出雲葛西氏の謎にせまる | 源行近のブログ

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山陰の戦国時代を郷土史レベルで研究しています。主に人物や城跡が中心です。

何度も同じ事の繰り返しですが、またまた出雲葛西氏を取り上げます。

ここでは新たな情報を入手いたしました。それは城平山城の東北隅に毘沙門天が祀られていたというのです。
毘沙門天は軍神です。かの上杉謙信も化身であると言ったほど、武家の信仰がありました。

城平山城は葛西武常が築城したと伝えていますが、伝えているのはもう少しあとで、応安7年(1374)に葛西多聞門の祈願所として陣貝の寄進が記録されています
この多門を武常とした資料もありますが、現在の真言宗延命寺(旧金光山長福寺)には正中元年(1324)の造営棟札があり、これも年代的に有り得ません。

後に葛西小三郎兵部小輔正富という人物が足利方として敗戦し、北畠氏を頼ったことが記されています。
この正富さんは楠木氏ではと思えてきました。楠木正成は毘沙門天の異名多聞天からとって多聞丸とよばれています。
城平山城の毘沙門天と葛西多聞(肥前守)を考えてもなんか繋がっている気がします。なぜ葛西という姓なのか疑問です。小三郎正富以降は孫とされる人物が城平山城に帰り、子の兼正より出雲の地頭となっています。ここから名前に兼がつくようになります、妹尾氏との姻戚関係が考えられます。