黙るプライド、黙らない勇気 | ゆらゆらダイアリ

ゆらゆらダイアリ

あたまと性格とウツをこじらせた一人暮らし女子のダメダメな日々。

頭痛がひどくて仕事の原稿とかブログとか書く気になれなかったとき、なにもしないのも時間をムダにしてる気がして、なんとなくぴのさんの街の区画整理に手を出しちゃった。

イベント数回分のアイテムがたまりにたまってて、どう拡張していけばいいのかもかんがえるだけでめんどくさくなってたからねー。
せっかく頑張ってイベントやったんだから、ちゃんと飾らないと、とおもって。

でもー。
1区画造るだけで2~3時間かかる。
こんなことしてて人生ムダしてない?っていうきぶんになって焦ってくる。

イベントでいつもわたしよりぜんぜん上のランクまでクリアしちゃってるピグともさんの街をいろいろ見て歩いたけど、ちゃんとあたらしいアイテムをきれいに飾ってるんだよねー。
さくさく飾っていけて、ちゃんとかわいい街になってるの、すごい。
そういうゲームセンスがほんと、わたしにはぜんぜんないのがわかる。




SP住人の住む場所もぜんぜんちゃんと造ってなかった。
しあわせの妖精が逃げちゃうー、っておもって、幸夫さんとジェニーさんのとこをまず造った。

椅子が2つしか作れなかったの。
もう2つぐらいほしかったよねー。




仲よくしてもらってるピグともさんたちの豪邸を引っ越しさせることにして。
その跡地に中華街造った。

中華飯店で売ってるアイテム。
肉まんだけじゃなくて、チャイナ帽もあるー。



すごいかわいい。
でも、チャイナ服なんて持ってないから、この帽子が合うピグがひとりもいないー。

チャイナ服は有料がちゃのアイテムだっけ。
服があとから揃えれないなら、帽子よりパンダグッズがよかったなー。

これからもぴのさんとこは土地を拡張していく予定だけど。
ひろげないともうなにも置けないからねー。
どれだけ重くなっちゃうだろ。

わたしを住人にしてくれてるピグともさんたちを、わたしのとこでも住人にしたいんだけど。
人数増やすとものすごい重たくなっちゃうから、これもお悩み。





ブログのデザインを、まえにAriさんのとこで使ってるのに替えた。
あの茶色のもかわいかったけど、色が濃いデザインって、なんかこころが重たくなるんだよねー。

このデザイン、すごい気に入ってたから、またおなじの使っちゃう。





季節の変わり目だからか、天気予報がぜんぜん当たらなくて笑う。
暑くなる、っていうのに、肌寒かったし。
晴れる、っていうのに、空が薄暗い曇りだったし。
降水確率0%の時間帯に雨降ったし。

確率ゼロパーセント、の概念、変わるよねー。

うふふ。←ここまで予報とちがう天気をたのしんでたわたし


晴れた空は霞がかかってる。
何本も飛行機雲があっちこっちの方向に走ってて、みんなどんな飛び方してるのー、っておもったけど。



こんなかんじ。

これは飛行機だけじゃないのかなー。
なんか宇宙から飛んできてるもの、とか?

今年の桜は長持ち。
まだお花見できる桜も残ってる。

いちばんきれいな満開の状態が長持ちしたよねー。
そのころはお天気は曇り空が続いてて、灰色を背景にもこもこした満開の花の「桜色」が幻想的に映えてた。

数字のコンビニで桜の和風パフェが今年売られてたけど。
まっぴんくのあのぎとぎと感、「桜色」を理解できない人がつくったのー、っておもう。

桜、といっても、いろんなぴんくがあるけど。
あんな人工的なぴんくを「桜」というのは、なんかちがう。

「和」といいながら「ぱふぇ」だから、洋菓子の部類なのかもしれないけど。
(洋菓子コーナーにあるお店と和菓子コーナーにあるお店と半々ぐらいなのがおもしろかった)

和菓子の色は、もっと繊細であってほしい。





あるライターさんが、「炎上」のあとの心境を書いてた。
リアルのメンタルに相当影響あったみたい。

実名で仕事と結びつけたアカウントが炎上しちゃうのは、即、リアルのじぶんのいろいろを直撃する感覚はあるんだろうなー。

だけど、匿名でブログやってる人とかも、炎上後の心境語りをいろいろ読んでると、リアルのじぶんのメンタルにも影響が及んでる、なんていうのをわりと見かける。

わたしは匿名の場合、こういう感覚がじぶんではぜんぜんわかんなくて。
リアルのじぶんにまで実害が及ぶことはないんだから、ネットでなに言われても、リアルのじぶんは安全じゃんー、っておもうから。

このアカウントで好きな人と繋がってたときは。
その人との関係性がおわってから、それはいま現在だって、じぶんに苦しいものを残してる。
リアルのじぶんにはすごい影響あった。

ある種のものすごい虚しさにとらわれたまま、その虚しさからけっきょくは脱することができなくて。

虚しさ、は自殺する理由になる。
かなしみで死ななくても、虚しさでは死にそうになる。

その自殺衝動とずっと闘い続けてきたのは、リアルのわたし自身。
ネットでのじぶんが、リアルのじぶんを殺しかけてる。
これは現在進行形。
それぐらい深い傷を、ネットのじぶんがリアルのじぶんに与えた。

だけど。
それは、そのじぶんの中にあった「恋愛感情」の後始末の話にすぎない。

ブログをやってる、ってことでは、そのブログに対するどんな反応も、アカウントのじぶんに対するどんな反応も、「ネットの中」からリアルに持ち帰ることはない。

ネットでどんなに中傷されても、ぱそこん消したあとのわたしの中に、その記憶すら留めてなかったりするんだよね。
次にネットに繋いだときに、わたしのその記憶も呼び出される仕様になってる。

オフラインでは呼び出せない場所に、ネットでのイヤな記憶、が保存されてる。

わたしのメモリは少ないから、リアルでリソースとられると、ネットの分まで展開できないの。

リアルまで残るものがあるとしたら、それは「たのしい」とか「うれしい」とかそういう感情の記憶ばっか。
ピグのこと寝る前にかんがえたりするのは、たのしいし。

でも、ネットでいろいろ中傷されたとき、「好きなこと言ってていーよー」っていう態度をとってきたことは間違いだったかも、とはおもうようになった。

わたしを中傷した人は、ほかの人にもそれやってるから。

だれかが思い切り怒ってみせないと、「中傷は一方的に相手を貶めて傷つけてる行為にすぎない」ということが伝わらないんだとおもう。

方法を選べばちゃんと伝わるような相手ばかりじゃないとおもうけど。

だけど、中傷されることに憤る、という反応は、とても正常。

ネットを見ていると、中傷された人が憤ると、そのことを揶揄する感覚が転がってたりする。
憤りに対して、更に揚げ足取りのような中傷を重ねたり。

"わたしはあなたのそのくだらないコトバでは傷つかない。"

というプライドを貫くことと。

"あなたの中傷はくだらない。"

ということを表明することと。

この両立の難しさについて、いろいろかんがえる。

くだらないコトバにはじぶんを傷つける効力はない、っていう感覚を知ってても。
黙っていれば、「黙った!やった!論破した!」って歓喜する人もいるからね。

勝手にそうおもっててもいいよー、っていうぐらいに達観したつもりでいても。

論破に成功した(とおもいこんでる)人は、その次のターゲットをまた見つけて、くだらない中傷で相手に勝とうとする。
その「次」の被害に、べつに責任かんじることもないけど。

「あなたのくだらないコトバでわたしを傷つけることは不可能」
というプライドを掲げたとしても、それを表明するだけで「傷つかないならスルーすればいいのに反応してるじゃん」って屁理屈返されることもあるよね。

だから黙ってしまうこと=相手への無反応、がいちばんスマートなじぶんのプライドの表明、ともおもえるんだけど。

黙っていることは、容認、にも等しいこともある。

イジメを目撃しても、黙って見てるだけなら、いじめられてる人から見れば加害側にいるのと変わらないように。

どんな卑劣な言動にも黙っていれば、その卑劣な言動は繰りかえされる。

止める力などなくても。

「中傷の加害」の所在を明らかにするために、「あなたの中傷にNOと言う」「あなたの中傷に憤る」「あなたの中傷に傷ついた」という反応をはっきりさせなくちゃいけないことがあるんじゃないのかな、って、さいきんいろいろかんがえるようになった。

もういちど言うけど。
人を中傷する人は、それを繰りかえす。

じぶんは躱せても、「次のターゲット」が生まれる。

中傷されたら憤る、かなしむ、傷つく、こわれる。

そういう反応を出す人は、なにもしないで静観してる人たちのまえで、ひとりで闘っているんだとおもう。

それをどう見る?
それを嗤う?

くだらないものに対する、ほんとの勇気、みたいなものについてかんがえる。

じぶんが「好きなこと言ってていーよー」という態度を出してきたことは、じぶんのプライドしか守ってなかったかも。

と、おもうようになって。

だけど、そういうプライドの在り方を理解できる人は、そもそも人を中傷したりしないからねー。

っていう現実もあって。


まだ、じぶんでなにも正解を見つけ出せてないけど。

「黙らない」正義について、もっとちゃんとかんがえていきたい。










アリアナとリカちゃんの公式コラボ♪♪