『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』 | Wind Walker

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キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生 (ハヤカワ文庫NF)

 

『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン インディアン連続怪死事件とFBIの誕生 デイヴィッド・グラン著 2018年

 

 

昨年マーティン・スコセッシ監督によって映画化されたノンフィクション。

 

映画は上映時間が3時間半と聞いて劇場で観るのを断念してしまい、まだ観れてませんが予告だけ貼っておきますね。

 

 

 

 

20世紀初頭、オセージ族は居留区で発掘された石油の利権によって部族全体が大金持ちになりました。

 

当時の族長ビッグハートは石油の価値を理解していたので、権利を部族のものとして法的に確保し、利益を部族員が平等に受け取れるようにして、その権利は血族の相続によってのみ譲渡されるように手配しました。

 

しかしそれからオセージ族が次々と殺される事件が起こるのです。公式な犠牲者数は24名。

 

本作は三部に分かれていて、一部は1920年代に起こった連続殺人事件の経緯。

 

二部は全米で注目されていたその事件のために当時まだ小さな組織であった司法省捜査局の調査。執念の捜査の結果、連続殺人事件の黒幕の白人男性を逮捕・起訴し、その功績をもって捜査局は存在感をアピールし、後にFBIという巨大組織へと勢力を拡大します。

 

三部はオセージ族の石油も枯渇した2012年、著者の独自に行なった調査。捜査局は一人の男を逮捕したことで満足して引き上げてしまったけれども、同様の殺人をしていた白人はもっといて犠牲者の数も24人よりも遥かに多かったことが分かるのです。

 

 

オセージ族の人々も大金持ちになったおかげで命や財産を狙われたわけで、かつて『古代インカ・アンデス不可思議大全』を読んで新大陸の膨大な富を収奪したスペイン人たちが内輪揉めでほぼ全員が非業の死を遂げていたのを知った時も思いましたけど、巨万の富を得ることと人が幸せになることは決してイコールではないとつくづく感じました。

 

アメリカインディアンに対する差別意識が事件の根底に色濃くあったので決して楽しい読書体験ではなかったですが、それだけにこの話でどうしたら人を楽しませる映画ができるのかと思うと映画版により興味が湧きました。

 

 

 

 

ちなみに映画の公開前は『花殺し月の殺人』という題名だったのですよ。

 

 

原題が「Killers of the Flower Moon」なので、「花殺し月」は誤訳じゃないのかと読む前はひそかに思っていました。それだったら「Killers of the Killing Flower Moon」のはずですし。

 

しかし本編の1ページ目にその説明があって、

 

「五月、(略)丈の高い草が、小花にしのび寄り、光と水を奪い取る。小花の首は折れ、花びらは落ち、やがて地に埋もれる。それゆえ、オセージ族は五月を「花殺しの月」(フラワー・キリング・ムーン)の頃と呼ぶ。」(p.13)

 

後からやってきたものに小さなものたちが静かに蹂躙される、という暗喩が込められた素晴らしい邦題だったのですね。わかったときにはもうタイトルは変えられていましたけれども。