人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない
何かを得るためには同等な代価が必要になる
(※ 以下ネタバレ)
上記は鋼の錬金術師のテーマとも言える「等価交換の原理」を現す言葉である。
劇場版『鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星』、本作に於いても犠牲……同等な対価が必要であった。
『アマルフィ 女神の報酬』 がそれである。
真保裕一氏が(恐らくあまりの出来映えから)脚本を降板した作品だ。
そんな黒歴史もある脚本家の型で、正直不安だった。
不安のあまり、駄作だったら
ハガルフィ(笑)
って別名を広め、真保氏は賢者の石送りだなー、と心に決意していたくらいだ。
でも面白かった!
真保さんマジホントすいませんでした!
ちゃんとハガレンとして面白かったです!
もちろんアラがないとは言えない、というよりちょくちょく気になる部分はある。
しかしながら本作の中心を貫く「ハガレンらしさ」に感銘を受けた。
この作品が面白いのは、
従来のハガレンらしさを踏まえつつ、
今までになかった要素を盛り込み、
更に本編の読み味を深める
点にある。この辺り、ファンムービーとしては出色ではないか。
従来のハガレンらしさで言えば、暗い設定と派手なバトルが挙げられる。
シチュエーションも本編を意識した場面が多く、僻地で暮らさなければならない人々、列車バトルや大規模錬金術、兄妹愛などが語られている。
あとヨキの親戚とかねwwwww
(正確には繋がりはないです、たぶん)
じゃあ、今までのハガレンで充分じゃん……という訳では決してないのが大したところ。
今回のメインテーマとして「虐げられた民」という少数民族の物語がある。
イシュヴァールと同じ? いや、違う。
イシュヴァールは基本的に過去の物語で散逸してしまった民族として語られていた。
しかし今度登場するミロスの民は、圧迫されながらもまだ滅んでおらず、生存しようとする人々として描かれている。
その中心者であり、ヒロインでもあるジュリアは言う。
「あなた達の国は強いからそんなことが言えるのよ!」
そう……ハガレンは弱さは持っているけれど、基本的に強者の物語なのだ。
強い国の強い権力と武力を持ったエリートの物語。
そしてエド達は自分の為に賢者の石を必要としていたから使わないという選択をした。
でも、それが周りの人々を救う方法だったら? 他に有効な手立てがなかったら?
「たとえ正しくない力であっても、それを必要とする善良な人はいるかもしれない」
ここは本編でもあまり語られなかったテーマだ。
本編でも賢者の石で人を治すシーンはあるが、「弱者に於ける力の必要性」という部分にまでは達していない。ラスト近辺では民や大切な人間を救う為に賢者の石(ミロスの呼称では「鮮血の星」)が用いられるシーンが描かれている辺りも、面白い観点だと思う。
それとミステリ系の作家が脚本というのもあり、結構話が入り組んでいて謎解き場面も多かった。
個人的にはメルビンの正体が明かされた後、「え……こいつどうやって変装したの?」という疑問が浮かび、それが自己解決し、頭の中で仮面のキャラと繋がった時は「おぉ、なるほど!」と首肯した。
ミステリではわりかしある話なんだけど、ハガレンにそれを持ち込むとは! っていう。
で、本編の読み味については、この物語が間接的に本編終盤や印象的なシーンに繋がってくるため。
例えばテーブルシティに関する動乱はホムンクルス達の「血の紋を刻む」為の介入の可能性を想起させる(もっとも局地的に国境を越えている場所なのでどのレベルで関わりがあったかは不明)
他にも敵キャラ・味方キャラ含めて錬金術の力や賢者の石、そして真理に拘泥する……というのも後の展開を把握していると、彼らとエドとの問答が一段と深くなる。
またジュリアと兄・アシュレイの関係性も面白い。当初ジュリアはアシュレイとの間に距離を感じていた(まぁ偽者だから当たり前なんだが)しかし終盤で本物の兄と対立しながらも瀕死の彼を救う為に賢者の石を用いて自分の医療錬金術を最大限に増幅、真理の扉を開けて「左足」を持って行かれながらも彼を救う。
まさしく、エルリック兄弟との対比だ。
そして再生する兄妹の絆を描くと共に、緊急時とは言え賢者の石を使って回復させるという「違い」もハッキリ描かれている(むしろエルリック兄弟にはそこまで切羽詰まった機会が訪れなかったのだが)
また、兄妹のその後の有り様も、エド達との違いが強く現れている。
そして先にも触れたが、この物語は「弱者にとっての力」を一つの主軸としている。
そしてエドは、ラストでジュリアを「大した奴」と認めつつも、力に頼る考え方は否定した。
ジュリアも、いつか分かったら答えを教えて欲しい(取意)と言って、二人の道は分かたれる。
今回の話だけでは、ちゃんと解決してないのだ!
しかしながらファンなら知っての通り、本編では
エドが最終的に真理の扉=力を捨てることで自分達の問題を解決し、
「一を加えて次に渡す」という等価交換を越える法則を考え、
鋼の心を持って新たな旅へと向かう。
この旅の途中、エドは間違いなくミロスに向かってジュリアに自分の到達した「答え」を伝えるだろう。
力は必要な時もあるが、それに拘るだけでは見えないものもある。
そしてジュリアもそれを受け入れるはずだ。
彼女が機械鎧を付けているのは、エドと同じ部分。
生身に戻った右腕ではなく、残したまま共に前へと進んでいる左足なのだから。
あとがき(?)
という訳で、色々読み込める良い映画でした。
とは言え、ちょっと気になる部分があるのもまた事実。
パッと目に付くのを挙げると……
・テーブルシティ到着直後、銀時計を見せてないエドにアメストリス兵が敬語を使う
・エドの正確がややクレバーな印象に。一緒に歩いていた人が狼キメラに襲われて死ぬと、その人を誰かに任せる描写がないまま追うシーンに繋がる(省略の可能性アリ)
・自分が足止めした狼キメラが、そのままメルビンに殺されても冷静に話し出す(エドはエンヴィーの一部に銃を撃つ事すら出来なかった)
・鮮血の星(賢者の石)を食べて力を使おうとするジュリアに「星に喰われる」と警告するエド達。本編ではキンブリーが同じような事をしているが、賢者の石を食べても特に変化はない(まぁキンブリーだからかもしれんが)また体内にあるままで使っている描写もない。もしそういう設定があったとしても、この時点でエド達が知っているはずがない。
・ウィンリィとマスタングとホークアイは一応出てくるが空気(ウィンリィにはいつもの事だが……)
ここら辺は細かいところなのでまぁ好きに解釈してもいいかなと。
一番気になるのは
・ミロス錬金術の法則と来歴
パンフを見ると、驚いたことに東の賢者(おとうさま)がアメストリスに来る前から鮮血の星の伝承はあったらしい。
ハガレンではアメストリスとシンの錬金術・錬丹術は東の賢者と西の賢者(ホーエンハイム)が発展させたことになっている。
でも年表を見る限り、ミロスでは独自にあの錬金術大系を完成させた事になる。
よほどの天才がいたか、或いはこちらもおとうさまと同じ「始まりのホムンクルス」を作ってしまったのかもしれない。
聖地の「仕掛け」等を見る限り後者の方がありそうな話ではある。
仕掛けを作りながらも、(自分の体を作る為)本格的な発動をさせる前にうっかりフラスコを割られてお亡くなりになったのかもしれない。
術が非常に強力なのも特徴的だ。
多分、電子と空気中の水分を凝結させているのだろうが、かなりスケールがでかい。
ひょっとしたらアメストリスのように地下を流れる賢者の石に阻害されていないから強力なまま使えるのか(ただしこれでは国土錬成陣から外れている可能性が高い)或いはマグマが近い為に等価交換の基礎エネルギーである大地の力が利用しやすいのかもしれない。
劇中でも大地の力を用いるみたいなこと言ってたしね。
何はともあれ、色々と見えてくる面白い作品でした!
和製アニメの劇場版でこんだけ満足したのは久しぶりです。
等価交換の犠牲になってくれた『アマルフィ』に
ありがとう、そして、ありがとう!