勲業宍道家正系 | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

宍道家正系は神職宍道家に伝わる系図です。
宍道氏は佐々木京極氏の秀益が出雲国宍道において宍道氏と称しています。

この神職宍道氏は大森神社社家として、はじまりは古く正世清太出雲臣とあり天孫岩苔少領出雲臣 清太出雲臣父也と附記されています。
時は降り十七世勲業康朝朝臣は具平親王の御女内侍阿野姫を室にしています。さらに二十九世主王光清出雲宿祢は塩冶友貞の娘左野姫を室に迎えています。
三十世三河守正長から宍道の名が見えています。この正長は佐々木高次の娘慶方を室に迎えています。そのためか以後正長の養子として佐々木近江守義清が三十二世、三十四世佐々木式部大輔義秀(義清長子)とあり、正長自信の長男は三十五世佐々木遠江守源正氏とあり佐々木姓となっています。そしてその孫が鳶ヶ巣城主であり大内氏に属し姫山城主となった宍道伊予守隆慶です。

京極秀益から起こる系図にも隆慶は存在しています。隆慶の以後隆清、国清、実清、家清と続きます。慶の字はおそらく慶方の一字からとったものでしょう。
隆慶は一名を正隆ともいうようです。

以前霊雲寺所蔵の井上九兵衛写しとされる宍道氏正系もまたこの勲業宍道家正系がもとになっていると考えられます