『告白』 | リュウセイグン

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みんな自分が大好き?




先日は一日三本の映画をこなして参りましたw
そこまで詰めなくても良かった気もするけど、まぁいいよ。

第1弾は『告白』、巷でも噂になっていると思われる問題作ですね。
実際かなり突っ込んだ内容で、「衝撃的だった」とか「考えさせられた」というような感想も多かったみたい。
ご多分に漏れず俺も色々考えてしまった。
観に行った作品『告白』『アイアンマン2』『ヒーローショー』の中では『ヒーローショー』の評価が一番高いんだが、反芻度という意味に於いては間違いなく『告白』だ。
ミステリとしても良く出来ていて誰かが黒澤明の『羅生門』に喩えていた。
それは構成という意味では言い得て妙な表現だ。



娘を生徒二人に殺された教師が、その復讐をするという話。


ただ、その文脈で色々と想像の余地がある。
世間的には遺族の気持ちとか復讐の是非とか少年犯罪とか、そんな部分が「考えさせられる」んだろうという気がする。そういう意味合いで言えば、自分はちょっとずれている気がしないではない。

個人的に少年犯罪や死刑制度などについて社会的に少々複雑な立場を取っている。
死刑は基本肯定していない、裁判で弁護士が変な弁論を行っても別に構わないという所謂左派的な立場があるのと同時に、システムとしての死刑が確定してしまったならそれは執行されて叱るべきだし弁護が採用されずに心証を悪くして判決が重くなってもそれは当然。
更に少なくとも復讐という行為自体はやりたきゃやればいいだろうって部分もある。
命の軽重にしても、価値判断とは主観だ。だから軽い命もあれば重い命もあるし、どれが重くてどれが軽いかは人によりけりで同じ対象を示してすら違うだろう。

そんな人間であるにも関わらず、この映画を見ている時の気持ち悪さというか、違和感はどうだろう。
物凄く居心地が悪い、松たか子の演技は確かに凄いしそれでやってる内容がかなり立ち入った話だからと言うのもある。でも、その程度じゃこんなに気持ち悪いとかイラつく感覚にはならない。何が気に入らないのか。

それは中盤で分かった。

そうか、こいつら自分が大好きなんだ

自分が好きで好きで特別になりたい。守りたい。他人より上に行きたい。
悪いのは自分のせいじゃない、お前らだ、お前らが悪いんだ。
この作品はそういう主張で溢れている。
それで他人を殺してみたり制裁してみたり見下してみたり分かった振りをしてるんだ。
もちろんそういう気持ちは誰にでもある、でも必ずしも人を殺したりだとか制裁をするわけではない。
また少年A・Bや生徒側ヒロイン格の美月、クラスの人間、またモンスターペアレントであるBの母親は、そういう自意識過剰さがかなり自覚的に書かれている

でも、それだけだろうか?

僕は冒頭から、すなわち松たか子演じる森口が語り始めるそのシーンからすでに気持ち悪さを感じていた
彼女は被害者という立場にあるぞ?
実際相手が悪いんだから他罰的とは言えないんじゃないか?

しかしそういう思いも終盤にいたって確信に近いものへと変わってしまう。
この書き方もかなり突っ込んだ内容だけれども思い切って書いてしまおうか。


お前は(被害者だからとは言え)そんなに偉いのか?


誤解の無いように言うと、法的な意味合いでの被害者(家族)はもっと守られるべきだろうと思う。
例えば事件の情報開示だとか精神的なケアだとか援助だとか、そういうことだ。
また犯人を非難し責め立て、そしてさっきも言ったように時には何らかの手立てを行うことは心情的にやむを得ない場合もあるかと思う。
光市母子殺人事件に於いて、弁護士の主張は法廷で為されたことだから法廷によって決着を付けられるべきだが、犯人が死刑を回避した場合、本村さんが手を下しても僕は手放しの称賛もしないし完全な意味での否定もしない
ただ称賛の声を皮肉ったり「犯罪だ」(これは価値判断ではなく事実)とは指摘するかもしれないけれども。

それでも語弊があるかもしれないから、もっと作品に寄って言い換えよう。

森口ってそんなに偉いのか?

これは彼女の行為の是非に直結する訳じゃない。
いや、正確には行為も含まれるのだが、それ以上に彼女の動機というか態度についての話だ。

なんであんなに偉そうなんだろう?

先生だから? 被害者だから? 復讐者だから?

言葉の一々に挑発的な言辞が含まれる。
A・Bに対しての言葉ならまだ分かる。
でも他の人間に対する姿勢や、他の生徒にもそうなのだ。
元々こういう人間だったのか? それとも子供を失ったのが切っ掛けだったのか?

これは非常に微妙な問題だと思う。
そして小さいようで作品の根幹を読み替えられる部分だ。

中島哲也監督は、原作について

「登場人物が嘘を吐いていると考えると収拾がつかなくなった。最終的に僕の中でも結論が出ていない」

というようなことを口にしている。

僕も映画の後に原作を読んだ。
こちらは似ているが小さい部分の積み重ねで、かなり違う作品として成立している。
一番決定的なのはラストシーンだ。

原作では森口はAの母親の所へ爆弾を持っていき、本人の手で爆殺させた後に「これがあなたの更正の第一歩だと思いませんか?」と言って終わる。
ところが映画だと森口は、更正云々に続けてAの「なーんてね」という台詞を真似る。

この「なーんてね」は何に掛かるのか?

母親が爆死したという事に対してだろうか?
更正云々に対してだろうか?

分からないようにしている部分もあるから断定は出来ないが、僕は後者だと思う
母親を擬似的に殺した場合、確かに一時的にはAを公開させることが出来るだろう。
しかしそれは嘘だとなれば本物の傷として、本物の苦しみとしては残らない
またこれはAの目的たる「騒動によって母親と繋がる」事を敢えて手助けしてやる行為にもなりうるし、実際この後に母親が生きていれば親子の絆を取り戻しもするだろう。
「貴方の望む猟奇犯罪にはしない」として娘の死を隠蔽した森口が、わざわざAの自己実現を手伝ったりするだろうか?
そして原作では「なーんてね」は入っていない。
爆破は事実として明かされたままだ。

だからここは中島監督の原作に対する「邪推」だろう。

「更正の第一歩なんて言ってるけど、お前も人殺しの手助けしてるし、関係ない人間まで巻き込んで煽ってるだろ? それにガキ一人を更正する為に何人も死ぬとか、どんだけ大切なのそのガキは  結局お前が復讐したいだけなんじゃないの? ホントに更正なんて綺麗事考えてんの?」

という邪推。
これは確かにそう見える。
その観点を入れたことで作品がグッと深まった感じがする。
ただ複合的な観点を入れたせいか、もしくはこれもまた意識しての「邪推」なのか、僕にはもう一つの像が見えてしまった。


本当に復讐だけをしたいのか?




何故こういう事を思ったか。
それは前述した「他者に対する挑発的な言辞」がある。
これは映画版でかなり強化されている部分で、そしてA・Bやその母親のみならず、無関係な人間に対しても同じように語られる。


少年A・B含め作中の登場人物の殆どが

「俺は凄いんだ、だからお前らはみんなバカなんだ」
「俺は悪くない、お前らが悪いんだ」

というないようの主張をする。
貶めることで、自らを高みにあげる。
他人を蹴落として自らを高めようとする自己実現の姿だ。
ただ、殆どの登場人物に於いてはその過剰な自意識が分かり易く書かれているにも関わらず、一人だけそれを認識しづらい人間が居る。


森口だ。


実のところ、彼女の言動に見え隠れする自意識は他の登場人物とよく似ている
一生徒のメールの内容を嘲弄しながら暴き、後任の教師を操り、いじめをけしかけ、せせら笑う。
にも関わらず、その厭らしさが比較的目立たないのは彼女が教師であり、また被害者だからである。

Aに対しては何度も彼の低劣さに対して言及し、その愚かさを滔々と語り出す。
終盤の表情、言い回し、(作品としてではなく彼女が用意した)演出を見よ。

そこで思うのだ。

お前、もう復讐がどうとかじゃなくて、単に相手より上の自分を見せつけたいだけなんじゃね?

A・Bが自分の価値を高める為の自己実現から殺人を犯したのと全く同様に見える。
相手の計画を暴き、先回りし、より関係のない不特定多数の人間を巻き込む(殺す)やり方を、自らの手を汚さずに行い(これは詭弁だが)勝ち誇る。

それはもう復讐だとかなんとかじゃなくて、相手より上を行って罠に嵌めて快哉を叫んでいるガキと同じだ。
しかも自分は大人、相手は正真正銘のガキ。

もちろん

「それは演技でAに最大級の恥辱をあじあわせ、
後悔させる事が復讐なのだから、敢えて同レベルに下ったのだ」


という見方も出来る。

特に原作に存在しないファミレス前後のシーンで彼女の像は揺らぐだろう。

ただしその時点で無関係な他者を見下し、イジメをし向け、教師を操るようなやり口、つまり「自らは何もせず他人に頼り、他人を利用している」と得意気に語る姿(これはA・Bの行動傾向に近いことにも留意)から、彼女がどういう価値観を持っているかが垣間見える気がする。

もう一つは、例え挑発的態度が他者に見せる為、演技で始めた行為だとしても彼女にそういう部分がなければその発想に辿り着くだろうか
また本当にそういう気持ちがないままに演技でしかなかったと言えるだろうか?

僕は怪しいと思う。
彼女が他人に見せる態度には、物凄く余裕があるのだ。
怒りとか憎しみみたいな印象を、基本的に受けない。
不条理の帳尻合わせという感じでもない。それならもっとドライになる。

ファミレス後のシーンは、確かにどういう意図なのかやや迷う。
復讐が不完全だった事自体に泣いたのか、完全な復讐をしなければならないと苦悩したのか。
いくらか想定出来るだろうが、少なくとも娘を思っている部分があるのは間違いない
ただ叫んだ後に「くだらない」と吐き捨てているのもまた事実であり、それは娘のことではないだろうとは思う。

しかし彼女が娘のことを大事に思って、本人としてはその復讐という意識であっても、僕は(自らは手を汚さず)相手を出し抜いて嵌めてやったという裏の意識というか、本人の歪んだ喜び(復讐を果たした喜びではなく、相手が自分の思い通りになったという喜び)が透けて見える気がするのだ。
そこには爆弾で死んだであろう他の人の事とか、美月の事とか(原作ではイジメにあわせたことを一言だけ謝ってる)寺田の事とかは無い……いや、無い訳じゃないな。
A・Bをバカにする小道具として存在しているのだ。


だから、森口も自分が大好きで(復讐を切っ掛けに)ガキ程度に勝ち誇って自己実現を果たした、かなり痛い大人コドモに思えてしまう。単なる被害者ではなく、被害者という立場的な正当性を拠り所として(本来的な大人の教師という強さに加えて)相手よりも上の立場を築いたモノが加害者というオモチャを弄くり回して小馬鹿にする……そんな大人コドモに。


超前田さんが「偽善を全てはぎ取って……」とか言ってたけど、一つだけ有る。


復讐って概念自体が、正当化に過ぎないんだよ。