鈴の音 -6ページ目

言葉の選び方

皆さんこんにちは。ヨガインストラクター兼グループホームの寮母をしていますマヤです。

緊急事態宣言によりグループホームに2か月間缶詰です。日中、自由な時間があるとは言え、純粋なお休みは取れていないわけで、それなりに色々蓄積されております。福祉従事者という事で公共機関も使えず、徒歩圏内で生きています。今のご時世そんな人はたくさんいるので仕方ない。

溜まったストレスをヨガインストラクターしてはあるまじき、体内アルコール消毒と言う晩酌と愛犬のサラとのモフモフタイムで均衡を保っております。誰も迷惑かけてないし、私的にはOK。瞑想しようとしても発狂しそうになんねん。今は私にも周りにも優しくなれるとこでバランスをとってる。



最近のね、私の修練はヨガのポーズじゃない。
ズバリ「伝え方」です。
私の心をどう表現するか。

今までと同じように伝えていたら、キレられた。私はそれにショックを受けて注意をするのが怖くなった。怒らせないように見なかった事にして過ごす方が簡単かもしれないとさえ思った。でも、そうすると私の心にヘドロが溜まっていく感じ。気持ち悪いの。私の心が健やかじゃないの。だから、勇気を持って注意をした。それを何度か繰り返しわかったことがある。


相手に理解して貰う為のちょっとした気遣い。そして、「何故?」をちゃんと説明する事。


先日も水筒の蓋がめっちゃ汚れてた。以前食器の洗い方を注意した時は、キレられた。

①まずこれが不衛生である事を伝えた。(事実)
「見て〜めっちゃ汚れてるよ」

②何故良くないかを伝える
「これじゃ〜カビ食べてるみたいなもんやで。病気になるで」

③どうしてそれを言うか。
「◯◯さんが病気になったら、私は心配だし悲しいわ」


反論返って来る。

④受け止める。
・仕事が忙しかった
・気がつかなかった
・疲れてた
などなど

「そうやな。でも、病気になっちゃたら大変やで。これは優先しなきゃいけないことや。」


すんなりと受け入れてくれた。またやらかすかもしれないけど、少なくとも反発がないのは凄まじい変化です。

相手がどうしたら受け入れてくれるか。
相手が受け入れてくれなかったとしても考える機会を与えられる。
相手に選択を与えて自主性を促す。


文章にすると頭で考えて合理的に表現するとなるが、心から捉えると相手を尊重するってことだと思う。

ここにいる彼らは、読み取る力や推測する事、優先順位など、処理能力に時間がかかる。それを待てない人が雑なコミュニケーションをとってきたのだと思う。又は、考えられない人と決めつけて、選択する事をさせて来なかった。
だから、自分で判断出来ない。自分の意見が言えないのだ。では、意思がないのか??そんな訳ない。ちょっと処理のスピードがマイペースなだけ。社会がそれに対応出来ないだけなのだ。キャパ狭いだけです。


彼らが社会についていけないのではなくて、社会が狭く、彼らの時間軸に対応しきれないだけです。


とは言う私も自分の時間軸で測ってしまいイライラしてしまう事は度々です。それでも生きていく為には、社会の時間軸に合わせなければ生きづらいのも確かです。それをサポートする?調整するのが役目だと思うのです。それは叱って従わせるのではなく、思考の繋がりを伝えていく事ではないだろうかと思う。

しかし、これは知的障害と括られた人の事のみのことなんだろうか。

違う!!

いつもこの答えに行き着く。
みんな同じだ。
自分の意思を相手にわかって欲しいと思ったら、「汲み取れ」と言うような乱暴な伝え方ではなく、わかって貰えるようにしっかりと伝える事なんだと思う。

人間関係で大切な事は何も変わらない。
同じだ。



今朝も独り言を繰り返す子に「うるさい」と言ったホームの子。確かに私も同じ事を繰り返し聞かされて、気が狂いそうになるのだが(笑)

「確かにうるさいかもしれないけど、ちょっと静かにしてって言ったら?」

「自分が言われたら、どっちの方がいい?」

と、問いかけました。


自分は悪くないのに、自分の方が言われてムッとした様子だったので、理解はされなかったかもしれないけど、考える機会になったら良いと思う。

そして、自分の心を伝える表現はたくさんある事を知って欲しい。ボキャブラリーが少ないんです。
私も全ての表現を「かわいいぃ〜」で表現してしまう昭和な女だけども、それがお互いに通じて盛り上がれるなら良いが、通じない場合は言葉選びを間違っている。

そういう事が人間関係をギクシャクさせる。


私が言いたいのは、貴方の伝えたい事(心)を表現する言葉を大切にって事。私は私の心を理解して貰うために、表現を間違わないようにしようという事。わかる相手には直球や変化球の言葉を投げて良い。でも、人間関係でトラブルはこのキャッチボールがうまくいってないからだ。間違ったら、投げ方変えよう。それで貴方の心が変わる訳ではないのだから。



日常が私に多くの学びを伝えてくれる。
特殊に思えた事に物事の本質を感じる。

手放しに楽しい生活とは言えないけど、楽しさは自分の視野を狭めなければ、溢れている。

私は味方です

久しぶりのブログになってしまいました。

ハムスターのハム子が逝ってからガックリ来ていたのでした。






前回のブログで書きましたが、このホームの子たちとの接し方も含めて心が折れてしまって、やさぐれ気味でした。ところがですよ!そのくらいからホームが穏やかだったんです。癇癪を起こす事もなく、ちょっと失敗物忘れはあっても、平和だったのです。それもあり、徐々に私の気持ちも落ち着きを取り戻していきました。



何でや?

なんで急に聞き分けが良くなった??

半信半疑私。←心が汚れた大人 信用しきれない。


ここに来て何度も何度も嘘つかれたり心砕かれ、自己防衛で心を全開に出来ん。

何日かたっても平和🕊あれ?おかしいぞ。

誰も叫んだりしてねーぞ。

だまされねーぞぉおおおおおおーーーーと思っていたが、平和だ。

緊急事態宣言で家にいる時間が多くなり、週末も家に帰らずホームに残っていたが、トラブルもなく言われなくても家の掃除や仕事をしてくれる。


そうなってくると私も再び彼らの為に何かしようと言う気持ちが湧いて来て、家から出られない彼らとプラ板を一緒に作ったり、買い物に行ったりするようになった。


ある日の朝、突然ホーム1番の暴れん坊が「いつもマヤさんに感謝しています。ありがとうございます。」と言ってきた。朝忙しい時に言われたので、心がついていかない&未だ疑心暗鬼(お前の心は暗黒か?!)

かろうじて、「私もみんなに感謝してるよ。いつも家の事やってくれてありがとう。」って言いましたが、心がこもっていなかった。←鬼


そこからです。これは何か変化があった。確実に彼らの態度が変わったと受け入れられました。ハム子がいなくなる前に私なりに、試行錯誤してやってきた事が、結果として現れたのかもしれない。おそらく、大きかったのは一人一人との面談。


「私はみんながここで楽しく過ごせるように、手助けする為にいるんだよ」と伝えて、私がして欲しい事、して欲しくない事はもちろん、みんなが困っている事やしたい事を聞いた。ただそれだけ。

普通でしょ?同じよ!!


私はすべき事を何故それをしないといけないのかを彼らにわかる言葉で説明をした。ルールを押し付けるだけではなくて、何故そうしないといけないかを説明する様にした。障害があってもなくても訳の分からない事をするのは多分ストレス。私も意味わからない事って覚えられないし、苦痛。だから時間かかったり面倒でも説明しようと心がけてる。

そして、意見を聞いて彼らの出来る範囲と許容を受け入れて、サポートしようと思ってる。


きっと、私の事は自分達の敵ではないって認識をしてくれたんだと思う。


「私は楽しいおばさんだよ!」

「みんなを手助けする為に来た」

「味方だよ」



この言葉やっと届いたかな。



今日もミーティングしたけど、前よりもずっと真剣に聞いてくれて、意見も言ってくれた。それをまとめて会社に伝えて、改善していく。私もやっと自分の立場と環境に慣れ理解し、会社に対してアイディアを提案出来るようになって来た。心許なかった足場が安定して来たのを感じる。


まだまだ日々ドラマティックではあるけども、それを楽しんで成長していきたい。






ハム子との別れ

ハム子事、ハムスターの桜が死んだ。





大阪に来て4ヶ月が過ぎた。もともと動物が大好きだった私に突然猫2匹とハムスターとの暮らし。憧れだったペットとの生活。すごく嬉しかった、可愛かった、私の癒しだった。

東京でヨガインストラクターをしながら一人暮らしでペットを飼うのはなかなか難しい。何度も飼いたいと思うも、毎年1、2ヶ月インドへ行く事や早朝のヨガの練習を考えると難しい。


それがここに来て夢にみた動物達との暮らし。さらに犬のサラもやって来て、私はモフモフ生活にウキウキしていた。



小動物にはそんなに興味はなかったが、ハムスターの桜(ハム子)は愛らしく私の心を鷲掴みにした。愛らしい過ぎる。



突然だった。

ホームの子が夜「ハムスター死んでる」と。

昼間も見に行ってちゃんと元気に動いてた。でも、行って見るとハム子は固まってた。


なんで!

どうして!!


私はボソッと「水が飲めなかったのかな」と呟いた。すると「そうや!!水飲めなくて死んだんや。前の水飲みより短いから届かんかったんや!!!」


水飲みの器具が壊れて新しく私が買ったものに変えた。ずっとそれは気にかかっていたが、随分前の事。それでもちゃんと飲めているか気がかりではあった。私が最も気がかりだった事を繰り返しに言い始めて、私が殺したと言われているようで本当に悲しい気分になった。


耐えかねて「もう言わないで。それで死んだかわからないでしょ。新しい餌が合わなかったかもしれないし」と言った。


無関心な子や同じような表現で分かち合える人がいなかった。それでも冷たくなったハム子をこのままには出来ない。私は怖くて触れなかった。手伝って貰い小さな箱に入れた。みんなにも寝るよう促した。


部屋に戻ると涙が溢れた。

同じように悲しみを分かち合えない事。私がハムスターを殺してしまったかもしれないという罪悪感。他の動物達との別れや自分が育てる事への不安。

実際には死因はわからない。私はとてもハム子が大好きだったし、全てのことは良かれと思ってやった事。


それでも、死んじゃった。


悲しかった。1人部屋で泣いた。

ホームの子の独り言が上から聞こえて来る。「ハムスター死んだ」って言葉が何度繰り返される。その言葉が聞こえる度、悲しくなる。悲しんでいるように思えない彼らの様子にも傷ついた自分がいたけど、こうして遅くまでハムスターについて呟いているのは少なからず、動揺しているのだろうと思った。



それでも、同じように感じているのかわからない彼らに絶望した。頭と心は別だと思い、心を育もうとしていたのに、無理なんじゃないかと思いさらに悲しくなった。何もかもがネガティブに思え、今までの自分のアプローチも無意味に思えた。


次の日も「ハムスター死んだから、世話せんでええ。サラ(犬)がいるからええわ。」予想してた言葉に心が固まる。私は淡々とすべき事をこなした。ハムスターを庭に埋めて花を植えた。ハム子の命が新たな命を育むように。


ハム子の死は私の無知のせいかもしれないって事、他の動物達を看取る覚悟と責任を感じた。そして、彼らとの向き合い方。すごく意欲的になっていた心を折るのには十分な出来事だった。そして、心と頭は繋がっていて、そこが難しいんだって改めて思った。もう一度、振り出しに戻った。



ハム子さんが大好きだった。

愛らしかった。

その気持ちは本当だった。

でも、死なせてしまった。寿命だったかもしれない。でも、もっと長生き出来たかもしれない。それでも、気持ちは本物だった。そこにすがってる。



そんな私もサラ(犬)に癒されてる。「サラがいるからええわ」と言った彼女と同じなのかなとも思う。それはわからない。でも、表現は違くても心はあるのだ。


未だ答えは見つからないけど、私は私の心を大切にしようと思う。結果は残念だったけど、真心を持って接していこうと思う。



同じ土俵に立つ

大阪に移り住んで新米寮母となり4ヶ月。えっ!?まだ4ヶ月なの!!と驚きます。馴染んでいると言えば馴染んでいる。でも、慣れたかと言われたら慣れはしない。毎日がハプニングで、白目剥きながら乗りきってる(笑)


ビックニュースと言えば、家族が増えました。サラこと、サラスワティ先生が我が家の一員になりました。私の癒しがまた増えました。




ここのユニークな住人たちはそれぞれに自分のワールドがあります。キャラクターが好きだったり、ゲーム好き、アニメ好き、動物好き。


私はそれがなんであれ好きな事やものがあるって事はとても素敵な事だと思っています。世の中の概念で捉えると、「大人がアニメなんて」とか、「ゲームやるとバカになる」とか、その人の概念を押しつけたり…正しさや正義を押しつけたりするのは、違うと思うのです。ただ、やり過ぎたりすべき事を疎かにするのは違うとは思っている。


どうしても、仕事だと行動や結果を重視してしまいがちです。でも、ここホームでは動機(心の動き)を重視したいのです。それをどう伝えるかでいつも頭を悩ませます。上から押さえつけるようにルール(禁止事項)を作るのは簡単ですが、それを守らす為にペナルティーを与える方法では、心が育たないって思うんです。何故それが良くない事なのかを問うて欲しい。私はマットを降りても(ポーズの練習をしなくても)ヨガの人です。そこに情熱を持っています。だから何をしててもヨガなんです。心の在り方を常に模索しています。


先日、ホームの子がルールを破りました。自分の欲求が抑えられないんです。どう理解して貰うかを数日悩み、「鬼滅の刃」で説明しました。


私「鬼滅の刃に出てくる鬼は可哀想な生い立ちをしている人が多い。それを私は可哀想だと思う。ある鬼はお腹が空いて。ある鬼は家族に恵まれない。ある鬼は病気で辛かった。色々な理由がある。それで鬼になるしかなかった。それはとても悲しいね。だからといって人を殺して食べて良いと思う?」


☆「ダメです」


私「そうだよね」

 「今もコロナで大変な人も多いよね。自分だけでなくみんな同じ。自分がやりたいこと、欲しいものがあっても手に入らないね。だからと言ってルールを破っていいのかな?」


☆「いけません」


私「そうだね。自分の欲求を抑えられなかったら、鬼と一緒だよ」


☆「えっ!!!!!」


私「心が鬼になるの。自分の欲求に勝てないなら、禰󠄀豆子みたく口に竹(制御しないとならないという意味)入れなきゃならない。つまり、自由がなくなるの。自分で気持ちを抑えられないならば、他の人がそれをしなければならない。そうなりたい?」


☆「嫌です。自分で出来ます」


私「私もそうなって欲しい。誰の中にも鬼はいるんだよ。でも、鬼殺隊もいるの。貴方が大好きなカッコいい人の様になりたいのなら鬼に負けたらダメだよ」



そんな感じの話をしたんですよ。結果や行動を重視する中にいると、どうしても「バレなきゃいい。」「この人はこの行動が好き」とかをインプットして動いてしまう。それは頭で考える事で心の成長ではない。きっと知的障害というレッテルで、頭ばかりを補うルールの中で生きて来たからなのかもしれないと思った。もっとも重視すべきは心なのに。長年の考えを改めるのは時間がかかるのだけども、私が伝えたいものは心なんです。そんな事はまったく会社からは頼まれてはいませんが、私はヨガの人です!!!


その人の心に届くように、私は彼らの土俵に立ち考えて発言していこうと思う。上からではなく彼らのワールドを理解して、そこの言葉を話そう。自分がそれを好きにならなくてもいい。でも、相手の好きなものを尊重しよう。そしてその力も使ってしまえーと思った今日でした。


理解したかはわからないけど、ちゃんと最後まで話を聞いてくれた。私もイライラしてキレるけど、その度考えて向き合って信頼関係を築いて行きたいと思っている。




寮母キレる

東京でヨガインストラクターを20年近くしていたのにも関わらず、コロナの波に乗り大阪へ移住しグループホームで寮母をしている。


寮母は母性の塊か???

私の母性を総動員させても足りねぇ〜事もある(笑)そもそも子供育てたことないしー。だけど、愛情は確かにある。これは本当にビックリだけど、彼らの為にを常に考えてる。「チクショー」と心で叫びながらも考えるのは彼らの事だ。でも、伝わってるんだか、伝わってないんだか(笑)

でも、それはヨガスタジオやってても同じだった。いつも生徒の為に良かれと行動してきたが、上手く行かなかった。私の心は間違ってない!今でもそれは信じてる。でも、表現ややり方が上手じゃなかったと思う。今は胸を張って頑張った!と言える。そんな心境になれた。




疲れた心を癒す&やり残した雑務を片付ける為に数日東京へ戻った。


I LOVE TOKYO ❤️

都会最高〜!!

自然派、田舎暮らし最高とかじゃなくてごめん。

都会楽しいぃー。

新宿落ち着く〜。

友達沢山いる。(コロナ下なので会える人は限られたけど)


楽しんだ東京を後に大阪へ戻ってきてしまった(笑)うちの子らへのお土産ばかりを持って帰って来た。いない間の事を弾丸トークで迎えられ、懐かしさ嬉しさを感じながらも、1人だった東京と違いストレスがたまっていった。


とにかく、部屋から出たらずーと横で話しかけられる。同時に喋られ、聴き取れやしない。聖徳太子じゃねーんだよ!


食材をしまっている最中にそれは起こった。私のイライラもピーク。東京とのギャップで短期間に私のゆとりは消えた。。。東京でチャージして来たはずなのに。



私の横で、一緒に暮らしている人の非難をし始め、最初は窘めていたが止まらない。仕事中だからとキッチンから出すも止まらない。


キィーーーーーーーーーーー!!!!


キツイ調子で言い返えした。

頭に来ちゃった。キレっちゃったね〜。

自分の事を顧みず、人を非難する行為は許せなかった。貴方も出来てないじゃん!って思った。


しばらく怒りが治らず、外側に向いていた私の怒り。主体は怒らせたその人にあった。でも、次の日「仕事の邪魔してごめんなさい」って謝って来てくれた。でも、その時思ったのが、「見当違いなんだよ」って感情だった。では、私は何に腹が立ったのだろうか??そこからは私の怒りの根本へと向かって行き、相手への怒りは消えていった。



その怒りの先に大切な答えを見出した。



何がそんなに私の怒りを呼んだのか?

それは仲間に対しての批判。

その批判はあながち間違ってはいない事実。それでも、自分自身を顧みず他者だけを責める事が腹立たしかった。

自分と相手を比較して劣っている相手を蔑める。そんな風に感じ、怒りを覚えた。

しかし、私自身も自分と彼女を比べて貴方だって出来ていないのにって思った。。。。あぁ〜同じ。


そう、自分の中にもある感情だからこその嫌悪と怒りだった。


私は「何か出来る出来ないという結果でその人の価値は決まらない。」という答えに行き着いた。


成果=価値 ではない。


腑に落ちた。成果にこだわっているのは自分でそんな自分を否定したい自分もいる。それが怒りの根本だろうと思う。人の価値は何かを成し得たかではない。ありのままで尊いのだという事を私が受け入れてないのだ。過剰な反応とはそういう事。そして、私がより幸せになるのに必要な事だよって教えてくれてる。



成果を出すには努力が必要で、努力する事は美しい。努力したいという心は尊い。でも、その結果は気にせず行こうぜ!これが私が見つけた私へのメッセージであり、エールだった。


ここに辿り着いた時に、私は彼女に冷静に愛を持って、伝える言葉が出て来た。



日々生きているだけでヨガですよ。