古志氏の庶流三木氏 | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

古志九郎義信の子古志四郎宗秀は元弘の変の功により、後醍醐天皇から播磨国(兵庫県)三木庄の三千貫をいただき、以来三木姓を名乗って出雲国小山(おやま)の地頭となっています。
「出雲国造家、北嶋男爵家蔵文書」に出雲佐々木塩冶、古志之系図があり、これには宗秀が記されていません。

その他の古志氏系図を調べて見ないとわかりませんが、今回は私の仮説とします。

まず、気になっていたのが、今の佐田町には佐々木古志氏が入ったとされる城が伝えられているのです。しかしこれは稗原の戸倉城であってここでは無いものと考えられています。
佐田の伊秩氏と縁がある備後三吉氏庶流である萩の上里家に伝わる系図には造酒与太郎高実と記され、これは三吉弥太郎高実の誤りと思われますが、三吉を「みき」と読み「造酒」にあてられたもので、造酒が古志一族に見える三木(みき)と同じであればルーツは三吉氏と考えられますが、宗秀は上里系図にもありませんので、あくまで仮説です。

どこかでつながると期待しつつ調べてみたいと思います