『アメイジング・スパイダーマン』 | リュウセイグン

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なーんかダラッとしてるんだよなぁ……



そんな訳で久しぶりに映画感想を書くのは『アメイジング・スパイダーマン』

僕は基本的にライミ三部作を観たのと、むかしTVでやってたのを小さい頃に観た程度の人ですが、書く際に当たってはそれなりに調べたりもしているので原作ネタバレ的な物も含むと思います。
そのあたりはご寛恕を。



まぁ、冒頭の一文で書いた通り、個人的にはあまり宜しいと思えない作品でした。




理由は色々あるのですが特にここではサム・ライミ版『スパイダーマン』三部作と対比して語ろうかと思います。

とは言ってもライミ版も全て手放しで称讃するつもりはなく、2・1・3の順で、しかもそれぞれの間にはかなり格差があると感じております。

で、今回のアメスパは端的に言ってしまうと


最新シリーズの1作目なのにライミの3作目くらいな印象でした。


映像技術という意味では3Dも比較的効果があるように使われていましたし、接近戦でのウェブシューターを連射しながら華麗に戦うスパイディは格好良かったと思います。

また、前作には存在しなかったウェブシューター製作過程や、コスチュームの発展過程も良かったんではないでしょうか。


恐らく物語終盤の展開も含めて『バットマン・ビギンズ』なんだろうなぁ……とは思いましたが、それも売れそうな路線に乗っかるという意味では間違いない。面白ければ良いんですから。


となると、やっぱり問題はお話な訳です。

前シリーズの3に比したのはそれなりの意味があって、


ピーターのDQN性が殆ど批判されないまま終わる


んですね。


ピーターが元々ナード系の男の子で、スパイダーマンの能力を手に入れることで調子に乗ってしまったり、逆に悩んでしまうのは原作からの伝統ではあるんでしょう。



けれども本作では



なんかコイツ普通に性格悪くない?



と思えてしまう事態が結構あるんですね。

例えばいじめっ子フラッシュとのバスケ戦。
や、これくらいはまぁ良いような気もするんです。
しかし、その後にビビッて日和っただけかもしれませんがいじめっ子フラッシュは案外良いヤツだというのが分かる。
けど、ピーターの対応が感情的だったり、リアクションが微妙だったりで、どうも微妙な距離感がある。

これはピーター側の壁にも思えるのですが、ややもすると親しげなフラッシュに対して、見下しているというか、無愛想なように見えてしまう


また、これは物語の根幹を為す部分として、ピーターの過失でベンおじさんが死んでしまうシーン。
まずベンおじさんに怒られて拗ねたピーターが家出をして、商店で買い物をするけどちょっと小銭が足りない。店員はピーターを除けて次の客へ。

ところがその客が強盗で、金を奪った後、ピーターに買えなかった商品を投げ渡す

店員は強盗を捕まえるように頼むけれど、ピーターはこれをスルー。
その先でおじさんが取り押さえようとして撃たれる……とまぁこんな流れ。

ですが、一つのポイントとしてピーターが商品を受け取ってしまっていること。
強盗を見過ごすのと、品物を共有するのとではかなり印象が違ってきます。



そしてもう一つのポイントは、強盗がすぐに捕まらずピーターは犯人探しをする為にチンピラへケンカを売り、顔を隠す為にマスクを被り始めるということ。



ライミ版のピーターは、自分が見逃したせいでおじさんが死んだと後悔します。
だから強盗が捕まろうが犯罪者と戦う訳で、つまり【贖罪】が大きなキーワードになってきます。
それは即ち【責任】【義務感】とかなり近しいものです。



しかしアメスパだと犯人探しがメインなので、恐らく動機は【復讐】です。
もちろん後悔もあるのでしょうが、二回程描かれるチンピラとの戦いではピーターの方が明らかに攻撃的に動いています

特に二回目はスパイダーマンのコスチュームやウェブシューターが実装されたこともあり、かなり相手を加虐的に痛めつけます。スパイダーマン自身が軽口を叩きながら犯罪者と戦う側面があるという事なので、ある意味原作には近いのかも知れません。


しかしこの行動は、あくまでも「ベンおじさんを殺した犯人探し」の一環なのです。
そんな中で軽口を叩きながら特に身体的に強力でない単なる車上荒らしを痛めつけるというのは、かなり印象が悪い。
で、警察にも睨まれてしまう。
この辺りはむしろ当然と言えるかも。




そんなスパイダーマン捜査の中心人物がステイシー警部。
今回のヒロイン、グウェン・ステイシーの父親です。

当然、警部としてはスパイダーマンの行為が気に喰わず、グウェンの招待で家に来たピーターと口論になります。スパイダーマンは無法者、警部の言葉はその通りなんです。

ところが、作品終盤でステイシー警部は「君は必要な存在だ」とスパイダーマンの存在を認めてしまう。
いやまぁ、ヴィランは強力ですからパワーとしては必要かもしれません。




でも、口論以後の過程で論義・変化の描写が全然無い



つまり【復讐】を動機として犯罪者をいたぶるスパイダーマン像が、宙に浮いたまま、警部に認められるような構造になってしまっているんですね。
復讐行為自体がこの中では完結していないので、まだ物語が成長とともに展開する可能性はありますけどね。
ただ、一つの映画として考えると、スパイダーマンのああいう行動に明確なアンチテーゼが示されないままに終わってしているので尻の座りが悪いのです。



また、今回のスパイダーマンはヒーローとしても何だか微妙な感じがあります。



マスクのアイディアが出てくるのは、犯人探しの過程で顔を覚えられてしまうリスクがあることに気付き、ちょうどその時落下したのがプロレスの施設だった
……という設定。



つまりコレ「逃げる為のマスク」なんです。
まぁそれ自体は現実的だし間違ってはいない。
けれど、リザード初登場の事件で、スパイダーマンは車を落下させない為に宙づりにして、中に取り残された子供を救おうとします。
とはいえ車を支えるので精一杯な彼は
「そのマスクを被ると勇気が出るんだ」
と言って子供を励まし、本人の力で登らせます。


えー……それ「顔を覚えられない」為のものだったよね?


や、でもスパイディ自身の中でそのマスクの意味合いが変わったのかもしれない……と思いきや、この「勇気が出るマスク」設定はその後には生かされません



というか、最終決戦の過程でスパイダーマンが「到底無理だとへこたれるけど、マスクとそれに対する自分自身の言葉を思い出して勇気を取り戻す」という如何にもあって然るべきシーンが存在しないのです。



一応、この橋のシーンって後半の伏線にはなっているんです。
ここで助けられた子供のオヤジが工事関係者で、知り合いに頼み込んで町中のクレーンを利用しスパイダーマンを移動させるという筋書き。
でもね、ここまででスパイダーマンが一般市民を直接助けてるのって橋の所くらいなんですよ(戦ってる時には原作者などに戦闘被害が及ばないようにはしている)

そりゃあオッサン自身が動くのは分かるけど、他の人が動くには

「あのスパイディの為ならエンヤコラ!」

的な動機が欲しいところです。
もちろん本作では犯人探しばっかりやってるから、その方向自体が難しいんですが。


で、最後の問題はやはり



警部の遺言を破っちゃったこと




コレに尽きます。
たぶん、ヒーロー物に関心が薄い人でも



ねーよwwwwwwww




と思われたのではないでしょうか。
警部が生きてるならコッソリとした恋愛でラブコメにも通じますが、死ぬ際に「アイツには近付くな」って言われたのに



守れない約束もあるよね(ドヤァ



ないわー。これはないわー。
もちろん、ある程度の背景はあるんでしょう。
今回のヒロインであるグウェンは、原作では悲劇に見舞われる設定になっております。
つまり約束破りの代償として次回での悲劇が見込めなくは無いのですが……

例えばですよ?


スパイダーマンがグウェンを守る為に敢えて約束を破ろうとするような物語が入っていれば、次回悲劇が生じたとしても「守りたい物を守れなかった」というピーターの苦悩に繋がる訳ですよ。
しかしですね、今回みたいに最後の方で約束をして、観客の体感として十分後くらいに



守れない約束もあるよね(ドヤァ



って言われちゃったら、続編の中でグウェン死んだところで彼女こそ可哀想にせよ、ピーターは



自業自得というか、単にダサイ人




じゃないですか。

今回の『アメイジング・スパイダーマン』には、妙な覚悟や見込みの甘さがあって、それに対するエクスキューズがなされないままに話が終わってしまった感があります。



聞いたところによると、マーク・ウェブ監督が続編製作から降りる というような話も出ているそうです。
売れてはいるようなので(ただ製作費から考えると芳しくなかったということらしい)厳しいと言えば厳しいですが、個人的には



まぁしょうがねぇかな



という感じです。


なんつーか、全体的にダラッとし過ぎている


もしこの作品が90~00年代や、サム・ライミ版の前段階として作られていたなら(映像技術という意味ではなく物語として)ば納得も出来ますが、ヒーロー物を大人向けにも作れるようになってきた昨今においては微妙すぎた作品だと思います。