問題のある、大阪市ヘイトスピーチ規制条例 | 岐路に立つ日本を考える

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 大阪市でヘイトスピーチを規制する条例案が可決・成立しました。ヘイトスピーチというのは定義がなかなか難しいですが、直接的に関わっていない人間にも相当の不快感を生じさせ、かつ理性的な議論に適さない罵詈雑言の類を公言することのように、個人的には考えます。これに対する規制はあってもよいとは思っていますので、ヘイトスピーチ規制は内容がどんなものであっても絶対反対という立場には私は立っていません。しかし、今回の大阪市の条例についてはかなり問題があるように感じます。

 「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例案要綱(案)」を見ますと、「特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的な言動がいわゆるヘイトスピーチであるとして社会的関心を集めており」との文言があり、ヘイトスピーチが事実上「特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的な言動」に限定されています。さらに「要綱(案)」には「大阪市では、在日韓国・朝鮮人の方々をはじめ多くの外国人が居住している中、市内において現実にヘイトスピーチが行われているといった状況に鑑み」との文言が記載されていることから、「特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的な言動」というのが「在日韓国・朝鮮人を排斥する差別的な言動」を特に念頭に置いていることになります。

 そもそもこのヘイトスピーチ問題とは、「在日特権を許さない市民の会」が、在日韓国・朝鮮人が持っている「在日特権」をなくそうと主張していく中で、表現が不必要に過激化していったことが問題視されていることが背景となっているのでしょう。彼らの言動には周りにかなり大きな不快感を与え、理性的な議論に適さない罵詈雑言も数多く含まれるのも事実であり、ここに社会的な規制を設けていきたいとの考えにも理解できる部分はあります。

 しかしながら、これに対して「ヘイト・スピーチを許さない市民の会」というものが現れ、同様に周りにかなり大きな不快感を与え、理性的な議論に適さない罵詈雑言を発するようになりました。それどころか、「ヘイト・スピーチを許さない市民の会」の方が「在日特権を許さない市民の会」よりさらに過激で攻撃的にすら感じます。

 「ヘイト・スピーチを許さない市民の会」の側からすれば、自分たちはヘイトに対するカウンターであるからヘイトではないという主張になるのでしょうが、それはご都合主義だと言われても仕方ないでしょう。仮に何らかの規制をするのであれば、どちらの側のヘイトも公平に規制すべきなのは当然だと考えます。

 大阪市は建前としては、日本人に対するヘイトスピーチもその対象に含まれるとしています。しかしながら、「第31回大阪市人権施策推進審議会会議録」を見ますと、実質的にはそうではないことがわかります。該当部分の会議録を転載すると、以下のようになっています。

○森委員 どうもありがとうございます。先ほどの1つ目の質問に関連してなのですけども、前回この会議で議論しました中身とずれがあるなと思っていまして、前回のこの場所での議論では、日本人に対するヘイトスピーチは含まないという進み方だったように記憶しているのですけども、その点はどうですか。
○川崎会長 私もちょっと、そうは思ったのですけど。
○中井会長代理 以前はやはり、マイノリティに対する社会としての受け入れに問題が生じている社会、大阪というところから問題意識がスタートしているので、マイノリティ、外国人の人たちを排斥するということに対応する一連の動きだったと私も理解をして、そのようにお答えした覚えもあるのですけれども、ただ条例案としてできあがったときに、例えば、向こうから日本人に対してヘイトスピーチが行われたということに対して、それを客観的な形で、できあがってみますと、排斥するような読み方はできないかなと。むしろ、一つ一つの要件に当てはめてみると、多数の日本人に向けられて社会から排除することに当たるのかどうかと思いますね。1個1個見ていくと当たらないよねということになりますが、入り口として、この表にはそれこそ前文を付けていませんので、対象がマイノリティであるということは打ち出していないというのは事実かなと思います。


 ややわかりにくい言葉遣いになっていますが、日本人に対するヘイトスピーチも入口においては受理するが、ヘイトが日本人に向けられても日本人を日本社会から排除するものとはなりえないから、最終的には規制対象の要件を構成しないという理論構成でいこうとしているわけです。

 大晦日にドイツのケルンなどで難民たちによる大規模な集団犯罪が発生したのに、警察もマスコミも当初は全く動きを見せなかったというショッキングな事件がありましたが、この大阪市のヘイトスピーチ規制にもこの事件と類似の思想傾向が含まれていることが感じ取れないでしょうか。弱者保護は大切な考え方ではありますが、絶対的なものではなく、事実を否定するような動きになってはいけないでしょう。この点では、慰安婦をめぐる発言で撤回に追い込まれた桜田議員に対するバッシングにも、同様の問題点を見ることができます。

 そもそも「在日特権を許さない市民の会」の主張の過激化の背景には、彼らが正しいと信じることについて、彼らがいくら声を上げても日本の大手マスコミに取り上げられて建設的な議論の対象として国民が知るには至らなかったという現実との関わりも指摘せざるをえません。仮にマスコミが国民各層の多様な意見を拾い上げることに使命感を持ち、事実に基づいて公正な議論が社会的に展開されるように注力していたならば、今日のような展開とは恐らくかなり違っていたのではないかと思います。

 安易な弱者保護思想にのみのっかかったヘイトスピーチ規制を発動させることが、より理想的な民主社会に近づく道になるのでしょうか。そのようにして一方の側の言論を取り締まろうとする発想そのものが、むしろファシズム的で危険であるように感じられます。より理想的な民主社会に近づくためには、多様な見解を公平に取り上げて、事実に基づく言論を公正に実現していけるマスコミ空間を作り上げていくことの方がよほど大切であると、私は思います。



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