日本男児伝 土方歳三 ② | 中杉 弘の徒然日記

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「新選組をあるく② - 佐藤彦五郎編 - 」第188回 多摩探検隊

 

 

 

日本男児伝 土方歳三 ②

 

 3月27日のフジテレビで放映された『奇跡体験!アンビリバボー番外編 超次元能力者VS歴史ミステリー』という番組には、落ちがあって、土方歳三の遺髪がでてきたのです。これは、見どころです。土方歳三本人の髪の毛です。

土方歳三は、最期の戦いの前に、髪の毛を姉の家である佐藤家に送ったのです。佐藤家には、150年前の遺髪がちゃんと保存されていたのです。

 佐藤彦五郎の子孫である福子さんは、「誰にも見せたことがないのですが、お見せします」と言って、土方の遺髪がでてきたのです。最期の写真にある髪型をそのまま切ったのでしょう。20センチくらいある髪の毛です。

 それは、超次元能力者のジャッキー・デニソンが、「髪の毛があるはずだ」と言うので、福子さんがびっくりして出してきたのです。「そんなことを言われなければ、土方歳三の遺髪を出すつもりはなかったのだ」と福子さんは言っていたのです。

 幕末の風雲児の土方歳三の髪の毛が見られるなど、実に奇遇です。「明日で最期だ」と思ったときに、16歳の少年がいたのです。その少年に愛刀と、写真と、遺髪と、お金300両を託したのです。土方歳三は、「これを姉の家である佐藤家に届けてくれ」と言ったのです。

 それがちゃんと佐藤家に届いたので、愛刀と、写真と、遺髪を保存していたのです。福子さんは、「遺髪は誰にも見せたことがなかったのです」と言っていたので、テレビで初公開です。福子さんは、美人で礼儀正しく、着物の着方もスッキリとしています。百姓の身分ではありません。

 土方歳三の愛刀は、之定ではありません。土方歳三資料館の刀は、十一代和泉守兼定です。

「十一代和泉守兼定は京都守護職会津藩主松平公より授かった歳三の最期の佩刀(はいとう)でありました。最後まで歳三と運命を共にした兼定刀身には、物打ち部分に当時刃こぼれが見られ、当時の様相を彷彿とさせるものでした。」(歳三の生家 土方歳三資料館より)

姉の嫁いだ佐藤家に送られた刀は、すごい刀です。実戦で使っていたとわかる刀ですから、すごい力感がありました。

 超次元能力者のジャッキー・デニソンは、「土方歳三は、五稜郭で死んだ」と言いたいのでしょう。鉄砲で撃たれて、担架で運ばれて、夜になって死んだのだそうです。土方が埋められたという場所が、3カ所あって、三カ所とも残留思念を感じるか、手をかざしたのです。結局、「最期の場所ではないのか?」と言っていました。

 これだけ勇敢に戦った土方歳三は、百姓ではありません。何故、司馬遼太郎は百姓にしてしまったのでしょうか? 清川八郎も百姓だというのでしょうか? 新選組をつくったのは、清川八郎です。それで皆が集まってきたのです。

 清川八郎は、幕末の庄内藩出身の志士であり、出羽国田川郡清川村の庄内藩郷士の齋藤豪寿の子です。水のみ百姓が、鍬を担いで新選組に参加するなど、絶対にあり得ません。近藤勇も、土方歳三も名門の生まれだったのです。清川八郎は、郷士です。

 武士と同じような生活をしていて、刀をいつももっていて、そのような自覚があったのです。「いざ、将軍様の一大事!」というから、集まってきたのです。

司馬遼太郎は、ウソつきです。「燃えよ剣」の小説の中では、土方歳三が買った刀は、之定です。司馬遼太郎の小説では、お姉さんから50両もらって、刀屋へ行ったのです。すると、「お侍さん、何かお探しですか?」と主が言うのです。

歳三「私は刀を探しています」、主「どんな刀をお探しですか?」、歳三「之定だ」、主「この店にあります」と言ったのです。

 歳三「おだいはいくらか?」、主「ただであげます」、歳三「おぬし、わしをいたぶっているのか?」、主「いたぶってなど、いません。この刀は貴方様がくるのを待っていたのでございます。ただでは嫌ならば、5両とでもいいましょうか」と言ったのです。

 本来ならば、之定は大名が持つ刀ですから、何百両もしますから50両では買えません。土方は、5両置いて、之定を買ったのです。これが、司馬遼太郎の小説の話です。

事実は、そんな話ではありません。土方は、最期の戦いの前に五稜郭から送ったお金は、300両です。少年に持たせたのは、手紙と、愛刀と、写真と、遺髪と300両です。それが、佐藤家に届けられたのです。

 ジャッキー・デニソンによると、「土方は、鉄砲で撃たれてその場で死んでいない。担架に乗せられて運ばれて、夜になって死んだのだ」と言うのです。

 ジャッキー・デニソンは、近藤勇の残留思念も調べたのです。近藤の写真を見ると、「首に違和感があります。首です!」と、首ばかり強調したのです。

近藤勇が処刑されたのは、板橋の処刑場です。斬られた近藤の首は、アルコール漬けにされて、馬に乗せられて京都まで運ばれたのです。京都の三条河原でさらし首にされたのです。「あれが、近藤の首だ」と言われたのですが、その首は3日間でなくなってしまったのです。

 「その首はどこに行ったのか?」というと、「親しい人が持ち去ったのだ」と言うのです。近藤の首は誰がもっていったのかわかっていません。そのような番組で、大変面白い番組でした。

 新選組で知りたいことは、2つです。それは、「土方歳三がどこに埋められたのか」ということと、「近藤さんのお墓はどこにあるのか?」ということです。近藤さんは、首を斬られているから、首のない死体は板橋にあるのです。首がどこかに行ってしまったのです。そのような話です。

 武州三多摩の佐藤家を見たら、「武州三多摩の百姓だった」という話は、ウソだとわかります。百姓があんな大きな梁のある屋敷を建てられるわけがありません。道場もあるのですから、立派な屋敷ですから、皆さんも誤解してはいけません。

新選組は、武州三多摩の百姓ではありません。それを忘れてはいけません。むしろ、地侍です。八王子にも、八王子同心がいました。八王子同心のほうが、身分は低かったのです。八王子同心は、千人いたのです。それを千人同心といいます。八王子同心の身分は、足軽です。足軽だと、百姓と似たようなものです。

 その上が庄屋です。そのような身分でないと、土方さんのような人はでてきません。ガキの頃は、鼻をたらして暴れまくっていただけではありません。やはり、教養もあったのです。近藤さんも『日本外史』を勉強していたのです。字も書けるし、立派な教養もあったのですから、あまり近藤さんと、土方さんを陥れないほうがよいのです。「新選組の近藤勇と土方歳三は立派な侍であった」、僕はそのように思っています。

 

 

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