夏休み、つかの間の安息を過ごした、石裂山瞑想の家にあった本。
OSHOの書いた「魂のヨーガ」。
いま、ヨーガの修練を
ヨーガとはマインドの止滅だ
そのとき、観照者は本来の姿に定まる
その他の状態では、マインドのさまざまな形に同化している
これが第1章にでてくる言葉。
この本は、ヨーガの根本教本と言えるパタンジャリの書いた
ヨーガ・スートラに関する本だ。
ヨーガ・スートラは、途中まで読んだことがあったが、シンプル
な道義が並んでいるような文章で、意味がすんなりと入ってこな
いものだった。
OSHOの言うような本質を感じ取れなかった。
しかしこの本では、第1章からヨーガの本質、ヨーガ・スートラ
の本質の話からはじまる。ぐっと引き込まれていく。
OSHOはヨーガ・スートラは真実の自分を見つけるための科学だ
と言う。
宗教は、真の自分を見つけるための1手段に過ぎないと言う。
ヨーガは、真の自分を見つけるためのもっとも客観的な手段を提
示しており、その手段を提供する宗教、瞑想などの手法のエッセ
ンスがを示すものだ。
ヨーガを行う時には、自分の体と心に向き合っている。
マインドに支配される、本当の自分に寄り添っている感覚があ
る。それこそがパタンジャリ、OSHOの言う真の自分を見つける
科学なのだと思う。
ヨーガ・スートラをそのまま読んだだけでは感じられなかった、
ヨーガの本質が理解できる本だと思う。