日月神示を繰り返し読む 2024年05月05日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

⑦日月神示 月の巻②

おのころの国成り、この国に降りまして天戸(あまと)の御柱(みはしら)見立て給いき、ここにに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)島生み給いき、初めに水蛭子(ひるこ)淡島(あわしま)生み給いき、この御子、国のうちに隠れ給いければ、次にのりごちて後に生み給える御子、淡道之穂之三別島(あわじのほのさわけしま)、伊予の二名島(いよのふたなしま)、この島、愛媛(えひめ)、飯依比古(ひひよりひこ)、大宜都比売(おおけつひめ)、建依別(たてよりわけ)と言う、次に隠岐の三子島(おきのみつこしま)、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)、次に筑紫島(つくししま)、この島、白日別(しらひわけ)、豊日別(とよひわけ)、建日向日豊久土比泥別(たけひむかひとよくづひぬわけ)、建日別(たてひわけ)、次に伊伎島(いきしま)、天比登都柱(あめのひとつはしら)、次に津島(つしま)、天狭手依比売(あめのさてよりひめ)次に佐渡島(さとしま)、次に大倭秋津島(おおやまとあきつしま)、天津御空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)、次に吉備之児島建日方別(きびのこしまたてひかたわけ)、次に小豆島(あづきしま)、大野手比売(おおぬてひめ)、次に大島大多麻流別(おおしまおほたまるわけ)、次に女島(ひめしま)、天一根(あめひとつね)、次に知詞島(ちかのしま)、天忍男(あめのおしを)、次に両児島(ふたこしま)、天両屋(あめふたや)、二島(にしま)、八島(やしま)、六島(むしま)、合せて十六島生み給いき、次にまたのり給いて、大島、小島を生み給いき、淡路島(あわじしま)、二名島(ふたなしま)、おきの島、筑紫の島(つくしのしま)、壱岐の島(いきのしま)、津島(つしま)、佐渡の島(さどのしま)、大倭島(おおやまとしま)、児島(こじま)、小豆島(あづきしま)、大島(おおしま)、女島(ひめしま)、なかの島、二子島(ふたこしま)の十四島を島生みましき、次に息吹き息吹きて、御子神 生み給いき、大事忍男神(おほことおしをのかみ)、大事忍男神(オホコトオシヲノカミ)、石土毘古神(いしつちひこのかみ)、石土毘古神(イシツチヒコノカミ)、石巣比売神(いしすひめのかみ)、石巣比売神(イシスヒメノカミ)、大戸日別神(おほとひわけのかみ)、大戸日別神(オホトヒワケノカミ)、天之吹男神(あめのふきをのかみ)、天之吹男神(アマノフキヲノカミ)、大屋毘古神(おおやひこのかみ)、大屋毘古神(オオヤヒコノカミ)、風木津別之忍男神(かさけつわけのおしをのかみ)、風木津別之忍男神(カサケツワケノオシヲノカミ)、海神(わたのかみ)、海神(ワタノカミ)、大綿津見神(おほわたつみのかみ)、水戸之神(みなとのかみ)、水戸の神(ミナトノカミ)、速秋津比神(はやあきつひのかみ)、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)、速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)、風神(かぜのかみ)、風神(カゼノカミ)、志那都比古神(しなつひこのかみ)、木神(きのかみ)、木神(キノカミ)、久久能智神(くくのちのかみ)、山神(やまのかみ)、山神(ヤマノカミ)、大山津見神(おほやまつみのかみ)、野神(ぬのかみ)、野神(ヌノカミ)、鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)、野椎神(ぬつちのかみ)、鳥之石楠船神(とりのいわくすつねのかみ)、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、大宜都比売神(おほけつひめのかみ)、大宜都比売神(オホケツヒメノカミ)、火之夜芸速男神(ひのやきはやをのかみ)、火之煇比古神(ひのかがひこのかみ)生みましき、速秋津日子(はやあきつひこ)、速秋津比売(はやあきつひめ)、二柱の神川海(かわうみ)によりもちわけ、ことわけて生ませる神、沫那芸神(あわなぎのかみ)、沫那美神(あわなみのかみ)、頬那芸神(つらなぎのかみ)、頬那美神(つらなみのかみ)、天之水分神(あめのみくまりのかみ)、国之水分神(くにのみくまりのかみ)、天之久比奢母智神(あめのくひさもちのかみ)、国之久比奢母智神(くにのくひさもちのかみ)、次に、大山津見神(おほやまつみのかみ)、野椎神(ぬつちのかみ)の二柱神、山野(やまぬ)に依りもちわけて、ことあげて生みませる神、天之狭土神(あめのさつちのかみ)、国之狭土神(くにのさつちのかみ)、天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)、国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)、天之闇戸神(あめのくらとのかみ)、国之闇戸神(くにのくらとのかみ)、大戸惑子神(おほとまどひこのかみ)、大戸惑女神(おほとまどひめのかみ)、大戸惑子神(オホトマドヒコノカミ)、大戸惑女神(オホトマドヒメノカミ)生みましき、伊邪那美神(いざなみのかみ)病(や)み臥(こや)しまして、たぐりになりませる神、金山比古神(かなやまひこのかみ)、金山比売神(かなやまひめのかみ)、屎(くそ)になりませる神、波仁夜須比古神(はにやすひこのかみ)、波仁夜須比売神(はにやすひめのかみ)、尿(ゆまり)に成りませる神、弥都波能売神(みつはのめのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)、この神の御子、豊宇気比売神(とようけひめのかみ)と申す、ここに伊邪那美神(いざなみのかみ)、火の神を生み給いて、火土となり成り給ひて、根の神の中の国に神去り給いき、ここに伊邪那岐神(いざなぎのかみ)泣き給いければ、その涙になりませる神、泣沢女神(なきさわめのかみ)、ここに迦具土神(かぐつちのかみ)を斬り給えば、その血が石にこびりついて、石析神(いわさくのかみ)、根析神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのおのかみ)、雍瓦速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、建御雷男神(たけみかつちおのかみ)、建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)、御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血、闇於加美神(くらをかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)、ここに殺されし迦具土(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、御胸に於藤山津見神(おとやまつみのかみ)、腹(みはら)に奥山津見神(おくやまつみのかみ)、陰(みほと)に闇山津見神(くらやまつみのかみ)、左の御手に志芸山津見神(しきやまつみのかみ)、右の御手に羽山津見神(はやまつみのかみ)、左の御足に原山津見神(はらやまつみのかみ)、右の御足に戸山津美神(とやまつみのかみ)成りましき、ここに斬り給える御刀(みはかし)、天之尾羽張(あめのおはばり)、伊都之尾羽張(いづのおはばり)と言う、ここに妹(いも)恋しまし給いて根の国に追い往(い)で給いきここに伊邪那美の命語らいつらく、あれみましとつくれる国、末だつくりおえねど、時待ちてつくるへに、よいよ待ちてよと宣り給いき、ここに伊邪那岐命、みましつくらはねば吾とつくらめと宣り給いて、帰らむと申しき、ここに伊邪那美命、九(こ)聞き給いて、御頭(みかしら)に大雷(おおいかつち)、オホイカツチ、胸に火の雷(ホのいかつち)、ホノイカツチ、御腹には黒雷(くろいかつち)、黒雷(クロイカツチ)、かくれに折雷(さくいかつち)、サクイカツチ、左の御手に若雷(わきいかつち)、ワキ井カツチ、右の御手に土雷(つちいかつち)、ツチイカツチ、左の御足に鳴雷(なるゐかつち)、ナルイカツチ、右の御足に伏雷(ふしいかつち)、フシ井カツチ、なり給ひき、伊邪那岐の命、是見(こみ)畏みてとく帰り給えば、妹伊邪那美命は、よもつしこめを追わしめき、ここに伊邪那岐命は黒髪かつら取り、また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引きかきて、なげ棄(う)て給いき、伊邪那美命 二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に黄泉軍(よもついくさ)副(そ)えて追い給いき、ここに伊邪那岐命十挙剣(とづかのつるぎ)抜きて後手(しりえて)にふきつつ去り、三度黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到り給いき、坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給いしかば、ことごとに逃げ給いき、ここに伊邪那岐命は桃の実に宣り給わく、汝(みまし)吾助けし如、あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)に悩むことあれば助けてよと宣り給いて、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬(うきせ)に落ちて苦しまん時に助けてよと宣り給いて、おほかむつみの命、オオカムツミノ命と名付け給いき、ここに伊邪那美命は息吹き給いて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)えて、その石なかにして合い向い立たせてつつしみ申し給いつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あればこの千引の磐戸(いわと)共にあけなんと宣り給えり、ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給いき、ここに妹(いも)伊邪那美の命、汝(みまし)の国の人草、日にちひと死(まけ)と申し給いき、伊邪那岐命宣り給わく、吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなんと申し給いき、一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむななやここのたりもちよろず)、今度は千人万人力でないと手柄は立てれないのです、世界中が総掛かりで攻めて来るのですから、一度はあり得ないことが起きるのです、大将だからと言って油断は出来ないのです、富士の山が動くまでにはどんな事にも耐えなければならないのです、上は辛いのです、どんなことがあっても死に急がないでください、今の大和魂と神の魂と違う所があるのです、その時その所によって、どの様にでも変化出来るのが神の魂です、馬鹿正直ではいけないのです、今日ある生命に勇む時が来たのです、表面ばかり見ていては何も分かりはしないのです、月の神様を祀ってください、この世の罪穢れを負って夜となく昼となく守って下さる素盞鳴神様を篤く祀ってください、火があって水が動くのです、水があって火が燃えるのです、火と水と申してありましたが、その他に隠れた火と水があるのです、それを一二三(ひふみ)と言うのです、一二三とは一二三と言うことです、言波(ことば)です、言霊(コトダマ)です、祓いです、右渦です、左渦です、スサナルの仕組みです、成り成る言葉です、今の三位一体は三位三体なのです、一(ひ)と現われて二三(ふみ)が隠れているのです、月とスサナルの神様の御恩を忘れないでください、御働きが近づいたのです、宝の山に攻め寄せて来ると申してくどく気を付けておいたではありませんか、神の国にはどんな宝でもあるのです、神の国には昔から宝を埋めておいたのです、外国にも宝を埋めておいてあるのです、この宝は神が許さなければ誰にも自由にはさせないのです、悪が宝を取ろうと思ったとしても、どんなに神の国に渡って来てもどうにもならない様に神が守っているのです、いよいよとなったら誠の神が神の力を出して、宝を取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかわないと申す所まで、とことん心から降参する所まで今度は戦するのですから、臣民にはほとんど見当取れないことになって、どんな苦労も耐えなければならないのです、知らせてあった事が日々(にちにち)どしどしと出て来るのです、我よしは捨ててください、この神示を良く読んでください、早合点してはならないのです、取り違いが一番怖いのです、どうしたらお国の為になるか、自分はどうしたら良いかと取り次の役員に聞く人が沢山出て来るのですが、この神示を読めばどうしたら良いか分かるのです、その人相当に受け取れるのです、神示を読んで読んで腹に入れてもう分からないということはないのです、分からなければ神が知らせるのです、迷うのは神示を読まないからです、腹に入れていないからです、人が悪く思えたり悪く見えるのは自分が曇っているからです、元からの神示を腹に入れた人がこれから来る人に良く話してやるのです、この道は始めは辛いのですが楽な道です、骨を折らなくても素直にさえしてその日その日の仕事をしていてください、心配要らない道なのです、手柄を立てようと思わないでください、勝とうと思わないでください、生きるも死ぬも神の心のままです、どこでどんな事をしていても助ける人は助けるのです、神の御用ある臣民は安心して仕事をしていてください、火が降って来ても槍が降って来てもビクともしないのです、心は安心です、くよくよしないでください、神に頼って神を祀って、神に従っていてください、神は救うのです今の臣民を見て褒める様な事は皆奥が知れているのです、これが善であり本当のやり方だと思っている事の九分九厘までは皆悪のやり方です、今の世のやり方見れば分かるでしょう、上の番頭殿は悪い政治をしようと思ってやっているのではないのです、番頭殿を悪く言うのはいけません、良い政治をしようと思ってやっているのです、良いと思う事に精を出しているのですが、善だと思う事が善ではなく皆悪なのですから、神の道が分からないから、身魂が曇っているから、臣民が困る様な政治になるのです、まつる政治をしなければならないのです、分からない事も神の申す通りにすれば自分では分からないことでも良くなって行くのです、悪だと思っていることに善が沢山あるのです、人を裁くのは神を裁くことです、怖いから改心する様な事や、戦がどうなるかと申す様な事では誠の民ではないのです、世の中が愈々のとことんになったので、これから先は大神様まで悪く申す者が出て来るのです、産土様(うぶすなさま)などあるものか、悪神ばかりだと申す者が沢山出て来るのです、この世始まって今までない時ですから、我身我家が可愛い様では神の御用はつとまらないのです、神の御用をして道に従えば我身我家は心配なくなると言う道理なのです、何もかも結構な事になり楽にしてやるのですから心配せずに分からない事も素直に言う事を聞いてください、子に嘘を吐く親はないのです、神界の事を知らない臣民は色々と申して、理屈の悪魔に囚われて申すのですが、今度のいよいよの仕組みは臣民の知った事ではないのです、神界の神々様にも分からない仕組みですから兎や角申さないで神の神示を腹に入れて身魂を磨いて素直に聞いてください、それが一番なのです、この神示は世に出ている人では解けないのです、苦労に苦労した落ちぶれた人で苦労に負けない人で気狂いと言われ阿呆と言われても神の道を素直に聞く臣民でないと解けないのです、解いてよく噛み砕いて世に出ている人に知らせてやってください、苦労を喜ぶ心より楽を喜ぶ心が高いのです、天にもあまてらすすめ大神様、あまてらす大神様がある様に地にもあまてらすすめ大神様、あまてらす大神様あるのです、地にも月読の大神様が隠れて御座るのです、素盞鳴の大神様は罪穢れを祓って隠れて御座るのです、結構な尊い神様の御働きで何不自由なく暮していながらその神様のあることさえ知らない臣民ばかりなのです、それでこの世が治まると思うのですか、神々様にまつって神々様にまつわって神国のまつりごとをしてください、詰らぬ事を申しているといよいよ詰らない事になって来るのです、大きなアジアの国々や島々八十(やそ)の人々と手を握り合い、神国の光り輝く時が来たと皆が喜んで三千年神の御業(みわざ)の時が来たと思える時こそが神国が誠に危ない時なのです、夜半に嵐がどっと吹くのです、どうすることも出来なくて手足を縛られ縄を付けられて神の御子等が連れ去られ、後には老人(としより)不具者(かたわ)のみになるのです、女子供もひと時は神の御子たる人々は悉々暗い臭い部屋に暮さなければならない時が来るのです、宮は潰され御文(みふみ)は皆火にかけられて灰となるのです、この世の終りが近づいたのです、この神示(ふで)を心に入れくださいと申してある事がわかる時がいよいよ間近になったのです、出掛けた船です、褌を締めてください、喜べば喜ぶ事が起きるのです、悔やめば悔やむ事が起きるのです、先の取り越し苦労は要らないのです、心配り(気配り)は必要なのです、神が道をつけて楽に行ける様に嬉し嬉しでどんな戦も切抜ける様にしてあるのに臣民は逃げて眼を塞いで懐手しているから苦しむのです、我よしという悪魔と学が邪魔している事にまだ気づかないのですか、嬉し嬉しで暮らせるのです、日本の臣民は何事も見え透く身魂を授けてあるのです、神の御子なのですから掃除すれば何事もハッキリとうつるのです、早く分からねば口惜しい事が起きるのです、言葉とこの神示と心と行と時の動きとの五つが揃ったら誠の神の御子です、神です、この巻を二つ合わせて日月の巻としてください