私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。寺山修司 『青春の名言』


深夜の商店街並んで歩く 間にガードレールで線を引く


自分の肉体と文体の悪口ならすらすら言える


ペーパーナプキンに書き出す今年の目標 書いてすぐ捨てた居酒屋


目の前の文庫本 何読んでいるのと聞けずに出るドトール


スーパーの肉売り場 白明かりに並ぶ死体指で突く



シャネルの新しい香水
腕時計
絹のスカート



それから。欲しいものを夢想して電話の横のチラシの裏に書き出す。ボールペンを弄びながら店の奥から夕食の買出しで賑わう商店街を見つめていた。いつだって手に入らないもののほうが多いけれど想像するのは自由だ。あと二十分。リストに蛇皮のハンドバッグ、と書き込もうとしてたら、店長が油揚げが無いとぶつぶつ言っている。聞こえない振りをしようかとも思ったが、いやにばさばさと夕刊フジを畳むので、サンダルを突っかけて店を出た。風でローソンのビニール袋が私の足にまとわりつく。可愛いサンダルもリストに加えたい。角の豆腐屋まで行こうと、見上げれば、商店街の意味の無い万国旗やにぎやかさどころか逆に悲しささえ醸し出してるぼんぼりなんかも、西の方角の紫や藍やオレンジがまじった燃えるような夕焼けの下ではいとおしく見えたから、いいことにした。ビニール袋を振り回しながら、帰り道にすれ違う、新聞配達のスーパーカブが可愛くて、肉屋のカレーコロッケが妙に美味しそうだった。




ドクターマーチンを履いて家出したまま帰ってこない猫

リトルマーメイドのプリントのシャツ

フェンダーといかしたストラップ。



寝ぼけ眼で玄関の前に置いてある皿に入れたミルクが昨日の夜から減っていないのを見て、今日の夜からは置かなくていいや、と思いながら、着ようと思ったリトルマーメイドのシャツはベッドの下で丸くなっていたのでブランキーのツアーTシャツを着た。

ギターはもっていない。上手くならないから先週売ってしまった。練習していないから当たり前なんだけど。アフロヘアの具合を確かめて、小銭やらバンのキーやらをポケットに入れて家を出た。

日系企業のビル群を横目に国営放送のラジオのニュースをつける。今日の渋滞の原因。補助輪付き自転車に乗った女の子がハイウェイの右車線を走っているらしい。家出したくなったのかな。彼女が大人になったらどんな娘になるんだろうなんて考えていたら、あのフェンダーを売ったことを呪いたくなるほど後悔し始めた。渋滞の列のトラックの銀色の車体がぎらぎらしていた。天気予報が今日の夏日を告げていた。

(片岡麻美子)

小走りにガードを抜けて来し靴を ビラもて拭う夜の女は      寺山修司



天国の入口というライブハウスの出口で水を一口飲んだ。

分厚いドアの向こうからはベースの音だけが響いてきた。壁にべたべたに貼られたフライヤーを読む振りをしていたけれど、ライダースの背中が角を曲るのは見逃さなかった。つられる様にして歩き始めた。



壁にもたれて、氷が溶けて味がしなくなったジンバックを啜っていた。ドクターマーチンを履いた男が一緒に来た女友達だけに話しかけたので、私はいつもするように自分の爪先に視線を落とした。我ながらさり気なく出来た。先週買ったばかりのパンプスだった。誰かが思い切り踏んづけて汚してくれればいいと思った。ステージでは何てことないロックバンドが演奏していた。黒いリッケンバッカーを弾く男がぼたぼた垂らす汗を見ていた。途中、酔った客が彼に茹でピーナッツか何かをぶつけたけれど、一向に介せず最後まで演奏すると、ステージを降りて、やけにするりと観客のあいだを擦り抜けていった。またしばらく自分のつま先を眺めた。この店はフロアがチェス盤みたいな白黒になっている。白の正方形のところに両足をそろえてみた。でもこの店で茹でピーナツなんて出してたっけと思い顔を上げるともう男はギターケースを肩にかけて出口への階段を上がっていた。私は点けたばかりの煙草をもみ消していた。



駅前の酔いどれ達の人込みを抜け、男は線路沿いに歩き続ける。ビリヤードの山彦、衝動と言う名の靴屋、安モーテルお洒落貴族。男が振り向いて目が合う。そうすれば私は世界の全てに勝ったことになるような気がした。祭りでもないのに神社の入り口では獣の肉を焼いて売る片目の的屋がテレビの野球中継を見ていた。ライダースのベルトがぶらぶらして金具が通る度ヘッドライトに反射する。私の影が彼に覆いかぶさるのを数えていたけれど、途中でわからなくなってやめた。甲州街道のオレンジ色ライトの長いトンネルに差し掛かって少し怖気づいた。私の靴が引き伸ばされて捨てられたカセットテープを蹴った。男は振り向いた。別に驚いた様子も見せず私を一瞥しまた歩き始めた。私も慌てて踵を返して足を早めた。トラック野郎が派手な音を立てて通り抜けて行った。井の頭線の最終電車にはまだ間に合う。それに気づいた自分に軽く失望した。