空海を知る17 遣唐使船は瀬戸内海を通り大宰府に行く | 絵本作家 ふじもとのりこの「絵本がもっと楽しめる!絵本製作裏話」

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空海を知る17 遣唐使船は瀬戸内海を通り大宰府に行く

804年5月12日、第16次遣唐使船「四船(よつのふね)」は、難波の津を出航しました。
1船あたり、100名~150名、総勢500名という大船団ですが、唐についたのは、1番2番の船だけでした。

第1船には、天皇から刀を賜っている全権大使。天皇の名代が務まる朝廷の高官が、2船には副官が、3,4船には判官が乗ります。
(第1船にはのちに最澄が、第2船には空海が乗っていました)

その他秘書役、船員を管理する役割の人、書記と通訳、石や神主、占い師、雅楽隊長、警備員、船長、ガラスや鍛冶、木工、鋳物などの職人が乗っています。

唐につくと、これらの人の中から、上陸した港の地方長官が1船につき20人くらい選び、都長安に行くことができます。この人たちの滞在費は唐が負担するから、大人数は行けなかったのです。
残った人たちは帰りの準備をすることになります。

四船は、大輪田泊」(兵庫津、現神戸)、牛窓など、瀬戸内海の大きな港で宿泊し、燃料や食料品を超脱しながら大宰府を目指しました。
そして、朝鮮半島との玄関、「那ノ津」に到着します。

実は、第16次遣唐使船は、前年の夏に出航していましたが、瀬戸内海の悪天候で航行不能になり、船体修理のために1年延期になっていました。「那ノ津」には、1年待たされていた最澄がいたのです。

おそらく、ここで二人は出会っていただろうと思われます。
最澄は、おそらく入徳の目的を空海に尋ね、空海ははるかに位が高い最澄に礼儀正しく、大日経や真言や陀羅尼(梵字など)について語ったのでしょう。

しかし、この時、まだ二人はお互いを認めつつも特に親しくならずに終わったのだと思われます。