ケルン市のテロについてまともに報じようとしないマスコミの罪 | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 ドイツ第4の主要都市のケルン市で、昨年(2015年)の大晦日に、ニューイヤーのカウントダウンに多くの市民がケルンの駅前広場に繰り出す中で、難民と思われる若い男性1000人以上が暴徒化し、大勢で若い女性を囲んで強姦を含む性的嫌がらせを行い、貴重品やスマホの強奪も相次ぐという事件がありました。暴行の被害を受けた女性は100人以上おり、強奪を含む被害届は1月11日現在で553件に達しています。婦人警官までこうした被害にあっており、数の多さに治安当局が対応しきれなかったことが伺えます。パニックに陥った市民が線路に逃れ、列車の運行も一時ストップしたほどでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ケルン大晦日集団性暴行事件

 ところが、この衝撃的な大事件がドイツ国内で報道されるようになったのは、事件から4日後の1月4日になってのことでした。なぜこれほど大きな事件が起こりながら報道が長時間にわたって手控えられたのでしょうか。

 これは難民を問題視すると「非人道的な差別主義者」とか「極右」であるとのレッテルを貼られる社会風潮があるためだと思われます。難民は弱者であり、弱者を助けることは絶対善であり、これに異議を唱えることは絶対悪であるとの前提が社会的に形成されてしまっているとすれば、それに抵抗した報道を行うのは難しいところでしょう。事件発生があった夜について、警察さえ「広範囲にわたって平安」だったと発表していたことが明らかになり、ケルン警察の長官が更迭されるに至りましたが、これも難民問題のタブーに触れるわけにはいかないという社会的風潮に警察までもが飲み込まれていたことを示しているといえるでしょう。しかも、こうしたきれいごとを積極的に広める役割を果たしてきたのがマスコミ自身だとすれば、手のひら返しのようなことはなかなかできなかったというのが真相だろうと思われます。

 さて、この事件に関連して、ケルン市では1月9日におよそ1700人の人たちが「難民は歓迎しない」というプラカードを掲げたデモ行進を行いました。このデモ行進については日本のマスコミも確かに報道はしていますが、関連性の極めて高い大晦日の事件のことには一切触れなかったうえ、デモ行進を行った人たちに対して「極右系」というレッテルを張り、事情を語らずに一部が暴徒化したと報じています。大晦日に難民たちが計画的に集まって集団で暴徒化し大事件を起こしたこととの関連性を報じなければ、極端な危険思想の持ち主たちが多数集まって難民排斥の運動を行い、一部は暴徒化することでその危険性を露呈させたとしか普通は思わないでしょう。

 この種の事件はこれまでもドイツ国内だけでも多数発生してきました。しかしながら、今回の事件と同様に報道が控えられてきました。「非人道的な差別主義を助長する」から報じなかったと彼らは自己弁護するでしょうが、ここに公正性や中立性の観点で極めて大きな疑義が存在するわけです。そしてマスコミのそのような姿勢のために、ここまで大きなテロを発生させるに至ったともいえるわけです。

 日本のマスコミがこういう点ではドイツのマスコミ以上に大きな問題を抱えているのは言うまでもありません。最近マスコミにもてはやされているシールズは、「アベは死ね!」「安倍の頭に釘を打ちつける」とのヘイトスピーチを公然と行い、安保法制に賛成する与党議員の顔写真を踏みつけにする暴挙も行いましたが、マスコミがこうしたヘイト行動を咎めた形跡はありません。
国会議員の顔踏み付け写真
(シールズによって踏みつけにされた国会議員の顔写真)

 在特会のヘイトは大問題だと報道しながら、シールズのヘイトはスルーするどころか、シールズを持ち上げて平然としているのが日本のマスコミです。そのような歪んだ立場から日々の報道がなされていることが日本の平和を切り崩しているということについて、私たちはケルン市の事件から学んでおくべきではないでしょうか。


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