結局人間って
自分自身に枠がある限り
何者でもないことにも
何者かであることにも
どちらにも恐怖を覚えるんだな、と思う
私も20代の頃は、A社の○○です。みたいな肩書きや役割で自分が固定化されるのが嫌だと思いつつも、同時に何者でもない自分に少し焦りを感じていた。
自分の時間を自分のために全て使える自由を謳歌しながらも、既に結婚して子供がいる友人が時々まぶしく見えたりもした。
結婚したり子供を産むと自分を固定化されるようで嫌だ、という考え方はとても良く理解できる。
私もそう思っていたから。
けれども、今は子供を産んでからのほうが自由な自分自身になれたと思う。
子供って思いもよらない事を言ったりしたりするから、その度に想定外の世界に連れて行かれて否応無く私の世界も広がる。
そして何より子供を見ていると、自分には無い発想をすることに一々驚かされる。
自分から生まれて自分が作ったごはんを食べて一緒に暮らしてる人間でも自分とはこんなに違うんだから、他人と解り合うためには本当によほど丁寧に接する必要があるんだな、と思うようになる。
そして、
想定外だから人生は面白い。とも思う。
未来がどうなるのか。何もかもわかっていたら、きっと毎日つまらないだろう。
誰もが自分と同じように考えて、自分と同じような決断をしたとしたら、想定の中で物事はスムースに運んでいくけれど、私の世界は決して広がることは無い。
子供が想定外の事を繰り返してくれると、こだわる事も、力づくで状況をコントロールする事も「無理だな」と思えてくる。
それで、「やーめた」と思い切って手綱を手放してしまうと自分も楽だし、意外と子供は自ら動き始める。
神さまは、人間に命を与えて地球という環境を与えて、あとは見守る。
人間たちがそれらをどう使って何を想い何を創り出すかをただ興味深く見ている。
母親も子供を産んで、成長する環境を与えて、あとは見守る。
神様のように器も懐も深くないから、かなりあたふたしているけれど。
私自身は色々とやりたいことも多いし、どちらかと言えば固定されるほうが嫌なんだなと思う。
子供たちがいるおかげで私は取り敢えず母親にはしてもらえた。その基盤というかグラウンディング力と安定性はハンパない。
育児を、昔は自分が縛られることだと思っていたから「固定」されるのを避けようとしていた。
結婚に同じイメージを持っている人も多いだろう。
けれども、結婚式のスピーチで
「喜びは倍に、悲しみは半分に」って言うじゃない?
多分「固定」されると思ってた時には、期待される母親像を元に「自分は母親としてこうあるべき」という枠を自分で作っていたんだと思う。
そして、その中で、自分の思い込みにこだわり、状況をコントロールしようとしていた。そんな時は、私ばっかり努力しているので、喜びはそこそこ、悲しみや辛さは増えるばっかりだった。
人をコントロールするなんて、相手が例え自分の子でも出来ない、という事がわかってしまうと、他人の事も、状況もコントロールしようとする分のエネルギーを使わなくて済むので心身も楽だし、軋轢も葛藤も少ない。
子供たちは、足枷じゃなくって基盤で、哲学の師だった。
存在しているだけで私を地面にしっかりと結びつけてくれて、仕事をする意味や、人を愛する喜びや、お金を稼ぐ必要性や、世界を平和にしたい具体的な理由を与えてくれる。
それを通して、私は自分自身の思いを明確にしていき、より自分らしくなっていく。
自分を固定する枠は、
人にはめられていると思い込んでいるけれど
案外、はめているのは自分自身なのだろうな、と思う。
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