ドラキュラ起源~なんで吸血鬼って強いんだろう?~ | リュウセイグン

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長文多し。

このエントリ をみたから考えてみたんだね。



あと何処ぞで「吸血鬼ってのは伝承でも最強なんだぜ!」と仰られているのを見たからです。

そうかぁ?

ぶっちゃけ吸血鬼の原初を辿ると、そんなに大したことはしてないんじゃないかと思えてくる。

不死者、というとカッコイイが要するに「生ける屍」の一種。
ゾンビとかの親戚みたいなもんなんだよね。

死んだ人が生き返って、人を襲って、襲われた人がまた生き返り……と。
ゾンビと違うのは腐っているように見えない所と知性を持っているらしいところかな。
それすら民間伝承ではどうなんだか……。

で、そんな吸血鬼がスターダムにのし上がったのはやっぱりブラム・ストーカーの「ドラキュラ」の影響だろう。
しかし此処でもドラキュラというのはそこまで大したことをやってた訳じゃない(原作そのものはまだ読んでませんが)

城に呼び出した男を襲ったり、町へ出て女を襲ったり……とまぁそんな程度。
子分が居たり、動物に変身したり、血を吸う事によって催眠術らしきものを発動しているような場面もあるが、基本的には血の好きなストーカー※ 原作者の事ではありません。女つけ回すアレです)みたいなレベル。

凄まじい身体能力!

とか

ド派手な超能力!

なんてものは一切登場しない。
宿敵とされているヘルシング教授からしてフツーの物知りお爺ちゃんとかオッサンなので、そんな凄い相手だったら勝てる訳がない。最後も女の機転で太陽に灼かれて死んだり、寝てるところに杭打たれたりで、あまり格好の良い物ではない。

また、当初から美形という訳でも無かったようだ。

原作者の了解が得られなかった映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』では、ドラキュラに当たる吸血鬼は物凄く気持ちの悪い爺さんとして描かれている(無許可だったから設定も色々と変えてるんだけど)

『魔人ドラキュラ』に至って、ベラ・ルゴシがドラキュラを演じ、始めて僕たちが「ドラキュラ」と言われて想像するようなイケメン貴族な吸血鬼像が完成している。
余談だがベラ・ルゴシって見覚えある顔だな~、と思ったら篠井英介さんだった。
演じたら似合うんじゃないか、吸血鬼。



ベラ・ルゴシ
リュウセイグン-ベラルゴシ



篠井英介さん
リュウセイグン-篠井英介



あと、クリストファー・リーや、日本では岸田森さんやらがまたイケメンの風潮に拍車を掛けた感がある。



やや話が逸れたが、今の話を本題と繋げて考えるに貴族的な怪物→怪物の中の貴族というイメージが吸血鬼の地位インフレの一因になっているんじゃないだろうか。

ぬらりひょんという妖怪も、本来ならば海坊主か何かの仲間らしいのだが、鳥山石燕によって怪物と言うよりもやや身なりの良い爺に描かれ、妖怪画談全集にて「妖怪の親玉」という設定が出来たとされる。今ではその設定が当然のものとして受け入れられ、孫が活躍する漫画すらあるくらいだ。

これと同様に、吸血鬼から貴族的怪物へ、貴族的怪物から怪物貴族へと変貌し、それに従ってパワーも増強されていったのではないか、と推察される。

もちろんこれは理由の全てではないだろう。
もう一つ考えたのは「リスペクト」という事だ。

ドラキュラ以後、全ての吸血鬼物は何らかの形でドラキュラの影響を受けていると言っても過言ではあるまい。
そして吸血鬼はどんどん一族を形成出来る、という性質を持っている
そこからドラキュラを避けるのではなく本家リスペクトとしての元祖ドラキュラを設定してしまう。
で、自分達は分家或いは子孫ですよ……というところで話を進めていく。

分家とは言え当然、主人公格なのだからある程度強くなくては話にならない。
その強い主人公格より更に強いゴッドファーザー的な存在として、ドラキュラがある訳だ。

このような形で、どんどん強力なイメージが出来上がっていったんじゃないだろうか。

実際、吸血鬼もの、特に近年のそれは「真祖」というのを出したがる。
むしろ出さなきゃいけないと思っているくらいの勢いで出る。

響きが良いし、僕もこういう設定が嫌いではないのだけれど、それによってまるで昔ッから吸血鬼最強が当たり前だったように語られても少々遺憾だったりする。

マックス・シュレックなんか自分で棺桶持ち歩いてんだぞ!!!

好きな物として語りたいのならば、もう少し筋を押さえてから語るべきじゃないか?
まぁ俺もストーカーの小説は未読なので、勉強不足と言われてしまえばそれまでですが。

あとデ・パルマのドラキュラは買ったままの積ん観なので、これまたその内観なければならないなぁ。
評判高いんだよね。