以前、夜桜で撮影できなかった五層天守跡の天守台が残っているので撮影しました。
撮影場所は右上地図の本丸未申櫓跡と書かれた文字の未申と書かれた部分を通る点線で描かれた鶴の坂です。
ちょうど西日が差してきたので、五層天守跡の石垣を撮影しました。西日は本丸方向に向いて照らされます。
地図の真下が鶴の坂を撮った写真で本丸方向へ坂が急に曲がります。
五層天守跡の天守台は石垣が写真で見られる部分しかないのですが、藩政時代に建てられた五層天守の天守台となります。
しかし1627年(寛政4年)9月の落雷によって火薬庫に火が付いて爆発炎上。この五層天守が蓮池まで焼け落ちた史実が残っています。
五層天守焼失以降、幕府により天守の新造が認められなかったために櫓が建てられました。本丸の南西方向にあったので、本丸未申櫓と呼ばれました。
その際に本丸側の五層天守石垣は櫓が建つ大きさまで部分的に縮小されました。
五層天守時代は、本丸未申櫓跡の3倍近く石垣に広く覆われたものと思います。