救いたいって思うのは
当然のことなんだけど
でもその助けたい “その人” は助けられたいなんて、これっぽっちも思ってなかったりするんだよね
例えその人が「苦しい」とか「ツライ」とか言ってても、本当はその「苦しさ」や「ツラさ」が心地よかったりするの
何か現状を大きく変えて、その安定した現実を壊すくらいなら、何かの恐怖に襲われるくらいなら
苦しくても辛くても、その状況に甘えていた方が “今はラクなんだ” って
自分をごまかして、見たくないものは見ないでいる
今のこの生ぬるくも安定した現実を壊すくらいなら、たとえ苦しくてもこの状況でいた方が安心
きっと、そんな人ってたくさんいる
私もわかるよ、その気持ち
だってそうやって生きていたことがあるから
でも今の私にはそんな生き方、到底ムリで、だから、そうやって生きてる人みると拒否反応がでた(自分の大切な人だったから余計に)
でもそれはそれで
その人の生き方、今はそういう時期、良いも悪いもない
そうするしかないんだよね、今は
その気持ちもわかる
だからそんな人をコッチが必死になって助けようと思っても、全くムリな話で、そんな必要は全くもって、ないって話で
そもそも助けられたいと思っていない人に、良かれと思って救いの手を差し伸べるのって、もはや自分のエゴでしかなかったんだね
それをよく学んだ
「私は私」
「人は人」
それもその人が選んだ修行(学び) なんだね
私の修行ではないよね
人の問題を、私がどうにかできるなんて事はないんだよね
こんな分かりきっていたことが、現実に飲み込まれると分からなくなってしまっていた
だから人を
心配するんじゃなくて
信頼するしかない
その人への信頼は
自分自身への信頼であり解放
人のこと心配してる暇があるなら
その分、自分の人生を楽しく生きることにエネルギー使いたい
あなたの為にって
そんな風に思う暇があるなら
自分の為に生きていきたい