わかりやすいくらい、同じようなものが5〜6件もです
拒絶って言っても、激しいものや物理的なものはなく、「わたしが勝手に拒絶と認識したこと」。
シータヒーリング®︎の応用セミナーでもやりますが、「拒絶」は、創造主との繋がりを妨げる3大ネガティブな感情(3R※)のうちのひとつです
※後悔、拒絶、憤り
それらは、創造主からの分離の表現。
拒絶は、まさにそうですね。
創造主(=無条件の愛)が全肯定・全受容なのに対して、拒絶はその真っ向
感じると、とても苦しいです
なので、ここ数日苦しいって感覚がちょいちょいありました
「わたしは人に必要とされていない」「わたしはこの世界に受け入れられていない」
・・・その感覚。
いつから来たのか?何を教えてくれるために、この状況は起きているのか?
といった事を、当然セルフワークで探るわけですが・・・
例によって、これ、自分自身の内面が外側に現れたわけですから・・・
つまるところ、「拒絶された」ということは、どこかのレベルで自分の事を拒絶しているのですね
今回はなかなか、それを認めたくありませんでした
自分の何を拒絶してるの?というところに向き合いたくなかったのです(それも拒絶ですね〜)
向き合おうとすると、襲いくる吐き気
(拒絶反応)
こんなに(自分を)受け入れてあげてるつもりなのに!
こんなに頑張ってるのに!
みたいな怒りも出てきていました
今回感じたことは、怒りがあるということは、それだけ傷ついているということ。
なら、その傷がどこから来たのかわかってあげて、更にその経験から何を学んでいたのかわかってあげる必要があります
今回の根っこは、小学校低学年の時のイジメにありました
年齢的に、相手にもわたしにもイジメという概念はなかったでしょうが、クラスの男子複数に、なにかにつけては
「気持ち悪い」
と言われ続けて
こちらは批判力がない子でしたから、素直に受け入れて「わたしは気持ち悪い」「わたしだからダメなんだ」とかいう思い込みを作って、自分自身を拒むクセがついていたようです
そのまま(その思考のまま)、高学年になったら今度は女子から「気持ち悪い」「いてもいなくても同じ」とか言われて集団無視されたりするようになってったのです
彼らを責めても憐れんでもどうしょもありません、これは別に彼らとの関係の問題ではないですから
(彼らを許すという事ももちろん美徳の実践としてしてきましたが、それは今回は置いておいて)
それらの経験をして、わたしは何(何の徳)を身につけようとしたのか?が重要です
傷を、しっかり見てあげて、癒してあげてから
実は、まだワークの途中ですが・・・(得ていたのが何の徳か自分のハート&創造主にヒアリング中)
「自分自身をどのように受け入れるか」のテーマだということはハッキリしてます
それがわかったら、すごくラクになりました
この後、もうちょい継続してワークなりなんなりして、完全にスッキリ&得ようとしてる資質を発見して身につける予定です
その時その時、完全にスッキリしなくても、「なぜこんな事が起きてるんだろう」と(客観的に)自分に問いかけると、潜在意識さんが答えを探し出してくれるので、ふとした時に解決したりします
なので、焦らず焦らず・・・
完全にスッキリして、完全に自分を癒して受け入れたいと思います
これをクリアしたら、またもっと成長する予感がすっごいします
この記事書いてたカレッタ汐留の展望室にて
それでは、お読みいただきましてありがとうございました
愛を込めて
みーこ
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