民主主義は暴力である | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

舛添要一のような朝鮮人の馬鹿男がなぜ東京都知事になったのでしょうか。これを考えてみたらわかるのです。これは多くの票をとったからです。何百万票とったから都知事になったのです。

では、舛添さんは良い人でしょうか? 良い人はありません。舛添は奥さんが3人もいて、子供が10人いて、お姉さんは生活保護です。そんな都知事がいるのでしょうか。都民のお金は使いたい放題、「大恩ある韓国に韓国学校を造ってさしあげる」など、馬鹿です。

舛添が「精査の上」と言っている意味を考えてみましょう。「精査の上、知り合いの弁護士が十分に調べた上で発表します」と言っていますが、これは何を物語っているのかというと、マスコミは言っていないけれども、舛添は一つ一つ弁護士に聞くのです。

「これは犯罪になりますか?」と聞くと弁護士が「ならないんじゃないですかね」と、2~3人の弁護士に聞いていくのです。「公用車を使い湯河原まで行きました。これは犯罪になりますかね?」ということを聞きます。

すると弁護士は「犯罪にはならないんじゃないですかね」と言います。それから、公金で飲み食いしました。「これは犯罪ですかね?」「いや、これは難しいところですね」と言われたりするのです。実際に知り合いが来たり、支持者が来たり、記者が来たりすると「寿司でもとれや」と食べさせることもあるでしょう。

夜打ち合わせで「湯河原に来てくれ」と言われて、「回転ずしを食べさせた」と言ってもいいのです。ピザは舛添が食べているのでしょう。それもどうってことないでしょう。子供の服をヤフオクで買ったことも「領収書を間違えて入れてしまいました。これは書き換えてください」というような指示が弁護士からあれば指示通り修正するのです。

すると、正月に千葉の木更津の旅館に行ったことも、たいした問題ではありません。弁護士が「大丈夫です」と言えば、彼は「辞めない」というはずです。弁護士が「舛添さん、この問題はダメです。これは法に抵触しています。だから逃げられません」ということを2~3人の弁護士に精査してもらっているのです。

舛添は「この問題は逃げらないな。どうすればいいですか?」と聞いて弁護士が「辞職するしかないです。辞職してこの問題が刑事事件にならないようにすることが最善でしょう。もし刑事事件になってしまうと参議院にも出れません。公職選挙法違反になると、5年間公民権停止だから、今度の参議院選挙に出れないのです。このようになる前に都知事をお辞めなさい」という精査を今、やっているのです。

しかも、この知事は民主政治により都知事になったのです。民主政治は馬鹿が当選するのです。民衆の頭の中にあることは、毎日の自分の仕事、収入、趣味、ゴルフ・マージャン・パチンコ・競馬、頭の中にあることはそんなことです。

何の政治的信念もないし、「このような政治をしていこう」などと思ってもいないし、ただ自分たちの生活が中心で「政治家など誰でもいいや」という気持ちがあるのです。選ぶ者は有名人を選ぶのです。有名人がまた問題です。大衆は「有名人だから正しい考え方をもっているだろう」と思いますが、とんでもありません。皆、インチキばかりです。

人気があれば有名人になって、テレビに出ることができるのです。テレビに出れば知名度が急速に跳ね上がるのです。今でも東国原は、有名人だからまだ芽があります。たけしがもし、都知事に出れば政治的な実績がなくても絶対に当選します。

人気がある者が当選してしまうのです。だからくだらない知事や政治家が出てくるのです。これは民主政治というやり方が暴力なのです。民衆の最大の暴力が民主政治だと思えばよいのです。

政治を行うためには、一定の見識と、知性と、道義心と、信念がなければ政治などできません。このようなことを思っている人はいないのかというと、いるのです。いるのだけれども、このような人々は知名度がないから当選できないのです。

知名度がある出たがり屋のインチキ野郎ばかりが議員になっているとわかります。本当にひどいと思います。

一人の独裁者が大衆に対する暴力はすさまじいものです。権力を握れば何でもできるのです。人殺しだろうが何でもできます。これは独裁の暴力です。

今度は「独裁はまずいから、民主主義でやりましょう」と選挙をやれば、衆愚政治になって、馬鹿ばかりが当選するのです。大衆は愚かなるが故に暴力です。創価学会などによって当選した奴は暴力です。何もわかっていません。ただ、党に入って推薦されて「衆議院に出ます」と言うから、学会員はその人のことは何も知らなくても1票入れるのです。これは暴力です。「選挙とは暴力である」ということを、自覚する必要があるのです。

戦前はよかったのです。貴族院議員がいたのです。衆議院もありましたが、衆議院は馬鹿な民衆の暴力により決まってくるものです。だから、変わらない参議院があり、良識の府です。参議院の前身の貴族院は選挙もないし、変革もなく、ずっと変わらなかったのです。

参議院は一定の良識をもって、衆議院がやることを見守っているのです。衆議院で議決しても、「参議院が反対だ」と言えば通らないのです。このバランスをなくしてはダメなのです。今、参議院はありますが与党になり、第二衆議院になってしまいました。これも多数決で決めるからそうなってしまったのです。

参議院は多数決で決めるのではありません。有識者で構成するのです。そして、愚かな大衆が暴力で選んだ悪辣な政治家を参議院がきちんと掌握して「ノー!」と言えるものをつくっていかないと、国というものは機能しません。選挙は暴力です。大衆は暴力です。これを忘れないようにしっかりと覚えておきましょう。



ご愛読ありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

    ↓↓↓

人気ブログランキングへ


『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137