800年前のパリの壁、フィリップ・オーギュストの城壁を辿る(その2) 右岸編 | 西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

12月9日(金)
天気:晴れ

昨日の続きです。

いざ約800年前の
パリ城壁跡歩きへ!
※フィリップ・オーギュストの城壁

昨日のブログでも掲載しましたが、
どこを歩くか分かりやすいように
城壁エリアを示したパリの地図を
再度掲載します。
{4A6819C3-8A4E-43F1-9807-D1369A995889}
赤斜線の部分が、昔のパリ、すなわち城壁で囲まれたエリアです

ちなみに、もちろん今のパリは
城壁に囲まれていません!


では早速、街歩き開始!

さて、フィリップ・オーギュストの城壁は、
まず右岸から作られたので、
右岸からスタートしたいと思います。
{1AF47DD9-E9A1-498C-A8BB-030900A12925}
昔の地図です。縁取り線が城壁の部分。
※画像:les chronologies de maurice griceより拝借

これを今の地図と
照合させると、、
{A591F1D5-B01C-4C4B-8EEB-208DA21B0029}
こんな感じです。そして、矢印のように、西から東に巡って行きます

ではまずスタート地点へ。

セーヌ川は上の地図でいうと
左が川下。

そして、敵は決まって川を
さかのぼってやってきていたので、
首都パリ(シテ島)を守るには
何よりもシテ島の西(地図では左側)を
守ることが大切です。

そんな理由で、シテ島の西には
シテ島を守るための要塞がありました。

それが今のルーヴル美術館です。
当時はルーヴル要塞と言われていました。

ただし、これには二つ前置きがあります。
①ルーヴル要塞はもともと
5世紀後半にフランク人が、
当時ローマ軍が支配していた
シテ島を攻め落とすために建てた砦。
(その後フランク族が勝利し、パリを奪い、
フランク王国の首都となる)
{49F3F83F-1D1D-49BD-9D82-35ECAE6AD538}
これは5世紀当時のシテ島です。フランク人がシテ島を攻めるために、その対岸に作った砦が、ルーヴルの起源です
※画像:les chronologies de maurice griceより拝借

※もともとパリはガリア人が住んでおり、ローマに占領され、その後フランク族に占領され、1700年代後半にフランス革命で王政が終結するまでフランク族の支配は続きました

②そして、そのパリを攻めるための砦が、
今度は敵からパリを守るための要塞
なったわけです。

※その後ルーヴルは、要塞→牢獄となり
1370年ごろに王が住む宮殿に。
フランス革命後に、宮殿を美術館として
利用することになり、今に至る


すいません、前置きが長くなりました。。


では、気を取り直して
ルーヴルからスタートします!

ルーヴルは今でこそ
パリ随一の巨大な建造物ですが、
{D188C833-10C7-42B4-A23F-8DDA6E7FB9A2}
パリ定番の観光スポットです

もともとは
現在のクール・カレ部分のみ。
{4E76AEB3-0231-4512-A0A2-547F54227788}
ルーヴルと言えば、右部分が有名(ピラミッドがある方)ですが、もともとは左の部分
※画像:Wikipediaより拝借

そこから、今のように
増築されていきました。
{A0566128-2BD3-42E8-BC71-73AC0C584371}
フィリップ・オーギュスト当時のルーヴル。城壁の外に、パリを守る役割で作られました
※画像:mariebarreno.wordpress.comより拝借

と、またまた前置きが
長くなりましたが、
街歩き、始めます!!チュー

まずはルーヴルへ。
{47C113CE-EAE6-440B-95A4-C345A2A8DA46}
セーヌ川沿いの道から見たルーヴル。とにかくデカイ!! 見えている建物は全部ルーヴルです

と、ここで振り返ると、
{9ECB04B5-3053-4287-8795-29264CBE71F3}
ポン・デ・ザール、芸術橋があります。かつて橋にぎっしり鍵が付けられていましたが、昨年撤去されました。奥にフランス学士院が見えます

正面には、
{7A55D5D9-618F-42D8-83A1-D8CE0A1BB248}
クール・カレの入口があります

とすると、この入口右側のところに
隅櫓(トール・ド・コワン)が
建っていたのでしょうか。
{56E93B27-F38F-4066-9EBB-6DD25AE1D708}
それとも、道の上にあったかもしれません

中へ入ると、
{F09AB239-4159-438C-997F-B18DD1F587B2}
クール・カレ。見事な建物です

と、かつて要塞が建っていた
クール・カレを通り抜け、
城壁跡を辿ります。


こちらは今回の城壁巡りの途中で
見つけた、城壁マップ。
{9F94B2FD-CE23-4614-BE59-3B439C457C46}
かなり分かりやすく、城壁跡が載っています

このマップをもとに
歩いていきます!

まず、ルーヴルを出ると、
{65A648E1-8F48-43BF-853B-DF27733873EA}
こんな感じで壁があったと思われます

分かりやすく、地図と
照らし合わせて歩きます。
{387C7F7F-0722-4A19-812A-009FD1ADBEAD}
地図を拡大! この数字の順に見ていきます

まず①のところ、
ここには現在、
『オラトワール デュ ルーヴル教会』が
建っています。
{45E0E2CE-0E4C-4EDF-94E9-7DDB9C460710}
こちらの教会は、プロテスタントの教会です

どうやら壁を壊した上に
建てた教会とのこと。

フランスはカトリックが基本なので
プロテスタント教会は珍しい!
{C7CEE2D6-0297-4C69-9639-A985D9FA357D}
プロテスタントなので、イエスキリストの姿はなく、十字架が掲げられてるのみです

プロテスタント教会、
ちょっと珍しいので中へ!
{4456BCD4-0566-4A62-BF71-62C72F303A88}
わー! カトリックと全然違います!

というか、
教会の中で、まさかの蚤の市!
{04D991A6-FCF7-4FA9-A20E-C4EAFCB3BA4C}
ひゃー! 初めて見ました!!びっくり

{0D12BC97-380B-4784-A633-057FC7378BD7}
よく分からないガラクタ(?)がたくさん売ってます!

いやー、面白い!

と、こちらの教会の方に
フィリップ・オーギュストの壁の跡は
ありますか? と聞いたところ、
地下にあるけど、
非公開だし、小さいからたいしたことないよ、
ということで、
教会を後にしました。

と、えらく長くなってしまったので
続きはまた明日にします>_<!