矢嶺山城はどこか? | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

坪倉様のコメントによると「佐田町史飯石郡古図」現在の佐田町菅原トンネルに近い場所に矢嶺山城が記されているとの事。

確かめて見ると確かにあります。以前うしろが城で取り上げましたが、この古図通りならば、やはり矢嶺山城はここなのでしょう。
城主勝部筑前守は朝原宝坂神社と原田風土神社の二社の棟札に名前がありあります。

矢嶺山は「やね」と読むことから鳥屋ヶ丸をさしているのかもしれません。「とや」は「こや」の転化で小屋の嶺は物見の城があった標高の高い場所です。
古図には鳥屋ヶ丸とはは記されていません。なので記されている位置は天台寺院岩屋寺の奥あたりにも思われます。どちらかの山頂が矢嶺山城と考えることができます。

ただ資料が無いため小屋とする城は数多く存在しています、古図が示す矢嶺山は極めて貴重な資料ではないでしょうか?