正理(しょうり)は世界を救う | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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G7が伊勢において行われました。利害の調整で、国際間は大変な緊張を強いられています。よく考えてみると一番大事な問題は理念の問題です。

このようなことを話し合えるようになったときは、影響を与えるのだと思います。大義名分というものは、非常に大事です。

「人類」という問題を考えてみた場合、大義名分があるはずです。なぜ国々に別れて170個所も国連に加盟している国家があるのでしょうか。聖書を見ると「人間がバベルの塔を造ったことにより、神が怒りをもって人類の言葉をバラバラにしてしまった」と書いてありますが、人間として生まれた共通の理念ができるはずです。

これはアフリカの黒人も中国人も朝鮮人もアメリカ人も、姿も違えば言語も違います。しかし、共通項があるはずです。「人間として」と言った場合は、すべての人種が含まれてしまいます。「アメリカ人として」と言った場合は違います。「人間として」という共通項でくくると人種の違い・言語の違いは関係ありません。「人類」という一つのもに、くくられてしまうのです。

「人類として」という共通の理念がないのです。人間としての共通の理念「何故、人間は生きているのか?」「人間が生きているとは、どのような意味があるのか?」これは「人類」という共通の見方をすると同じはずです。

国を超えて、国境を越えて、言語を超えて、この理念は共通するのです。それを「人類としての正理(しょうり)」と名付けましょうか。この人類としての共通の正理というものを明らかにしていかない限り、人生はダメなのです。

経済理念、国境の問題など、そんなことをいくら話あってもお互いの利益が違うのですから、いがみ合うだけです。だからこそ、国境をとっぱらって人類共通のカギは、人間(Human being)ということです。

「人間の存在とは何だろう?」と考えていくと、話し合いをして、共通項を見出していけばよいのです。ヒューマン、ヒューマニズム、「人間」という共通項の下には問題点が消えるのです。人類はそれを目指して進んでいるのです。

ところが、このような世の中は何も理念がないのです。アメリカの建国の理念「自由・平等・博愛」は立派です。このようなものを求めて、「全ての人々に自由を与えるのです。すべての人々に平等を与えるのです。アメリカ合衆国はこれらを保障するものである。そのためにこの国は建国された」という理念は人類共通の理念です。

似たような考え方が、東大の中村元教授の「比較思想論」があります。「宗教には違いがあります。しかし、もっと共通の点に注目したらよいのではないか」とう考え方があります。

仏教では慈悲を説き、キリスト教では愛を説きます。「慈悲と愛がどのように違うのか」というと、慈悲も愛も似たようなところがあります。厳密に言うと違いますが、「人々を愛する」「人類を愛する」、或は「慈悲をもって接する」という考え方は共通です。

「言語は違い、思想は違っても、共通点に着目していくならば、人類共通の思想ができるはずだ」というのです。仏教の宗派に属していてもよいのですが、人類共通の不変の思想を創り上げていく必要があるのではないかと思います。これが比較思想論の考え方です。

それと同じで世界は人種は違い、言語も違うけれども、共通の価値観とは何でしょう。それにはまず神というものを明らかにしていく必要があります。民族により神はすべて違います。ユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神、ヒンズー教の神、これらはすべて神が違うのです。恐ろしい違いがあります。

しかし、共通している点があります。それは人類の上にあるということです。神と言う名前は違い、教えも違いますが、一つ共通していることは、人類以上の存在だということです。これに皆が目を向ければよいのですが、一神教であるが故になかなかまとまらないのです。人類は仲良くするために一神教という概念を打ち破らなければ、一神教から脱却できません。

日本の神道では八百万の神がいて、人間の存在の上に神がいます。どのくらいの神様がいるのかというと八百万の神々が存在しているのです。日本神道では何でも神になってしまうのです。山の神、海の神、田んぼの神、植物の神といって様々な神様がいるのです。へっついの神といい、日本は便所の神までいるのです。

そのような思想になってくると、どのような神も神道の中に入ってしまうのです。ユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神も皆入ってしまうのです。共通している点は、「人類以上の存在」ということです。この中に組み込んでしまえばよいのです。

世界の思想を統合していく場合には、やはり日本の神道、八百万の神々という考え方が大事です。

そして、神々の違いを述べるのではなく、神々が共通してもっている力というものをもっと研究して「キリスト教ではこのように言っているけれども、イスラム教のこのような点で似ているのだ。いがみ合っているようなものではないのだ」という共通項を見出していくのです。

でも、それが簡単にできないのです。皆、自分の形而上学の一神教の神を信じているのです。これがISISを産んでいきているのです。「アラーよりほかに神なし」ではなく、「アラーの神もよし、他の神もよし、人類は一つである」と言えばよいのです。

あらゆる地上の教えよりも神の教えが正しいと思っているのです。ISISの連中は天国へ早く行きたいのです。人生というものは、「オギャー」と生まれて、天国へ行くまでの過程(プロセス)だと考えているのです。生きていることに意味があるのではなく、天国へ行けるかどうかに意味があるので、「天国に行く過程が人生だ」という考え方をするのです。

頭の中は現世ではなく天国にあるのです。現世は自爆テロで殺せば殺すほど天国に近づいていくと考えているのです。「この考え方はどこが間違っているのか?」ということを人類は明らかにしていかなければいけません。

例えば、日本の仏教である阿弥陀経も同じです。「この世は苦しい。穢土である。汚れていない極楽浄土に行くことが人生の目的だ」と言います。だったら生まれる意味がありません。極楽浄土へ行くことが目的で、人生はそこに行くための修行です。では、何のために生まれた人生なのでしょう。このような説明がありません。

「極楽浄土に行くことに意味がある」というならば、今生きている人生は虚しくなり、すべて意味がなくなってしまいます。極楽上に意味があるのです。そのような考え方は間違っているのです。

きちんと「何故、人間は生まれて、何の目的で生きているのか?」と考えることです。この問題を解くのは簡単です。日本神道であれば、すぐに解けます。人間の目的とは「修理固成(すりこせい)を成せ」ということです。神々はこの世界を不完全に創っておいたのです。従ってこの世界に人間を送ったのです。人間は、いい加減につくられた社会を完璧に固め成して美しい世界に変えていくのです。それが人生の目的です。神が人間に与えた使命です。素晴らしい使命です。何も迷いはありません。この世界は不完全です。悪い者もいればよい者もいます。それを神から与えられた力によって正していくのです。

そのためにはどうしても日本が大事なのです。世界の歴史は殺し合いの歴史です。本当にそうなのです。その中で一筋の光を見るように、人生に意味を与えているのです。そのために神がこの日本に国を造ったのです。日ノ本の国を創ったのです。この神が中心になって、やがて世界が一つにまとまっていくのです。そのときに世界の中心点を成す者は、天照大神の御子孫である天皇です。天津日嗣の天皇です。

このような素晴らしい思想に人生の目標を設定して、そのようなことを話し合い、まず思想を直さない限りは人類から戦争はなくなりません。物質を巡っての戦いであると同時に、思想の戦いでもあるのです。まず、ここで終止符を打って、人類共通の思想を造り上げていかなければいけません。

ここで生まれてきたものを「正理(しょうり)」というのです。これが、「正理が世界を救う」という本当の意味なのです。皆が正理を求めて前進しなければ、よい世界は生まれてきません。正理会はその先駆けです。


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