鈴の音 -4ページ目

美談にはならない

前回のブログで書いた誕生日会のその後です。

何となく、美しい出来事風になっていたはずです。私も多くは望まず、良しとしました。


さて、次の日です。しばらくは、良い方向で生活をしてくれるだろうと思っていたけど、お仕事では気持ちがコントロール出来ずトラブルが起きた。日々あるんです。どうしても感情がコントロール出来ない。少しづつでも改善出来たらと私も色々とアプローチをしてみています。誕生日のお祝いもそのひとつだった。。。。全然、意味なかったのだろうかとちょっと凹むニヤニヤ



せっかく作った飾りだったので、またイベントの時に使おうと壁側の飾りを取って置いておいた。全部は外さずまた後でと思い、夕飯の準備をして一旦部屋で休んでいた。


今、このブログを書いている時も私の扉の前で永遠同じ話を繰り返す。返事をしないと辞めないし、相槌を打ち続けながらこれを書いてる。家に帰ってすぐは興奮してて、とにかく喋り続ける。短い時間に同じ内容を何度も聞かされ、とにかく「うん うん」と聞き続ける。


あの時もそうだった。


『マヤさん 飾りとるんか?』

「うん」

『全部とるんか?』

「うん」

『とってええかー』

「ええよー」


リピートの内容の中に、時々違う事が入って来る。話半分な感じで相槌をしてた流れで答えた。



しばらくして、確認しに行くと飾りが見事に全部取られていてどこにもない。

嫌な予感しかしない。。。滝汗


「飾りどこやった?」

『〇〇さんが全部外してました』

「〇〇さーん、飾りは?」

『捨てた』


チーンチーンチーンチーンチーンチーンチーンチーンチーン


「なんでよー。私が外したのはここに置いてあるでしょ。なんで捨てるの?」


『あ、あ、ごめん。捨ててもうたわ


あーーーーーーゲロー

私が作った飾りはゴミか!!

私の思いまで捨てられた気分になったチーン


皆さんは、「きっと気持ちは伝わってるよ」とか「感謝していますよ」とか励ましてくれますが、


事件は現場で起きてんだよ!!


美談にはならない残念な現実です。



分かりますよ。私の言い方が甘かった。


「私がずっと飾り作ってたの貴方は知ってますよね!!なんで人が作ったものを勝手に捨てれるんや!!!」時間もお金も労力も。。。

と、心の中で叫んだ笑い泣き


がっくりです。。。思ったよりも落ち込みました


彼らは相手の気持ちを察したり出来ないし、作った出来事は過去なので、もうそこには意識がないんです。

私がちゃんと丁寧に伝えなきゃならなかった。

終わった→片付ける→どうやってやる→それをどうするか まで伝えなきゃならなかった。


頭ではわかっていても気持ちが大打撃です。


私が片付けていたので、やってくれようとしたんです。たぶん 

シュチュエーションで考えたり、臨機応変な思考パターンがない。


だから、雨が降っていても庭の水撒きをしようとしたり、繰り返しやっていた事にイレギュラーな事が挟まるともう次にやる事がわからなくなったりする。


私もここに来てだいぶ彼らのことが理解出来る様になりました。

でもね、一緒に生活していると頭では理解出来ても気持ちがついていかないんですよ。大体の事は笑い飛ばせますが、ずっと一日中同じ事に頷き続けるのもなんの修行なんだって思うんですよ。


仕事から逃げる事が出来ません。仕事の時間と休みの時間は分けられません。部屋に居ても同じです。ずっと、報告を聞き返事をする。時には指示を出し、確認する。自粛期間は1人の時間無さすぎて、発狂しそうになったので犬の散歩が唯一の息抜きハート



良かれと思ってやったことが響かない。

しばらく、無気力になって現実逃避でYouTubeばっかり見てましたチーンヨガの練習すると悲しい気分が湧き上がって来ました。そして、気がつきます。あぁ〜本当に悲しかったんだなって。だから、無気力な自分も許します。そうやって悲しい気分も怒りも否定しないようにします。その感情の根源は悪いものではない。一生懸命自分の心を形にしたからこその感情なんだって思えたら、平穏が少しづつ戻って来ました。


悲しんでるから陰気な人、怒ってるから怖い人ではなくて、その根源はどこからだろうか見てみて。私は自分の悲しみや怒りの素には「優しさ」が居たよ。だから、周りの感情が消えたらそこに残るのは「優しさ」です。だから、私は怒りん坊でもないし、辛気臭い奴でもない!!そう思えて、安心しました。


マイナスの感情に囚われて、素の思いまでもを染めてしまわないように。外に出てくる感情が全てではない。よくよくその行動や感情の根源を探る。逆に美しいものに見えても、中を見たら違うものが見えることだってある。


私は私への信頼を深めた。

全然思い描いていた結果じゃなかった。美談でもなんでもない。悲しかったし腹立たしかっただけど、私の行動の始まりは美しかった。


うん悪くない。

結果ではなく私はこの心の示すまま生きようと思った。




誕生日を祝う

東京から大阪移り住みグループホームの寮母をしています。

アシュタンガヨガ正式指導者レベル2資格を持ち、東京でアシュタンガヨガの指導をしていましたが、コロナの影響もありしなやかに自分らしく生きる為に、今ここにいます。



知的障害を持つユニークで愉快な仲間たちと一軒家で暮らしています。その1人が誕生日を迎えます。今まで誕生日パーティーなどをしてこなかったという話を聞いていたので、少しでも誕生日気分を味わって欲しいと思いました。

有難い事に会社が誕生日ケーキを準備をして下さり会社でお祝いをしてくれます。温かい心遣いです。


グループホームでも何か出来ないかを考え、事前に何が欲しいかを聞いてみました。鬼滅の刃の煉獄さんのフィギュアが欲しいと。それを買ってあげるべきかも正直迷いました。でも、自分が好きなものを受け入れられる事、自分自身を肯定してもらえる事が必要に思えたんです。

私もアニメや漫画が好きですしデレデレ


週末で家に彼らが帰った時に少しづつ飾りつけの準備をしました。私は創作は苦ではないです。夜な夜な部屋で準備をして、買い物に行ってデコレーションを買いました。






愛情をかけられる。

愛情を浴びる。

無条件の愛情。

それが不足すると自分を肯定出来ないと思うのです。無条件に与えられるエネルギーが心を安定させると思うのです。


でも、それが欠乏していたり、伝わってなかったり、そうすると自己肯定感が持てない。与えられてきたからこそ、自分にも他者にも与えられる。受けた事ならば表現出来るが、受け取ってないと表現出来ないんですよね。渇望には与え続ける事。それしかないように思う。



自分で自分を愛し育む為には、糧(エネルギー)が必要です


ちゃんと愛情を受けたら自然に出来る事かもしれないけど、受け取る受皿がなかったり(感じ取れない)、実際に貰えなかったりしたら、自分から愛情や慈しみを生み出せない。


与え潤す。。。


私自身も同じような問題を抱えている。だからこそ気づきだとも言える。時々、私自身の傷にも触れる。だからこそ諦めたくない。そう、私の救済の為にも。


自分に負担になりすぎないように、パーティーの準備を進めた。出来る範囲でお部屋を華やかにした。でも、わかってる。思い描くような期待を持ちすぎないように。




期待を持たないと思っていても喜ぶ姿を期待してしまう。でも、イマイチでもガッカリしないように心に予防線を張っていた。



当日、デコレーションを見た時。。。

無反応真顔うん。想定内や。

テンション高めでアプローチするも「私は驚きませんよ」と言われショボーン笑い泣きそれでも「ありがとうございます」て言ってくれ、楽しそうに写真を撮った。盛り上がってはいないけど、いつもよりは特別な夕食をした。


プレゼントには大興奮ですごく嬉しそうだったハート彼女が大好きなキャラクターの絵を描いたバックとフィギュア。





自分の事を想ってくれている人がいるって事が伝わったらいいと思う。自分が期待してしまっていた反応ではなかったけど、少しでも伝わってくれたらいい。そういう意味で私は良しとしたドキドキ


砂漠に水を撒くような気分。

たくさん水を与えて

あぁ、芽が出たと思ったら

花が咲く前に枯れてしまう。

無意味に思えるけど、それほどに欠乏していたのだと、奮い立たせる。



続く。。。。



レトルトとの闘い

住み込みの寮母をしながらヨガのインストラクターをしているマヤです。


今回は『食事』がテーマです。


私が東京からここへ住み込みで働くにあたって、不安の一つが朝食を作るというお仕事でした。


東京で女1人で働きながら1人暮らし。正直、食事を作る事にエネルギーを注いでこなかった。料理を作ることが嫌いではなかったのですが、してこなかった。

ヨガを始めて20年以上、10年くらいはベジタリアンだったり、それなりに流行りの健康食品を試したり、冷凍ものや添加物が入っているものを控えたりオーガニックのものを選んだり、色々やってはきたものの、楽しく美味しく食べてヨガしてれば消化できるやろ!!というところに落ち着いていましたデレデレ


特に病気をしてからは、牛肉以外はなんでも食べています。別に牛を食べてもいいのだけども、インドでは牛は神様でヒンドゥ教は牛を食べないので、私なりのインドとヨガに対する敬意みたいなもの。10年くらいはベジタリアンだったので、そこまで肉を食べたいとも思わないので、そこで落ち着いています。


つまりは何を言いたいかというと、そんなに料理に自信がないという事。

たかが朝食といえど、3人の他人へ提供するわけです。毎日毎日休みなく簡単ではあるが、レシピを調べて作れるものを増やしながら提供していました。Instagramに載せて、皆さんに励まされながら成長していきました。



割と普通に提供出来るようになったと思うんですよ。それでも勝てないのが、レトルトやお弁当、コンビニのご飯なんです笑い泣き

舌がそういう味になれているんだと思うのですが、そっちの方が美味しいと言われるとショックを受けていました。それでも食べているうちに、手作りが美味しいと言ってくれるのではないかと思って頑張ってました。

まともなものが提供出来る最近になっても、私の手作りのスープよりもチューブのレトルトの味噌汁が良いと言われるのですえーん

私の料理の腕がいけないのかと思い悩んだり、好き嫌いをリサーチして美味しく食べて貰えるように日々考えていました。



ある日は見た目を可愛くしてみたり。。。。

しかし、まさかのクマ🧸スルーゲロー

ザクっとクマ一瞬で分断〜


しかも、辛くて食べられないという最悪の事態(これは私のミスですが💦)



打倒!レトルト!コンビニ飯!お弁当!!


でも、心が何度か折れて降参しました(笑)

彼らが好んでいる味を尊重します

「そればかりだと健康に良くないから私のご飯も食べてね。」とお願いしました。

自分の好きな味を否定されても、好きなものは仕方がないですよね。


普段は晩ごはんのお惣菜も手作りのものがグループホームへ運ばれてきますが、自粛期間でそれが難しい時期があり、最初は3食作っていました。でも、私も疲れ果ててしまったんです。なので、ヨガをしてきて健康に気をつけた食事が叩き込まれてきた私ですが、レトルトを使う事を許しました。

何となく罪悪感を持っていたんです。だからこそ、少し意地になっていたのかもしれません。


「レトルトの方が美味しい」と言われるとテンションも下がりますし、悲しい気分にはなりますが、なんでも美味しいと喜んで食べてくれるのはいい事!私も楽が出来るんだから良し!としました。


何が何でもこうでなければという頑なな思い、信念は厄介です。柔軟に臨機応変に対応していかなければ、ポキッと折れると思いました。


理想ばかりで今のこの瞬間が楽しめないようになるよりかは、今の現状を受け入れて折り合いをつけるのは悪事じゃないですね。その方が自分にも周りにもストレスがない選択でしょう。


日々、自分にも相手にも優しく出来る様に、その時なりに明日もまた朝食作ります❤️



笑顔が最強

ヨガインストラクターをしながらグループホームの寮母をしています。




お盆休みで自宅に帰り、グループホームに残ったのは私と1番上の姉さん。ピンクレディとキティちゃんが大好きで、歌やダンスが好きな可愛らしい人です。姉さんは温和で人に怒ったりはしません。私は一緒に踊ったり歌ったりと割と楽しく過ごしています。


しかし、お盆休み+諸事情でしばらくお休みが延長になり、2人で過ごす時間が長くありました。しばらくは私も外出も控える必要があり、犬の散歩以外はホームで過ごすことになりました。


他のホームの子が日常にこなしていたお仕事を私と彼女でこなしていかなければなりません。普段は週末のみで、他の子が帰って来るので、それほど不具合は起きませんでした。ただ、彼女はお仕事の出来が難しいところが多いので、他の子がサポートしていました。長期に渡り他の子が不在で私は初めは楽だったのですが、朝昼晩の食事に加えて、ホームの掃除が行き届かなくなっていきます。私は通常のオンラインクラスはやっているので、普段よりちょっと仕事が増えていきます。



息抜きするところがなく、次第にストレスが降り積っていきます。割と気が合う姉さんですが、やらかしてくれるのも姉さんです。独り言も多いです。同じ内容をずっと繰り返します。自分の時間とスペースを取ろうとしても、部屋の前、トイレの前で話し続けますチーン返事をしないと呼び続けます。止まりません💦


それでも頼んでない事でもちょこまかと仕事をしてくれます。でも、ちゃんと出来てないんですよ笑い泣き洗い物も毎回洗い直し、そして、自主的に色々と働いてくれるけど、いちいちチェックしないと大惨事アセアセ


朝から「マヤさぁーん 廊下拭いといたぁ」と部屋に来た。なんかの嫌な予感がした。。。。出てみると床がびしょ濡れガーン床を自主的に拭いてくれたのはとても良い行いだけど、結果は最悪。ここで怒ったらダメだと思って、感謝を述べつつ雑巾の搾り方のレクチャーをした。この辺りから私もいちいちやる事が気になり始めて、チェックをするようになる。すると言いたくなる事がたくさん出てくる。イライラが募っていった。すると、話しても無視される事が増えた。仕事も行ってないんだから、少しでも家の事やってって気持ちになった。


そんな最中に、起こった。

ここにはリビングにしかテレビがない。自室では見れないんです。私は音楽が好きでどうしても歌番組が見たかった。彼女も歌は好きだろうと思い一緒に見ていました。彼女も楽しんでいると思ったんです。CM中にトイレに行って戻って来ても、一向に歌が始まらない。


「始まらんな〜」

と声をかけても「。。。。」

「チャンネル変えた?」

「変えてないで」


んっ?

もう一度聴くと「あぁ変えたわ。」


ムカムカ


普段、テレビを私が見る事はほとんどないけど、久々の歌番組で楽しく見てたのにシレっとウソつかれた。


「なんで変えるん?私見とったやん!」とプチイラっとしました。



ここ最近、なくなって来たと思った嘘と無視が復活していた事を確信しました。私もイラっと来たけど、彼女も彼女でストレス溜まっているのかもと思いました。


私も逃げ場のないこの空間の中で、一日中繰り返し同じ内容に相槌を打ち続ける苦行の日々で、注意の仕方が雑になっていたかもと思い返してみました。怒鳴ったり汚い言葉は使ってないけど、モチベーションは下げていたかもしれないと思いました。


気がついた時、私がとったのは、疲れて疲弊して来ている自分を認めて許す事でした。自分の行いを責める事じゃなく、相手の行いを責める事でもなく、そういう態度になってしまうほど、自分が追い込まれていたんだという、自分への許しでした。そして、彼女も同じだろうと思えたんです。ノーマルな私ならもっと違う言い方や接し方が出来たであろうと思った。


それは彼女も一緒。

その行動や言動だけで、その人を否定してはいけない誰しも自分が満たされてないと正しい判断が出来ない。そんな時に正しさを問われても、意味ない。


正しい考えや行動は誰でも想像がつく。でも、それが出来るかは別で、正しさを選択する事が健やかでない時もある。だったらまずは自分の心の安定が真っ先に行うことでしょう!!

以前の私ならばまずは正す事!を優先させたと思う。

でも、これ違う!!!


まず、自分を癒すこと。

正しい判断を選択出来ないほど疲弊している自分を労る事が大切ハート


だって、満たされてたらそんな行動や選択はしないから!健やかじゃない心が選択を間違う。


まず、自分の救済を優先させたらすぐに関係性が良くなった。先に正しさを優先させたならば、おそらく状況悪化になったであろうと思う。相手を従わせようとしたりしてね

だって健やかになった私の心は、愛で溢れてるだろう。それはある意味自分への信頼でもある。


私は私を救済する事を優先出来たって事が、ここを明るく照らした。そうよ!私が笑っていたら大体上手くいく


貴方は貴方の笑顔を守れたら、周りはハッピーになれると思う




嵐と共に吹き荒れたグループホーム 後編

楽しく過ごしていた休日の朝。


私がキッチンで朝食を作っていると、いつものことながら自分でやった事を報告しに来る。
トイレ行った。
大きい方出た。
掃除した。
洗濯した。 などなど。。。

布団を干したと言うので、今日は雨予報だよ。」と声をかけました。

☆『それはわかっています!』
私「雨が降ってお布団濡れたら大変だよ」
☆『それはわかっているけど、干したいの!!!』

何?!
そこキレるとこ?
私、優しく言ったよね?!

争ってもしょうがないので(朝食作るの優先)←大事

私「はい。干してもいいけどお布団濡れたら大変だから気をつけてね」

そこで終わらせた。

終わったはずなのにまたやって来て、自分で行くと言った犬の散歩についてグチグチ言い始めた。

行きたくないなら私が行くわ!と言いたくなる。自分でやった方が気が楽だわ。って思う。

流石に私もイラついて来る。
何度か話を断ち切ろうと、話題を変えるが話題を変えても、文句か自分の要求ばかり。

ループも断ち切れないし、キッパリと言いました。
私『犬の散歩は貴方が任されたお仕事で、みんながサポートしてくれているんだよ。』と言うと、やっとキッチンから離れたと思ったら、、、言葉使いが荒くなり、聞き取れない言葉でブツブツ言っている。

『私の事をわかっていない!!!』

私「何が?」

☆『。。。。』

私「はい。もうご飯食べましょう」

席に着かせた。しかし、怒りがおさまらない。


☆『最悪!全然楽しくない。こんなんなら家に帰ればよかった。』


流石に流せないと思い、叱りました。周りの方も休み中少しでも楽しく過ごせるようにと、買い物に連れてったり、好きな物を食べさせてくれたり、花火をやったりと仕事の業務以外で考えてくれている。すごく楽しかったと喜んでいたのが昨日。寝たら忘れんのかチーン

滅多に怒らない私が怒ったので(とは言っても大声とかは出さないんですけどね)一瞬黙ったんですが。。。次の瞬間ただ食べてた前の子に『うるさい!!』と怒鳴りましたムカムカ


もちろん叱りましたムキー

席を立って2階に上がったので「どこ行くの?ご飯は?」と聞くと『い ら な いぃ!!』とさって行きましたガーン


チーンチーンチーンチーンチーンチーンチーンチーンチーン


その後、割とすぐにご飯を食べに降りて来たので、顔を出すと謝ってきた。

「今日のはちょっと酷かったよ。自分の言った事をよく考えてみて。やって貰った事を忘れたらダメ。感謝の気持ちは大切よ。」と言うと涙を流して謝ったので、それからは私も優しく接する様にした。



結局、彼女は一時自宅へ帰されることになり、ボロボロ泣きながら帰えって行った。



以前は怒りをぶつけられる事がとても怖かったし、自分の怒りにも辛くなった。でも、今回は泣いて辛そうにしている姿を見てしんどくなった


彼らの成長や変化に喜びを感じていた。それが過度な期待になっているのではないだろうか。

聞き流して注意しない方が、穏やかに過ごせたのかもしれない。心の成長を促す私のやり方が逆に彼らの負担になってしまうのではないか。

でも、結局私はまたやるだろう。


今回もただ彼女は褒めて欲しかっただけなのだと思う。欲しい言葉を私があげなかったから駄々をこねたんだと思う。


その根底にあるもの。それは愛情の渇望ではないだろうか。


欲しい言葉をあげたら良かったのかな。。。

でも、私は思ってもない事を言えない。心と繋がっていない言葉には力がなくなる

もちろんあるよ。言う事も。でも、そんな言葉を使い過ぎたら言葉自体に力がなくなっていく。


そんな重い心のまま過ごしたところに彼女は帰って来て、何事もなかったようにいつも通り真顔表面上は私もいつも通り。嵐が去ったら晴天になるはずだが、まだ泥水が溜まってる。

台風は様々なモノを吐き出し、リセットする。


答えが出た訳ではないけれども、問題は浮き彫りになり、また腹を括り、気持ちを強く持つ。慣れてきた私に喝を入れるような出来事でした。


迷う事

悩む事

立ち止まる事

それは心を感じる時間。

悪い事じゃない。

いつか多くの学びと恩恵をもたらしてくれる事でしょう。

そうでも思わないとやってけない。

私は信じてるよ!!!!