ねずみの絵 | 手稲山・発寒川からの手紙

手稲山・発寒川からの手紙

北海道の野生動物や自然の状況についてなど手書きの絵などによって詳しくお伝えします。

ねずみの絵
         前田 満
         北方林業 1953年1月号   


↑写真の油絵は、本文に紹介した一の橋の試験地。
 飾ってあるのは研究室の実験台。
 実験・図表を背に、タバコをくわえているのは24才の青年。

『俺達の小屋に、女っ気がないから、絵を一枚置いていってくれ。』
小さな集落。
しかも、北の国の、1番北に寄った村から、けわしい谷川に沿って四里も登り詰めたところに、ただ一軒、ポツンと立っている造林小屋の人たちが、ものものしい絵の道具を持ち込んだ私を取りかこんで話しかけてきた。

小屋のぐるりは、すでに険しい崖で、ヤチダモやカラマツの茂みに埋まっていた。
夜ともなれば、ほの暗い石油ランプの灯が、わたしたちの夕食の車座を照らしていた。

『わしら、1,000円もそんな高い金はないが、200円くれるならモデルになってやるべさ』
と、林道の草刈りに来ていた、おかみさんたちが、私に冗談を言って冷やかす。

この山奥での、我々の暮らしは、毎朝きまって、けたたましいカケスの鳴き声の合図で始まる。
続いて小鳥たちの囀り......。
谷底から濃い霧が這い上がってくる。
ササの葉を露玉がゆらゆら動かす.......。

1日の労働を終え、夕食を共にしながら、
『今日のオヤジ(熊)は、のんびり歩いておったよ。
あれを、あんたに、見せたかったなあ......』と。
都会育ちの私は、熊の絵も描きたいが、気弱に相槌を打つ。
内地(東北地方)に妻子を残して出稼ぎに来た彼らは、日中の労働を、夕食時の語らいで忘れようとしている。

わたしは、水彩を中断して、この春から開始した油絵の、絵具やカンバスを、ネズミ捕りの重い調査用具と一緒に背負って、この山奥にやってきた。
それは、ネズミ捕り「調査」と「絵描き」を両立させるつもりだった。
ところが、彼らと接するうちに、この考えの甘さにぐらつき始めた。

今年もあわただしく過ぎた。
都会の職場の仕事終わりの日の煤払いのときに。

クモの巣が張り巡らされ、夜は、ランプの明かりをたよって蛾の大群が飛び込んで来る山小屋での、彼らとの語らいを思い出す。
私には、新しい感慨がわいてきた。
まだ、頭の整理は不十分だが、“ネズミのいないネズミの絵”を、私には描けるかもしれない、と。


手稲山・発寒川からの手紙 No.12 2019年4月21日発行