2015年6月3日満月のサビアンシンボル読みあわせ | すずきふみよしの「星の音を聴く」

すずきふみよしの「星の音を聴く」

読むこととはすなわち聴くこと。耳を傾けること。
ホロスコープから「聴いた」ものを、そして感じとったものを、日々丹念に言葉にしていきます。

[太陽]
双子12度「黒人の少女が街で自立のために闘う」
キーノート「過去の亡霊からの解放」

人の健康と安心とがよって立つ社会環境の衝動強迫と、あらゆる起こり得る時と場合において未熟な翼を練習させる必要とのあいだで、すべての個人が保たなければならないバランスのシンボルである。あえてする限りにおいてだが女主人の忍耐力を試そうとしている奴隷少女のように、人はなにか一つでも身分や人格すなわちキャラクターをもつためにほとんどスピリチュアルな厚かましさをもってして、自分の生に対してきっぱりと申し立てをしなければならない。人格とはここでは、それがいまのところまだなるべきものになるその存在そのものを危険に晒し賭すに連れて洗練されるのである。

キーワード:GROWTH(成長、成育、増大)
ポジ:体験のあらゆる新しい状況を個人的に利用することへの高い天分
ネガ:純粋な不満における喜び

[月]
射手12度「旗が鷲へと変わる。鷲は夜明けを祝福する雄鶏へと」
キーノート「前兆的な表明に敏感な精神による、ニューエイジの大きな象徴の精神的な浄化とプロモーション」

自覚している自分自身の実体をつくり出す確立された忠誠と、それによって自分自身を自分固有の権利のなかでのアイデンティティとして自己維持していくような理想化された野心とのあいだで、すべての個人が保たなければならないバランスのシンボルである。人はなにか一つでも個性や特徴すなわちキャラクターをもつために自分というものの独自のバージョンを提示しなければならないが、人格とは、生き残るためにはそれに期待されているものになるように順応しなければならない。理解とは自身とその状況との飽くなき闘争を通じて洗練されるのである。

キーワード:ADJUSTMENT(調整、補正)
ポジ:真正の自己表現を通じての上首尾の自己確立
ネガ:怠惰な先入観および無根拠で根も葉もない主張

いつもながら一読しただけでは意味を把握しづらい難文が並んでいるが、両者の対比的な構造はいつも以上には鮮明だ。二つのシンボルともにバランスのシンボルであるということ。双子12度のほうはプレッシャーのなかにありながら自分自身の未熟さをうまく扱うために必要となってくるバランスであり、射手12度のほうはそのような抑圧がよりいっそう大義名分を帯びてきていて、自身の野心とのあいだで強い軋轢が生じているという様相を見せている。
後者におけるバランスとは、変わりつつある、もしくは変わってしまった己を自覚しながらも、それをいかに御していくか――表面的な適応を示しつつも自己の変容を打ち立てるという困難な両立であると言える。そしてまた、双子12度のほうは人格の洗練が描かれているのに対し、射手12度のほうは理解の洗練を扱っている。さらに、慎重に選ばれた言葉で対比的に描かれているのは〈キャラクターの確立〉であり、これが今回の満月のテーマであると言ってよいだろう。

太陽のほう、双子12度の象意をあらためて解説する。先行の双子11度「新しく開かれた土地が開拓者に体験の新しい機会を提供する」キーノート「新たなはじまりの力と喜び」では、未知の領域を切り拓くために知性がもたらした力を使うことが示されていた。双子の第1デーカン(decan: 十分角=旬)を経て培われた、知性による分析的で破壊的な力が、新天地においてみずからの非常に強力で有効な武器となっている様子である。知性化の重要なプロセスだ。しかし、新しい土地にあっては必ずしもその武器が万能ではないことも早晩わかってくる。そしてまた、土地は新しく開かれているにもかかわらず、そこに足を踏み入れた自分の心はどうであろうか。予断、先入観、期待、野心……そのようなものにとらわれているのであれば、少しも開かれているとは言えないのではなかろうか。そうしたものを生み出しているのは、ほかならぬ自分自身の経験ではないのか――そこからの脱却を図るというのがキーノートにある「過去の亡霊からの解放」ということである。
この双子12度だが、ジョーンズ版のオリジナルでは"A Topsy saucily asserting herself.(生意気に自己主張するトプシー)"となっていた。トプシーとは『アンクル・トムの小屋』に登場する黒人奴隷の少女の名である。しかしながら「生意気に自己主張」などという生易しいものとはおよそ言いがたい、生を賭した、過去の自分との訣別を伴った、命懸けの〈新しい自分の確立〉がここでは志向されているわけである。

月のほう、射手12度の象意。上述のとおり自己の変容を自他もしくは公私のなかでいかにバランスをとった状態に保つかということが一義的にはテーマになっていると言えるが、ここではまた違った側面から解説を試みる。旗とは一般的に一つの国家の象徴である。鷲はアメリカ合衆国という特定の国家の象徴であり、また同時に超国家的な強権の象徴でもある。そして雄鶏とは卑小な個々人の生の象徴である。これらが入り組んだ変容を見せているシンボルであるが、これをどう読むか。一つの国家が抱える文化の所産が全人類的にまとめ上げられ、それが個々人の利便性に供されているさまを想像してみるとよい。きわめて今日的にとらえれば、クラウドに集積された集合知をオープンソースとしてだれしもが利活用しているさまである。
知性化のプロセスをかんがえた場合に、双子11~12度では分析的な知性が個人の強い武器として有効である様子と、それへの過度の信頼から離れることが示されていた。射手11度は「古代の神殿の左側の部分で、人間の体に似たかたちの容器のなかでランプが燃える」キーノートは「知性と客観的な意識にかかるストレスの平衡を保つために近代の思想家たちが推奨してきた〈身体への回帰〉の価値」とあるように、これは知性偏重からの脱却と身体知の重視を示すものだった。それを受けての射手12度は、知性のあり方が非身体的で非人格的であるような、そのような知の発展が示されているのだと読解することが可能である。そのなかにあって、個々人は自分の個性をどのように確立することができるか。自分の独自性をどのように示すことができるか。そのような変容と自己のキャラクターの確立がテーマになっているのだと読むことができるだろう。

さて今回の満月。太陽が示しているものは過去の自分との訣別である。単なる皮相的な自己主張などではなく、まさに身を切る想いで、なにかをやめてなにかを捨てて、いまの自分はなにを欲しているのかを明確に表明する必要に迫られることだろう。いや、そのビジョンはけっして明確ではないのかもしれない。しかし、少なくともいまの自分がどれだけ未熟であるかははっきりとわかるはずだ。その痛感のなかから、ではどのように成長したいのか、どういう姿になりたいのかを強く強く描くことができるだろう。それを訴えることは、いくらか口幅ったいものでも厚かましくても構わないのである。
月が示しているのは自己の変容をいかに外見上バランスよく見せるかということだ。その際に、おそらくインターネットというものはきわめて有効な手段となり得ることだろう。ただ単に自分をとり繕うというよりは、一種のギミックとしてうまく自己表現にとり入れてみるとよい結果につながるものとおもわれる。そしてこれらの緊張的なバランスのなかで、いかに〈自己主張〉を効果的な〈自己表現〉に包んで見せることができるか。そこに自分の〈真価〉が多角度から問われる、そんな半月だととらえて、ぜひとも有意義にすごしていただきたい。