叔母さんから借りたマンガ読んだらいろいろすごかったはなし | ゆらゆらダイアリ

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あたまと性格とウツをこじらせた一人暮らし女子のダメダメな日々。



ライフイベ、メインクエストの6/7までクリアして洋服一式もらったら、もうやることなくなっちゃった。
遠目(標準サイズ)で見たら、あんまりかわいい服じゃないねー、っておもってたけど。
こうやってアップにすると、こまかいぶぶんがいろいろかわいかった。

ピグって、ほんと、いろいろこまかいとこまでちゃんとつくられてるよねー。

でも。
ライフイベはメインクエストのクリア報酬のハープはぜんぜんいらないから(エミリーの庭で見たら、音は出なかったから、あんなおっきなの、ぜったい飾らないよー)、洋服とれたところでやることなくなっちゃった。

蝶がびっくりするほどつかないから、蝶のレア集めクエストがトライすらできないし。
フラワースタンドを1つか2つ作れたら、工作のはなにものうひんしないで終わりにするつもりー。

工作イベは、クエストをクリアできなくても、作ったかわいいものがたくさん残るところがたのしい。
今回の作れるアイテム、ものすごいセンスいいよねー。





体調が意味不明なかんじでわるい。

でも、病院に行く気がしない。
このまま死んでもいい。
病気を治す必要をかんじない。

そんなきぶん。





今日は北風がものすごくて、晴れると暑くなってもいい時期なのに、冬のジャケット取りだしたぐらい外が寒い。
乾いた畑の土がものすごい大波になって(ほんとにビッグウェイブのような茶色い波の形になってる)、それが押し寄せてくるから、あわてて家中の窓閉めた。
外歩くと、服の布地に土がはいりこんで、口開けると口の中がざらざらする。

森の木はまだ枝の先にぽよぽよ柔らかい葉っぱをつけてるだけなのに、この暴風で森がゴーッって鳴ってる。
地鳴りみたいな木々の音。

森の音は神経を鎮める。

なんとなく車で遠回りして、また「はじめての森の脇の小道」を見つけた。
そこの森はニンゲンなんて一歩も入り込めないぐらい、下生えがびっしり地面を覆ってた。
獣道もつくれないぐらい。
低木や草は、森の奥まで見通せる隙間もない。

森の中は真っ暗で、その脇の車が辛うじて通れるぐらいの細い道には真夏みたいに濃い木の影が落ちてた。

影と光は、季節を錯角させる。
この効果、おもしろいよね。

真冬なのに、車運転しながら見上げた空が真夏っぽくて、窓の外は猛暑を想像してしまったことある。
カラダが夏の記憶を蘇らせて、生々しい錯角になる。

真冬に車の中でだれかの意識を失わせて。
その人が目を醒ましたら、宇宙の色を透き通らせた濃い青空と真っ白な雲、道に落ちてる濃い影、そんな光景を見て、じぶんは半年意識を失っていたらしいことにうろたえる。

なんていう、なんかミステリの設定につかえないかなー。





きのうは久し振りに佐藤オオキさんとクリス智子さんのラジオがおもしろかったから、ちゃんと聞いてた。
あの番組中にかかる佐藤さんのとこのショップのCM。
まえから、デザイナーのショップなのにCMはセンスわるいよねー、っておもってた。

それなのに。
きのう、いつもとおなじような、でも新商品のCMが流れるのを聞いてて。
映像のCMみたいに、「ステキなイメージ」っていう抽象的な内容だと、音声だけのラジオCMではなにを宣伝してるのか、ぜんぜん伝わらない。
だから、その商品がどういうものか、それがコトバだけで伝わるような作りになってて。

そのコトバのセンスがあんまりよくないから、わたしはこの時間帯のCMをそんなに評価してなかったんだけど。
ちゃんと聞いてると、そのCMで語られてることって、それだけで商品のイメージがものすごい鮮明に浮かぶんだよね。

佐藤オオキさんのデザイン、って、いろいろ変わってるものがおおい。
そういう独自性のある発想が、この方の才能、なんだとおもうけど。

その「変わってるもの」っていうのは、いままでの既存の物からは想像できないようなもの。
スリッパとか、お箸とか。
それをラジオの音声だけで、だいたいどんな形なのか、わかるようなCMになってる。

これって、すごい「言葉力」だと気づいた。

あとで画像検索してみると、CMだけで想像した形状と実物、そんなに差異がなかったんだもん。

ゴルチエさんのセブンとのコラボ商品もCM流れてたけど。
これもだいたい、どんなデザインの服なのか、そのCMだけで想像できるの。

だれがあのCMのシナリオ、書いてるんだろ。

「見たこともないもの」をコトバだけで伝えて、どれぐらい正確なイメージを伝えれるか、みたいなコンテストがあったらおもしろいよね。

「コトバ」を仕事にしてる人には、ラジオCMっておもしろいし、いろいろ学べる、っていうことに、やっと気づいた。





マンガ好きの叔母さんのとこで、いろいろ昭和のマンガを読んだ。
どれもわたしが生まれるまえの作品だけど、ものすっごいこってりしてて、脳みそが胸焼けしたかんじ。

創作原稿を書くようになってから、小説やマンガや映画やドラマは、その物語性をそのままたのしむ純粋性がなくなって、いろいろ構成とかあたまの中で解体したり、うまいなー、っておもうようなぶぶんにアンテナ反応させたり、っていう、「仕事の参考書」的なとらえかたするクセがついた。

これ、仕事には役に立つのかもしれないけど、じぶんにとって純粋な娯楽でなくなっちゃったのがちょっとつまんない。

脚本家は元々がドラマとかテレビを見るのが大好きだった、とか、そういう話いろいろ聞くからねー。
わたしは、小説が好き、っていっても、ものすごい読書家を名乗れるほどの読書量はないし。
映画もいろいろ見たけど、映画好きな人からみればほんの僅かしか見てないし。
テレビはぜんぜん見ないから、ドラマは親の影響で知ったのをDVDで見るぐらいで、あたらしいものはどんなドラマがあるのかも知らない。
知らなくても、ぜんぜん関心すらないから、じぶんは困ってない。

マンガもまえに書いたけど、1つの作品で何巻もあったりするから、集めるのがめんどくさくなる。
絵柄の好き嫌いがはっきりしすぎてて、この作品にどっぷりハマった、みたいになることがあまりない。

わたしは小説とかシナリオを書くことを仕事にするような資質がないのを、この仕事するようになってからものすごい実感する。

叔母さんのとこで読んだマンガは、じぶんの創作上ではいろいろ参考になることがおおかった。
でも「作品をたのしむ」っていう点では、あんまりいい感想が書けそうもないから、シーサーのほうじゃなくて、ここに書いちゃうけど。





叔母さんちでわたしが読んだマンガ。


軽井沢シンドローム 1 (ビッグコミックス)/小学館

¥524
Amazon.co.jp

表紙がすごいセンスよくて。
絵がものすごい好み。

このまえ小山田いくさんの訃報がタイムラインに流れてきてびっくりしたけど。
たがみよしひささんって、その小山田いくさんの弟なんだねー。
絵がすっごい似てる。

小山田いくさんは、ときどき買ってたえっちいなグリムのコミック雑誌によく載ってた方で。
昔の名作とかはぜんぜん読んだことないんだけど。

叔母さんは、たがみさんのイラスト的なセンスをリスペクトしてて、彼のいろんな作品を持ってた。
それで、わたしも『軽井沢シンドローム』を読んでみたけど。

途中で挫折。
ものすごい男性目線のストーリーについていけなかった。

ネットで見ると、この主人公の相沢耕平さんに憧れてる男性、いろいろいるねー。
わたし、たぶん、耕平さんに憧れる男性、とはぜったい個人的にあわないとおもう。

わたしにはぜんぜん耕平さんがカッコよくおもえなかった。
むしろ、その反対。
これ以上は悪口になりすぎる。

でも、このマンガ、女の人たちがどれもものすっごいカッコイイの。
美人に描かれてる、っていう意味じゃなくて。
キャラクター性が、ものすごい魅力的。

たがみさんって、男性目線のストーリーを書いて、男性主人公を絶対ヒーロー化させてるけど。
男性をカッコよく描くより、女性をカッコよく描く才能がすごい、っておもった。

だけど、どんどん耕平さんの絶対ヒーロー化が鼻についてきて、耕平さんと決別したくなって、途中で読むのやめちゃった。

彼が出てこないスピンオフな作品だったら読んでみたいけど。

イラスト的には、ほんとにセンスがある作家だとおもう。
車とかバイクとか、ものすごいいいかんじに描く方だよねー。

わたしはこのマンガを読んで、「ストーリーに絶対ヒーローは必要か」ってことをかんがえた。
絶対ヒーローものは、創作物語の王道かな。

主人公がその物語の世界の中で絶対正義。
耕平さんは、じぶんもちゃらちゃら生きてるようで、いろいろ中身はマッチョな男で。
いい加減に生きてる周りのキャラたちを、耕平さんがじぶんの正義で「正す」。
カリスマ性のある彼に、周りもついていく。
絶対ヒーローに反発する存在は、その世界では「ダークサイド」や「アウトロー」的な位置に置かれる。

絶対ヒーローの太陽系で、太陽ヒーローのまわりをぐるぐるまわる惑星キャラが固定化される。

ものすごい魅力的なキャラクターを創れるのが、絶対ヒーローもの。
でも、デメリットは、キャラクターがはっきり役割分担されて、世界の価値観は主人公の正義で染められてしまうこと。

『古畑任三郎』も絶対ヒーローものだよね。
ものすっごい風変りなニンゲン性の古畑さんが、あの世界の絶対正義で、周りのキャラは古畑さんの正義に振り回されて生きてる。

古畑さんにおでこをいつもぺちぺち叩かれる今泉さんを、周りの人たちも遠慮なくぺちぺち叩く。
今泉さんは、自律神経失調症を患ったりする、あの中ではものすごい繊細な性質なのに、役どころとしてはものすごいいじられ役で、ほとんどイジメと変わらないことを日々やられてる。

古畑任三郎をずっと見てると、なんかつまんないきぶんになったのは、今泉さんをイジメすぎる流れがわたし的にはダメになってきたから、だった。
絶対ヒーローものは、絶対ヒーローの正義に観客も染まることができないと、その作品をたのしむのが難しい。

ファンとアンチを同時につくるような作品。
創作者として魅力的だけど、キャラクターの魅力を作為的にかんじさせたらアウト。
その「越えないギリギリの一線」を掴む、というのは創作者の才能のぶぶん、なんだろうね。


三谷幸喜さんも脚本書いていた『やっぱり猫が好き』っていうドラマも(これは親が好きでDVDボックス持ってるはなしはまえにどこかに書いたとおもうけど)、あれも、ものすごいキャラがたってる作品。
恩田3姉妹のキャラクター性がものすごいはっきりしてるから、いくらでも二次創作ができちゃう。

だけど、あの3姉妹は、絶対ヒロイン化、はしてないよね。
それぞれ個性が強くて、話によっては3姉妹のだれかにスポット当てたストーリーになってたりするけど。
絶対ヒロインの価値観であの世界を染める、っていうのがない。

個性がバラバラな3姉妹が、バラバラな個性を乱反射させてるだけ。
その乱反射がおもしろいんだよね。

コナンもおもしろいけど、工藤新一が絶対ヒーロー化してる。

あたしンちや、クレヨンしんちゃんもどのキャラクターも個性がものすごい強いけど、絶対ヒーローはいない。
あたしンちの主人公は、「みかん」だとおもってる人、「みかんのお母さん」だとおもってる人、バラバラにわかれそうだもん。

クレしんも、しんちゃんが主人公のようで、しんちゃんのお父さんやお母さんが主人公的だったりするよね。

出てくる登場人物たちのキャラ性がものすごい強烈でも、だれかがその物語の世界の正義枠を独占しない。
っていうのと。

絶対ヒーローがその世界の正義をつくる。
っていうのと。

わたしがおもしろい、ってかんじるのは前者なんだとおもう。
でもこれは人によってそれぞれだとおもうから、ほんとに好みの話にすぎない。

じゃあ、書く人になったとき、じぶんはどんなものを書きたい?
ってかんがえる。

そのかんがえるとっかかりになってくれたのが、『軽井沢シンドローム』だった。


ものすごい長くなるので、ほかにも読んだマンガの話はまたあとで。


あとねー。

『CIPHER』っていうのと、『はみだしっ子』っていうの、読んだ。
まだまだ読みたいマンガ、いろいろあった。

でも読んだ3つとも、ものすっごーーーーーーーーーい濃厚作品で、カルピスを原液のまま飲んだかんじ。

低スペックなわたしの脳がとろけるよー。


またのー。