コナンの黒い犯人と蘭のフィギュアとれた。
ログインできる時間が少なすぎて、もうこれで充分な気がする。
でも今回のレア怪盗、キッドなんだねー。
それは見てみたいから、もうちょっとがんばるー。
前回の探偵ゲームからちょっと仕様がかわったけど。
前回はその説明をちゃんと読んでなかったから、もうひとり増えた探偵と、金色のメガホンつかえるレア探偵の呼び方がぜんぜんわかんなかった。
じぶんの探偵チームにスペシャル探偵をくわえればよかったんだねー。
コナンをチームにいれた。
コナンのなかよし度は関係ないから、住人ひとりのなかよし度をあげれなくなるデメリットがあるけど。
探偵イベ中だけの「仲間」にできるより、コナンをSP住人にできたらよかったなー。
でも、コナンがいるところにはかならず殺人あり、だからねー('_')
このイベ、いろいろフィギュアをとれたとしても。
阿笠博士はランキング報酬だから、これはぜったいムリでも。
眠りの小五郎や少年探偵団(灰原さん含む)や怪盗キッドは、ものすっごいがんばればゲットはなんとか可能な域にはいるかも。
だけどー。
肝心のコナンはー。
フィギュアないじゃんー。
っておもったら。
もらえる服着て、じぶんがコナンになるしかないのねー('_')
このイベは怪盗キッド服もがちゃアイテムで取ったんだけど。
男子服、が、女子設定のピグでも着れるとこがちょっと斬新。
↑Ariさんとこでがちゃボーナスのためにキッド服着てるぴのさん
(白スーツに白スカートも重ねて穿いてるけど)
◆
いろんな人を名指しで批判するスタイルを好んで取り入れてる人が、じぶんがちょっとでも批判されるとものすごいムキになって言い返す、っていう光景をわりとよく見る。
じぶんは軽く流せないんだねー。
って、なんかフシギな気にもなる。
だったら、じぶんが批判した対象がムキになって反論してくることも、当然、なはずなのに。
なんでか、じぶんが批判した相手にはクールであれ、みたいな押し付けをするとこもフシギ。
だから、傍から見てると、バカらしい茶番にしか見えなくなる。
他人に対して「メンヘラ」というコトバを積極的に用いて批判する人のメンタルが、傍から見ればぜんぜん健康的には見えなかったり。
懸命に人にマウントとりたがる姿は、傍からはとても器が小さく見えたり。
他人をうまく貶めてるようで、じぶんがじぶんを貶めてる構図。
その自覚がなくて、じぶんの身近な何人かもそれに気づかなくても、もっと離れたところから見ると、はっきり見えたりするね。
引き際の美学とか「負けるが勝ち」という価値観を知らないと、いろいろ損するねー。
っておもうこと、たびたびある。
◆
このまえ、ある人となんとなく雑談してて。
その人と共通の知り合いのBさんの話になって。
Bさんっていう人は、わたしにものすごい陰湿なイジメをしてた人なのね。
わたしよりずっと年上なのに。
わたしがそれをやられてたことは、わたしはだれにも言ってないから、だれも気づいてない。
それを知らないまま、その雑談で、Bさんは昔、Aさん(これもわたしとその雑談相手の共通の知り合い)にものすっごーーーーーい陰湿なイジメを受けてて気の毒だった、っていう話を聞かされた。
「へー」
って、それはわたしも初耳。
だけど。
その「陰湿なイジメ」の内容は、わたしがまさにBさんからやられてたこととおんなじ。
つまり。
Bさんは、Aさんから散々そういう陰湿なイジメをされて、傷つけられたんだけど。
それとおなじことをちがうだれか(わたし)にすることで、仕返しをしたのかなー、っておもった。
姑にいじめられたお嫁さんが、じぶんが姑になったら息子の妻におなじいじめをする、みたいな。
「意地悪」の連鎖。
いろんなかんがえかたがある。
じぶんにイヤなことをしてきた人を恨むのは当然だとしても。
その恨みが、「不幸になってしまえ」という報復の願いになったり。
じぶんに対して加害者的な立場になったひどい人に、きちんと報いを期待するかんがえ。
そのかんがえにとりつかれると、じぶんへの加害行為をしてきた人に報いを与えることができないなら、ぜんぜん関係ないだれかに対してその代理報復、みたいな思考になっちゃうのかな。
恨みをもつ。
っていうのは、じぶんにものすごいエネルギーを要する。
わたしはその体力がないから、いろいろ人に黒い感情を湧かせても、その温度を下げずに持続させて抱きつづける、ってことが難しい。
じぶんを不幸にした人に対して。
わたしがおもうのは。
地獄に行け。
じゃなくて。
極楽に行っちゃえ。
ってかんじ。
相手にもおなじような(もしくはじぶん以上に)不幸を味わわせるというのは、どんな益があるかなー、っておもうから。
だって、じぶんにイヤなことしてきた人が、どっかでものすごいイヤな目にあったからって、じぶんにイヤなことされた事実がなくなるわけではないし。
人の不幸を見るのがカイカン、っていう感覚は、いろいろ黒いニンゲン性を持つわたしだけど、じぶんの中にはたぶんない。
だから、じぶんにイヤなことしてきた人が、ものすっごい不幸になっても、ぜんぜんすっきりもしない。
笑えないし。
すごいイヤなことしてきた人に、「犬のうんこ踏んじゃえー」っておもうことはよくあったけど。
これも、改めたよ('_')
だって。
バイトしてたとき、どこかで犬のうんこ踏んできた人が、お店の中にうんこぺたぺたつけて歩きまわったことがあって。
そのぺたぺたうんこを掃除しなくちゃならなくなったのは、お店の従業員。
本人はぜんぜんうんこ靴に気づいてないかんじで、のほほんと買い物して帰ってった。
犬のうんこの呪いは、関係ない第三者を不幸にする!
ってわかったから、無闇に「うんこ踏んじゃえー」って呪いはかけれなくなった。
巨人に食べられちゃえ、とはおもうかもしれないけど。
巨人がうろつくようになったら、じぶんも危険だしねー。
わたしをこんな目にあわせた人が、なんで人生うまく生きてるのー、っていう理不尽さをかんじることはある。
でも、その「理不尽」は、わたしにイヤなことしてきた人がつくりだしたものじゃなくて。
もっとおおきな、社会の風潮とか、運とか、なんか、とにかく「わたし」と「わたしにイヤなことしてきた人」以外の、もっとおおきな力のせいだとおもうんだよね。
だから、理不尽さを恨む、となると、わたしの敵はもっとおっきなものになる。
そうすると、ぜったい太刀打ちできない絶望感に襲われやすくて。
「こんな人生なんて」
「こんな社会なんて」
「神さまなんて」
みたいに、おっきなものを恨みながら、そこから逃れるすべも対抗する力もなくて、じぶんをその環境から消してしまうしか、恨みからの解放の方法が思いつかなくなる。
イヤな目にあったじぶんを自殺させずに生き延びさせるには。
じぶんをイヤな目にあわせた人に対して。
不幸になれというより、しあわせに生きてください、とおもうのがいちばん、ってわたしはかんがえる。
いつごろから、そんなかんがえになったかは覚えてないけどねー。
まえにもこんな話、どこかで書いた気もするるるる。
極楽に行ってもらえば、そこから飛び出そうとはしてこないでしょ。
その人は極楽でぬくぬく生きてく。
地獄に落ちたりしたら、地獄から這い出そうとするよね。
そのために、だれかを踏み台にしたり、じぶんが這い上がれない地獄にいろんな人も巻き込もうとひきずりこんだり。
極楽に行ってもらえば、極楽に他人を無闇に誘ったりしないだろうから、その人は他人になにもしない安全な存在になる。
そんなかんがえかたもあるし。
人はしあわせだと寛容になれる、っていうのもあるから。
しあわせになってくれれば、その人はもう二度とだれかにイヤなことはしないかもしれない。
じぶんにも、もうなにもされない。
不幸になられると、また八つ当たりされるかもしれないし、ちがうターゲットを被害者にするかもしれない。
地獄の釜の中で暴れないで、極楽の温泉にずっと浸かっててね。
っておもうので、じぶんに意地悪い人にはみんな、「極楽に行っちゃえー」って呪うのがいちばん平和。