800年前のパリの壁、フィリップ・オーギュストの城壁を辿る(その1) | 西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

12月4日(日)
天気:晴れ


パリは2000年の歴史があり、
現代の世界都市の中で
最も古い街の一つですが、

その発祥は
パリの真ん中を流れる
セーヌ川の中州、
シテ島です。
※厳密にはちょっと異なるので
その詳細は過去ブログで!

そのシテ島には4世紀に
ローマの副帝"ユリアヌス"が
宮殿を建設。
※14世紀までフランス王の宮殿として機能

シテ島はフランスの中心で
非常に重要な街だったので、
しばしばヴァイキングやイギリス、
今のドイツなどから襲来を受け、
甚大な被害を受けることが多く、

パリをそのような敵から守るため
12世紀に時の王、
フィリップ・オーギュストが
当時のパリの街の外側に壁を建設。

高さ9メートル、
厚さ3メートルの巨大な城壁で、
パリの街を囲いました。
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高さ9メートルの壁を、当時のパリ外周に築きました


その壁の名は
フィリップ・オーギュストの城壁。
そして、その城壁跡を巡るのが
今ではパリの人気観光ルートとなっています。
※ちょっとマニアックですが。。


12世紀と言えば、
日本は平安時代後期。

平清盛の時代を経て
源義経・弁慶が活躍した
源平合戦の頃です。

鎌倉時代の前です。


その頃のパリは、
まだ今のパリに比べると本当に小さく、
シテ島を中心に
右岸はレアール、マレ地区、
左岸はカルティエラタン、オデオン地区まで。

そのエリアを
城壁で囲っています。
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赤斜線の部分が、当時のパリです。今に比べると、かなり小さい街だったことがわかります。※青線はセーヌ川


パリは時代とともに、
少しずつ大きくなっていき、
その都度城壁は外側に広がっていき、

それと共に、古い城壁は
壊されそこに新たに街が作られてきました。

そのため、上の12世紀の壁、
フィリップ・オーギュストの壁は
当然壊されてしまっていますが、
それでも一部の残っている部分があり、

また、パリという街は
この壁の影響を強く受けて作られているので、
壁跡を見ると
パリの街がどのように形成されてきたか
理解する助けにもなります。


というわけで、
今回、その約800年前の城壁跡を
辿ってみました!

ちょっと長くなるので、
右岸編と左岸編に分け
レポートします。

まず右岸編から!

と、ここまで長くなってしまったので
続きは次回から書くことにします!


ちょっとマニアックなネタですが、
お付き合いくださいませ!