空手を一つに | 増田 章の「身体で考える」〜身体を拓き 心を高める
空手を一つに

世界水泳が開催されています。女子サッカーに続く日本選手の活躍に国民の期待が集まっているのではないでしょうか。

残念ながら、リアルタイムでテレビを見ることはできませんが、私も北島選手を始め日本人選手の活躍に期待するひとりです。

さて、オリンピックやワールドカップを見るたびに思うことがあります。それは空手が一つになったら良いなということです。

ご存知のように空手はオリンピック種目ではありません。そして、様々な流派に分かれて大会を主催しています。

大会がたくさんあること自体は悪いことではないでしょう。しかし、空手が世界中の人達と同じ場を共有するということがないということに関しては残念に思います。

なぜなら、空手愛好者が同じルールや場を共有し交流することで、多様な文化や言語を有する人達の相互理解を進展させることができると考えるからです。

私は、フルコンタクト空手競技に「クラシックスタイル」「フリースタイル」という2つの競技スタイルを創設し、様々な空手流派の人達が集える大会を主催したいと考えています。

そのために、先ず以て空手の流派すべてが協力し合う体制を創ることが必要だと思います。例えば、国際連合のような機構を創設し、協力体制を持つということです

これまでは、空手は自流のスタイルや考え方に拘り、そのような体制はつくれませでした。

私もその一人でしたが、今はつくれるのではないかと考えています。
世界水泳を見てそう思いました。

なぜ水泳を見てそうおもったかというと、水泳は同じ「プール」という場所を共有しつつ、泳ぎを競う手段を自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ、個人メドレーなど何種類にもスタイルに分けています。そして、スタイルが分けながら、水泳競技と連盟を一つにまとめています。

そのように考えれば、空手も水泳同様、一つになれると思います。「寸止め」「クラシック」「フリースタイル」と3つ競技があっても良いのです。
斯界の実力者方の考え方一つです。各団体の合意の可能性は充分にあると思っています。又、具体的な提案もあります。

もし、できないと言うのであれば、それは情緒的な人間の美学や価値観が悪い意味で邪魔しているか、現時点での利害の問題が妨げになっているのでしょう。または、斯界の発展期に互いに批判を繰り返したことによる感情的な問題があるのかもしれません。

しかし、それでも私はできると思います。現在、力も活動資金もない非力な私ですが、最後の挑戦のつもりで働きかけてみたいと思います。

先ずは、極真空手の人達からだと言われると思いますが、伝統派の方々にも働きかけたいと思います。

なぜなら、私は伝統派空手に高い評価をする者だからです。私から見れば、どちらも長所短所があり、完全ではないのに自分たちの空手が一番だと主張するところにあります。しかし、そのような主張は極真側に多かったと思いますが・・・。

そのような、二者選択的な考え方、手段がすべて正しいという考え方を改めた方が良いと思います。もちろん、人生は選択の連続であり、選択は重要です。

しかし、すべての選択を包括するシステムとしての組織、枠組みをつくることが人類の課題だと私は感じるのです。つまり、多様性を維持することが可能な決断システムとしての社会を創出、機能させるということです。少し抽象的で意味不明のことを述べました。

話を戻すと、とにかく水泳を見てください。空手は一つになれます。
そして、一つになる過程とその結果を皆に見せることが、平和構築に向けた、次世代のリーダーの育成のモデルになると思います。