・・。



夜になり、もうすぐで名古屋なのだが、東海道で特につまらないのがこの辺である。トラックが爆走しすこぶる危険で、まき散らされる排気ガスで顔がべとつく・・こんな所を走って面白いわけがない。


しかしこのつまらない状況にしてしまったのは、他でもない我々だという事実。つまり、便利さ快適さばかりを追求してきた結果がこれなんだ。


それなのに、この道はつまらねえとかほざく私は、なんて自分勝手なカス野郎なのだろうか。


自分たちの都合で自然を破壊して不自然な都市を築き、やっぱし自然が恋しくなったと苦留魔や嘔吐倍に乗って、わざわざ大自然の空気を汚し行く人間って、何なのだろう?


人間は一体、何がしたいのか。何を目指しているのか。


・・そりゃ幸せだろう?と答える人がいるかもしれない。


その『幸せ』って言うのは、一体どんな状況の事を言うのだろうか

どうしたら人は幸せになる事が出来るのだろうか・・。



11月2日


天気予報が見事に的中し、午前4時ごろから冷たい雨が降ってきた。

昼には雨が上がるとの事なので、その頃には京都に到着しているはずである・・。


最後の難関である、三重県の鈴鹿峠を上っている私はどういう状況かというと、二重に着込んだレインコートも雨が貫通してTシャツまで水没し、おパンティーも靴下も完全に水浸しで、骨までジーンとくる冷気を放っていた。

それでも上りは自分が発生させる熱で持ちこたえられるが、『峠』という漢字を見て分かるように、山を上ったら今度は下らなきゃならない。


寒いんだろうなぁ・・おいコラ、どう考えてもピンチなのに笑うなよ俺。今までの道程があまりにもつまんなかったから、ちょっと刺激が欲しいとでもいうのか。


私はこれからすぐに襲い来るであろう苦難を楽しみにしているかのように薄笑いを浮かべ、頂上のトンネルをくぐって行った。



<つづく>